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【読了】人魚の肉(DAY286)

先日、推し活の一環として読んだ本が
思いがけず考えさせられた内容でしたので、
皆さんにシェアさせていただきます。。。!


※以下、息を吸って吐くようにネタバレします!


あらすじ
人魚の肉を食べた者は不老不死になるというが…
舞台は幕末京都、坂本竜馬、沖田総司、斎藤一らを襲う不吉な最期。奇想の新撰組異聞。

Amazonさんより転載

ジャンルは時代小説、といいつつもオカルト?伝奇モノ?って感じで、こういった作品を読むのは久々。
山田風太郎先生の「◯◯忍法帖」以来です。

あ、、山田風太郎先生も時代小説×伝奇モノですね。
親和性が高いのかな。歴史とオカルトって。


ネタバレしちゃうと、人魚の肉食べちゃった人はおかしくなっちゃうわけ。

誰かの血が欲しくてたまらなくなったり、

成仏できなくて、自分の首を探して徘徊しちゃったり。

そのなかでも私が「あーーー」ってため息ついちゃったのが、
「不老不死」。


とはいっても、よく言われる「800年生きちゃいました★」な
八尾比丘尼伝説ではなくて、

何回も、何回も人生の同じ個所をぐるぐると生き続ける、という地獄のようなもの。
というか、地獄。

本人は
「なんか前も同じ景色を見たことがある気がする」レベルなのが救いなんですが。。。
(これで、前回の生きた記憶まで持っていたら、とっくに気が狂ってる)


でもちょっと考えてみて…


私たちの人生、「コレ」になってないか?


ずっと同じ人生になってないか?

ハムスターの回し車が一周回って同じ場所に戻ってくるように、

「同じ」人生を繰り返していないか?


そんなことを思ったんです。


ほんとうは一日として同じ日はないのに、

タイムリープよろしく、

「今日も今日とて同じことの繰り返し。。。」

「これがずっと続いていくんだろうな。。。」

そう思っていないだろうか?って。


感性を研ぎ澄ましていれば、小さな季節の移り変わりや、
同じ地下鉄に乗る人の服装、

職場の後輩の成長など、

そういったものに触れることが出来るんじゃないか?
それなのに…


そんなことを思ったんです。




一日一生、という言葉があります。

今、生きている一日を
最後だと思って、悔いのないように生きる

そんな意味の言葉。


この言葉がすごく好きなのですが、
一方で、
「これって発動条件があるよな…」
って。


未来に対する、絶対的な信頼感・安心感。

自分の生き死にに関わらず、
未来は絶対に良くなる(はず!)っていう
確信があってこそ、

「今、ここ」がより一層、貴重で愛おしいものとして過ごせるんじゃないかなと。

そんなことを思ったんです。


「でも、未来なんて期待出来ない…!」

そう言いたくなるような今の社会において、


「未来は日が当たる」とさし示してくれるような背中に出会うことが
どれだけ貴重なのかを感じたのでした。



『人魚の肉』の、私の最推しのエピソードは、やるせなさ、空しさ、憤り、それでも前に進み続けることについて描かれた、少し切なくて感動するお話でした。

(推しの効力でフィルターかかってるかも)

自分と常に向き合うこと、自分に挑み続けることの大切さを受け取った気がします。


なにより、推しが吸えたのが幸せです、、、!

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