友情

 つくづく脆いなと思う。私の友人はみんな色があって素敵な人ばかりで。
友人に会いたくなる度、大勢の人と過ごした時間の後一人になる度、なんだか少し淋しくなるような、失恋に近い気持ちになることがある。

 私が不器用だからなのか、手を差し伸べてくれる大人や友人を多く持った。人の5倍以上練習しなければ人並みにすることができない。
 みんなが初めから剣を持って素振りができるとすれば、私はずっと素手でパンチの練習をしているようなもので。
武器の手に入れ方、持ち方、使い方を教えてくれる優しい人のお陰で随分マシになった。
 あと努力することが得意になった、失敗というか全力で挑んだけれど、上手くいかなかった経験を通して、人よりも早く学習することを心がけるようになった。だから私に関わってくれた人みんなのことを好きになってしまう。好きとか大好きとか口に出すのは恥ずかしくて、そんなキャラじゃないと今まで隠してきた。何年もかけて感情を外に出すことを覚えた。
 でもやっぱり、人との縁には恋が終わるように消えてしまう脆いものに思えることがあって、どうも私は人のことを好きになりすぎるなあと悲しい気持ちになる。良いことなのにどうしてか、悪いことのように思う。きっと一種の自己防衛なのだろうけれど。  
 どうして私はこのタイトルでこれを書くことになったのかというと、あまり男女の友情が成立してこなかった私には心から友人だと言える「男友達」が2人いる。
 (でも今日やっぱりこの人も男だった。)
と感じる出来事があってでもこれは私の理想像の押し付けではないのかと言われれば確かにそうだと思うし。いやきっとそうなんだと思う。勝手にそんなことしないと決めつけて、予想と違ったからがっかりしている。勝手なのは私だ。
 でも私は少なくとも5年間一緒にいて本当に信用できる人だと感じていたしそこに特別な意味を感じていたから、友人でいたことを踏まえれば、私の友人は変わったのだと思う。でも本人の選んだ選択肢を尊重するのが友人の役割ならば私は友人失格。世間的にダメなことを正すのが友人なら私は正かった。友人とは何か。もうわからないなあ。
 なんとなく書き留めたかったのでここに置いておく。
数年後も友人でいることができるのか微妙な関係。きっと私が男だったなら、彼らと男友達として仲良くすることができたなら、こんなふうに思うこともなかっただろうな。私は彼らが好きだ。好きなら好きで良いよな。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?