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心の「クセ」はあらゆる形で、人生の表に現れてくる

断捨離を少しずつ進めているところだが、
捨てるということは、心の整理なのだなと実感している

「片付け」とは、決めない限り進まないもの

クローゼットの扉を開く、
そこに不規則に積み上がった服やカバンたちが
目に入ったとたん、そっと扉を閉めたくなる、が、我慢する

とにかく、山を崩すことから手を付けるしかないのだが
しばらくすると気がつくのだ

扉の向こう側にあった山が
扉のこちら側に移動している、だけやん…

こんなことを、数日繰り返しているうちに気がついたことがある

私は「思い出には固執しない」ということ

ほぼ思い出の品は残っていない
家族旅行のお土産や、写真、子供が描いた絵etc
そんなものが、ほとんどないのだ

では、どんな荷物が片付かないのかというと

その品物を手に入れるために
どれだけ「時間」と「手間」をかけのか
それが重要で、その分が大きければ大きいほど片付かないのだ

たとえば、部屋に飾りたい絵があったとして
そこに飾るための棚や額縁が欲しいとすると
大きさや材質をリサーチする

ネットで探したり、実店舗に足を運んだり
時間と手間をかけて、ようやく見つける

そんな品物だと、なかなか捨てられない
金額ではない、結構百均などで購入したものもある

私にとって「手間がかかるもの」に固執してしまう
そんな「心しくみ」があるのだ

私自身のベースには「シンプルイズベスト」精神が宿っていて
効率優先の思考が強い

見た目よりも実用性、中身が大事なのである


思い出を残しておいても、邪魔になるのであれば
別にいらないと思っている
物に思入れがない、いわばドライなタイプである

それよりも、「面倒くさくないことが何よりも重要」なのだ

面白いことに、このテーゼは、断捨離の時だけではなく
私の人生の各所に大きな影響を与えている

「面倒ではないことが重要」
それは、環境だけでなく、仕事や、人間関係でもあらわれる

ただ、面倒くさくないことを選ぼうとして、なおさら面倒くさいことになるそんなトリップにどっぷり引っかかった人生だと思うが…


まあ、見た目よりも実用性、中身が大事
ということは、外側に固着しない良い面がある
自分の見た目や、周りからどう見られるかを中心に
何かを決めることが少ない

「自分の居心地の良さは?」「どうすればラクになるか」
そこが、判断の基準になるのだ

だが悪い面もある、それは肉体に無頓着ということだ
物質的なものをないがしろにしがちになる

それが「物を大事にしない」とか
「すぐに飽きて捨ててしまう」と怒られることになる

これが、私の「心のクセ」であるのだ

心のクセというものは、その人が何かを「決断」するときに最も現れやすい

自分が不安にならないような選択
自分がワクワクするような選択
自分が周りから嫌われないような選択
自分が居心地が良くなるような選択

そう私は「効率的かつ真実性がある」を大事にして
そのことを中心に物事を決めている

自分が何かを選ぶ時の基本がここにある

日常のいろんな場面で、一体自分は何を基準に選択をしているのか
そんなことを、考えた断捨離であった


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