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ポストコロナSNSのその後

この後、SNSはどうなるのか

「まあ、数週間~1か月くらいかな。そのくらいなら、在宅ワークもたのしそう。外出も我慢しましょう。」と、3月中旬に思っていたのはわたしだけではないはずで、日本全国でなんとなくそんな雰囲気が確かにあった。だけどどうやら「終わり」なんてないことに薄々気づいてきて、これからどうやってうまくコロナと「付き合っていく」のか考えなければいけないらしい。

デジタルネイティブ世代、SNS史と人生

1996年生まれ、24歳。SNSと人生で初めて出会ったのはたしかブログだった。小学3,4年生の時、憧れのギャルモデルたちのリアル(簡易版の自己紹介HP+ブログ)をお母さんのガラケーにブックマークして、を毎日のぞきにいっていた。そのうち自分でもやってみようという気になって、小学生高学年ぐらい~中2(2011)くらいまでは家のPCに向かってアメーバブログを一生懸命書きはきはじめた。

それは当時わたしが痛いガキだったのではなくて(多分)、学校中の女子たちがブログに今日あったこと、好きな人のこと、うざい先生のことをブログに書いてシェアしてはコメントをつけていた。小学生怖い。それからアメーバピグも大流行して、放課後は自分のピグ(アバター)にお気に入りの服を着せて仮想の街にお出かけして友達と集合しておしゃべり(チャット)してた。

2012年、高校に入学する直前くらいでtwitterをはじめ、同じ時期くらいにmixiが一世を風靡した。マイミクで友達を褒めちぎった投稿をして紹介するとかいう今考えたらなんとまあ恥ずかしい恥ずかしいSNSだろう。mixiにみんなが飽きを感じ始めたくらいで、幼馴染のなおに「Instagramというのがあるらしい、まだみんなやってないから、仲いい友達だけでやろう」と秘密組織の密会のようなカッコイイ紹介を受けて、私のInstagram人生は幕を開けた。(Instagramのリリースは2010年、Facebookが買収したのは2012年4月、その半年後くらいからだと思う)

高校時代の投稿、青春ど真ん中、まぶしい。。。

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当初Instagramは仲の良い友達しかやっていなくてフォロワーも10人くらいしかいなかった気がする。そこからinstagramが爆発的に流行り、高校卒業する2015年頃には、やってない人の方がクラスで浮く、みたいな逆転現象が起きていた。

それから大学入学後、Instagramの人気はとどまることを知らず、「インスタ映え」に世界が乗っ取られ、「インスタグラマー」がマーケットの主導権を握った。2017年~2018年くらいは「いいね!」の数=その人の力 という世界があったのも事実だと思う。2015~2019までスナチャやZenly、ツイキャスなど他のSNSもたくさんリリースされていたが、結局いい機能だけinstagramに吸収されていった。ヤクザ。

Instagramとともに成長したのは画像加工。2015~16年くらいはいい写真を集めたレイアウト機能のあるアプリやお洒落に見えるフィルター機能が流行ったが、インスタで複数枚投稿が可能になったことで、「1枚で命を懸けて映える」戦争は激化する。

さて、そんなこんなでここまでは小学生~社会人2年目の今までSNSにどっぷり洗脳され育った私が、独断と偏見でSNS史を振り返ってみました。

これまでSNSは、オンラインの力で個人として「気軽に発信する」を可能にしてきた。認められたい・かわいいと思われたい、という人間であればだれもが持ち合わせる基本的欲求をちゃんと満たしてきました。この10年間のSNSの進化はホントーにすごい。

では、次は? 時代の最先端はJKがつくる

突然ですが、高校生だった時、これはおもしろかったな~という思い出はなんですか??皆さん、若いころの気持ちになって思い出しましょう。部活・体育祭・文化祭・キャンプファイヤー・バンド部のライブ・修学旅行・合唱コンクール。。。

なんでそれが楽しかったのか、と言われるとわからないがとにかく非日常感が楽しかった。なんで非日常がたのしいのか、と人間の欲求の原点に立ち返ると「空間の共有」欲求があるように思う。(日本人特有かもしれない)

その場にいた人にしかわからない「空間がひとつになった」感は多かれ少なかれ皆さん経験されたことがあるのではないでしょうか。なんとも言葉には形容しがたいけど、「確かに今、みんなが同じ方向を向いて同じ気持ちでいた」という確信が人間の”感動”の源泉なのではないかと思うわけです。日常では多くの人が同じ目標・方向を向くのは難しいけど、"非日常のお祭り”では目的が明確・物理的環境が同じゆえ同じ方向を向ける確率が高くて、ひとつになりやすいのではないか。

高校時代だけではなくて、大人になってからも、音楽フェスで「良い演奏に観客が酔いしれた」瞬間や、お笑いで「観客が笑っているから余計につられて面白く感じた」とか、サッカー観戦で「スタジアム中の声援が集まって一つの音に聞こえた」とか。普段は静かな人も地元のお祭りには本気で参加して大きな声でおみこしをかついでお祭り男になってしまう。静かな図書館、みんなが集中している空間にいると自分も集中できた。スポーツジムに行くと周りの雰囲気で健康意識が上がる。頑張れる。とか。

その瞬間に日常の自分では考えられないくらい勇気が出たり、元気が出たり、はしゃぎすぎたり、泣いてしまったり。。。その度合いに個人差はあれ、"非日常のお祭り”の瞬間に人の心に感動が起こる。

今コロナで外出自粛が長く続き、なんとなく気持ちが晴れない、つまらないな、ひまだ、と退屈を感じている人が多くいる。そのつまらない原因は、きっと非日常の”お祭り”がなく、つまりは感動がないからなんだと思う。

次にSNSの目指す先は、発信⇔反応 の共有のその先、"非日常のお祭り”のオンライン化だ。そこにいる人にしかわからない、言葉にはできないけど「確かに今みんなが同じ方向を向いて同じ気持ちでいた」空間のオンライン化。

物理的空間でしか今までは起きえなかった感動をオンラインに

すでにZOOM飲み会が流行ったり、youtubeLIVEで芸能人が毎晩のように配信している。もうそういう世界は不可能な時代ではないと思う。

具体的にじゃあどうしたらいいの?というとまだわからないけど、例えば遠隔にいてもカラオケで盛り上がれたり、合唱や楽器演奏できたり、そばにいるかのようにスポーツ観戦できたり。演劇ができたり。みんなで筋トレできたり。

仕事でSharepointを使って共同で資料を編集することがあるが、あれも意外とかなりたのしい。青春ドラマで学園祭準備シーンがたのしそうに描写されていたりするけれど、それなんかもチラシや看板を高校生たちは共同編集で作成できるとなると面白がってくれるかも。

だれか一緒にやりませんか。頭の中にもう一つの宇宙、つくりたい。目指そう。youtuberの配信のようにガッハッハと笑えるものでなくてもインスタグラマーのような美女じゃなくても出来上があがりすぎていなくても、感動できる、今まで私たちが人生を通して体験してきた小さな感動を拾い上げる宇宙をつくりたい。

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