見出し画像

KIDS

星野源 「KIDS」

【毎日noteに再チャレンジ!思い出に残る・印象に残る曲について、1日1曲ピックアップします。⑬】

今や国民的ポップスターの星野源さん。

「うちで踊ろう」も瞬く間に広がりを見せ、この状況下で生きるいろいろな人に力を与えてくれていると思います。

私も6、7年前から大好きでよく聞いていたため、そのたびに元気をもらってきました。茶目っ気を忘れないところ、それでいて人間らしい影があるところが大好きです。

そんな星野源さんの「KIDS」

大人になっても、どこかまだ子供の部分を持っていて、そんなふわふわした感覚を持ながら、また大人として過ごす日々が過ぎていく、そんな歌詞。

でも、そんな「子ども」の部分って、誰しもがもっている部分だと思うのです。

誰しもがもっているけれど、持っている量は人によって違う。そして、一度失ったらまた取り返すのは難しい。

私は、子どもで居続けることに、苦しさを感じてしまう方でした。子どもとして、いろんなことを100%で受け止めていたら、心が間に合わないと感じてきました。それに、大人でいた方がかっこいいし効率的だとも思っていました。大人になって、目の前のその先を見据えるようになれそうな気もしていました。苦いコーヒーも、その苦さを通過できるようになったらコクや酸味といった、一つ先の味の楽しみを知れるなんてこともあるように。だから、必死に大人になろうとしました。そのおかげもあってか、「落ち着いてるよね」といわれることも多いです。

一方で、「子どもであること」を忘れない人もいます。そう言った人は、自分の大きく変化する感情に揺さぶられ、時に人とぶつかり、失敗をする。でもそれと同じだけ、うれしかったら全力で喜ぶし、他人に対しても全力を注いで関わろうとする。私にはない、大きな強みを持っていて、優しさと無邪気さを持っている。コーヒーは苦いんだ、という当たり前のことを、素直に、率直に感じられるような。

そういう人を見ると、うらやましくなってしまう。

自分で大人になろうとして、捨ててきたものなのに。

特に芸術面に関しては、「子ども」をしっかり残している人には勝てない気がしてしまいます。そこはかしれない情熱が、「子ども」の心には宿るんじゃないかとさえ思います。なので私も音楽をやるときは、できるだけ子どもでいろんなことを感じられるように、と意識するようにしています。

でも、意識しないと、大人ベースで進めてしまい、あまり面白くなりません。

「子ども」、今からでも増やせないかな。

昨日、今日のお散歩コースは私有林ということで、あたりは人通りが少なく、木々が生い茂ります。

私はそういったところに来ると、不思議と心が解放されて、「子ども」が出やすくなります。一人だったということもあり、息が切れるのも構わず時折走り回ってみたり、鼻歌を歌ってみたり。

でも一歩森を出ると、一気に通常モード。

私の「子ども」はそそくさと心の奥の方に帰ってしまいます。「ヘンな人」として見られる可能性が低くなるからいいけれど。

ーーーーーーーーーー

今日は午前中に買い物に行ったので、午後にお散歩。午後の方が、なんとなくちょっとゆるっとした雰囲気になる気がする。私はどちらかというと、午前中のちょっぴりパリッとした空気感の方が好きだなぁ。パリッと空気感の時に、こっそりゆるっとお散歩する感じが好き。

こっそり、がいいんだよなぁ。