お経や仏典は、唱える・音読すると理解できる場合があると複数の方々(河合隼雄・司馬遼太郎)が言っている。ということは、我々がお経に漢訳で接していることにも音声的な意味があるのだろう。口語訳では伝わりにくい性質のものだとしたら、その辺りも考慮して訳されているに違いない。

私の拙い記事をご覧いただき、心より感謝申し上げます。コメントなどもいただけますと幸いです。これからも、さまざまな内容をアウトプットしてゆく所存です。どうぞよろしくお願いいたします。