小学生の私と通学路の石

通勤途中に私の革靴の踵にコツンと小石がぶつかってきた。

それは後ろを歩いていた小学生が蹴った石であった。

蹴っていた石が人に当たったことについて小学生から「さっせーん!笑」とか「すいまっせーん!w」という気持ちのよい謝罪は無かった。それは割とどうでもよかったし、怒ったり、最近の小学生はこれだから困る、みたいなクソジジイ的な発想も全く生まれなかった。

自分に負の感情が全く湧かないことにも少し驚いたが、その理由は明白だった。怒りとか呆れ以上に大きな感情があったからだ。とにかく懐かしかったのだ。平成ノスタルジー(大正デモクラシー的な)。私が小学生時代に駐車場で石を見つけては蹴り続けた通学路を思い出した。そして「石を蹴る」という行為が20年の時を超えても当たり前のように行われていることに感動したのだ。

おそらく明治、大正、昭和、平成の時代も小学生は石を蹴り続けていたに違いない。石を蹴るなんてしょうもない行為は父親が息子に口伝するような内容でも無いだろうし、学校でも教えられることはない。それでも小学生は石を蹴る。遺伝子レベルで石を蹴ることが楽しいことを理解している。学校の近くで石を見つけて手を使わずに家まで連れて帰るという使命感に支配されている。人間の性(SAGA)なのである。

そういえば女子って石蹴りをするのだろうか。したのだろうか。私の知る限りでは男子しか石蹴りをしていなかった気がするが、女子は石蹴りをしたかったのだろうか。欲求はあるけれども、はしたない行為だからという理由で止められたりしていたのだろうか。「男らしい」「女らしい」という言葉そのものが忌避される男女平等の令和では女子も元気よく石を蹴って、うっかり駐車場の車のボンネットにぶつけて血の気を引かせたりしているのかもししれない。男子のみに生まれる欲求なのであればそれは人類の雄としてのどんな歴史がそうさせるのであろうか。

関連。ペット・ロックをご存知か。ペット・ロックは、1970年代にアメリカで流行した玩具の一つで、ごく普通の石を仮想的なペットに見立てて愛玩するというもの。(Wikipediaより引用)

ちょっと何を言っているのかわからないがなんとこの「ただの石」を「ペット」という用途で売り出しただけで半年間で500万個が売り上げられ、発案者は5616万6419ドル(約6億7400万円)を稼ぎ、一躍大富豪の座に就くこととなったのだ。ただの石で。少しだけ売れた理由はわかる。石を蹴る時は少なからず石に愛着をもっていたからだ。小学生当時は冒険を共にする仲間として故郷への旅路を転がしていたのだった。そんな少なくとも男子が持っている石への意識に着目したのは本当にSUGOIの一言だ。

以上が石をぶつけられてから0.1秒で考えたことでした。(大嘘)





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