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妥協の大切さ。

若い頃の私は色々とこだわりが強くて、頑固なところもあって、周りから見たらけっこう面倒くさい性格だったんじゃないかと思う。

自分が正しいと信じていること、好きなことは貫きたいと考えていたし、それを周りの人達にも理解してもらいたいと思っていた。

しかし、今。
いつの頃からか、様々な「こだわり」を割とあっさりと捨て始め、頑固に自分の考えに固執することもほとんどなくなり、我ながら何かにつけて丸くなったなぁと感じている。良くも悪くも。

日々考えているのは「こだわること」よりむしろ、「いかに妥協するか」ということに近いかもしれない。「妥協」というとネガティブに聞こえるので、言い換えるならば「いかにバランスをとるか」、「いかに全体をうまく回すか」「いかに周囲と折り合いをつけるか」、そんな感じかな。

一体いつからそうなったんだっけ?と振り返ると、やはり就職して社会人になったときと、子供が生まれたときがターニングポイントだったような気がする。

「自分のこだわり」や「自分の思い」を持つのはとても大切なことだけど、仕事や育児においては残念ながら、それらが物事を進める上で全く役に立たなかったり、それどころか邪魔になったりすることがよくある。

例えば仕事に対する考え方が合わない人が職場にいるとして、若い(青い)頃の私なら、何とか私の考えも分かってもらえないかと正面からぶつかったかもしれない。でも今の私は、相手の考えを変えようとするよりも、お互いが何とか納得できる中間地点を探そうとする。だってそうしないと仕事が回らないし、職場での人間関係が悪くなると他のメンバーにも迷惑がかかるし、そもそも自分の考えが誰にとっても正解というわけではないしね。まぁ、どう考えても相手が間違っているなという場合には、意見を伝えることももちろんあるけど。

また、子供の食事に関してもそうだ。母親として、手作りで栄養のあるものを丁寧に作ってあげたいと思うが、現実には、仕事が終わってから料理に使える時間はかなり限られている。丁寧に作業しようとすると、たいてい完成するより前に子供がお腹を空かせてしまう。「いかに丁寧に作るか」より、「いかに早くできるか」の方がここでは重要なのだ。

休日に作りおきすることもあるけれど、それをやり過ぎると自分が疲れてしまうので、無理はしない。
ザ・妥協。だから平日は手早く作れるもの中心になるし、品数が足りなければスーパーのお惣菜も買うし、繁忙期や疲れたときは出前も活用する。手抜きと言われればそれまでだし、理想とする充実した手作りメニューがなかなか作れないもどかしさもあるが、それで私も子供も無理なく笑顔になれるなら、まぁいいじゃんと思っている。

たぶん、若かりし頃は「自分」が一番大切だったから、自分の考えやこだわりを何より大切にしたいという思いが強かったのかもしれない。
でも今は年齢や立場の変化とともに、「仕事をきちんと完成させること」「子供が朗らかにすくすく育つこと」が大切になっているから、そこに向けて自分の気持ちとどう折り合いをつけるか、どうバランスを取っていくか、ということを常に考えている状況なんだろう。大人になった、ということかもしれないけど…なんだか少し寂しい気もするな。

「妥協」を続けた末に自分というものがなくなってしまった、なんてことにならないように、自分の芯になる部分、多少の不便や軋轢があってもやっぱり大事にしたいなと思う部分は、しっかり持ち続けておきたいな、とも思う。周りの人達に「面倒くさい」と思われない程度に、ね。



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