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オンライン・オフラインというよりも、『自学|講師との学習の時間』のブレンドで。

どうも。オンライン日本語講師(+新会社設立準備中)の布谷恒和(@wanderon100)です。

前回の投稿(【日本語学習】教材もカリキュラムも、リミックス・アルバムのように仕上げる)に引き続き、今回もオンライン語学講師の関わり方について、違う側面から書いてみたいと思います。

今年初頭から諸事情によって全世界的にオンライン学習が注目されて、そしてこのところは、また少しずつ元の教室授業(オフライン)に戻りつつある学校も出てきている、という声が聞こえてきます。

そうすると、さて「オンライン学習」というものをどう授業として位置づけようかと考えている語学教師の方もいらっしゃるのではないでしょうか。

ぼく自身、仕事場を従来の教室授業⇒ 100%オンライン上へと切り替えてから約1年弱になりますが、いわゆる《レッスン》と呼んでいるものがもはや「授業」とは言えなくなっている、いやむしろ従来の「授業」というものが存在せず別物になっていることに気づいています(多くの「オンライン講師経験者がそうであるように)。

言い換えれば、そもそも自ら日本語を【オンラインで学ぼう】ということを選択決断した学習者たちは、単に授業を受けるために(受動的に)ネットに接続しているのではないという感覚があって、それを講師側のぼくもビシビシと感じているわけです。

では、この100%オンラインのコースにおける《レッスン》と呼んでいるものの正体は何なのか、ということになります。

自主的予習、が半分以上

一応、イメージを掴みやすくするために、現在ぼくが関わっているオンライン学習のスタイルをざっと書いておきます。

・日本語のレベルは中~上級(レッスン中は95%以上日本語で進んでいく)
・海外在住の、大学(院)生、社会人、主婦などがメイン
・教材は全てネット上で事前共有
・レッスンは1回1時間(Zoom最新版)
・レッスンは全て録画してクラウド上にアーカイブ(いつでも見れる)
・1レッスンあたり、学生数(同時接続数)は1人~最大6人まで

こんな感じです。

もちろん学習者それぞれ十人十色なのですが、レッスンに対してひとつ共通して言えるのは、みなオンライン中《浸りきることに貪欲》ということです。

まずほとんどの学習者が、基本、普段からネット自学で日本語を勉強しています(ドラマ、アニメ、YouTube、インスタ、本、雑誌、友達とのLINEなど)。そして事前共有されている教材についても、半分を超える学習者は自分である程度予習を済ませてからレッスンに参加しています。

反転授業前提とかではなく、あくまでも、自主的に、です。

学習者の意識の向く先は、「講師の視点と反応」

教材の中には文法の解説や練習問題なども普通に入っているのですが、学習者が最も興味を持っているのは、それらの正解などよりも「講師の視点」だと感じています。

例えば、表現方法や文法などについて自分の理解とかけ離れていないか、自分で作った例文が自然な日本語かどうか、教材や自分の意見について講師がどんな言葉を発するのか、など・・・そういうことについて意識を向けているのがよく分かります。

だからこそ、基本「ネット自学」の延長線上で、講師とやりとりするレッスン時間の効率を最大化するために、自主的予習が自然の行為なのかもしれません。(事実、質問リストをわんさか携えて参加する学習者もいます。)

ここまでをまとめると、自ら100%オンラインで学ぶことを選択した学習者は、概ね能動的・自発的・積極的で、いざレッスンで講師と向かいあったときには「講師の視点・反応」に意識が向いている、というところでしょうか。

(※一部、オンラインレッスンを「予約しても、リアルタイムには敢えて参加しない」ことを選択している学習者もいます。全てのレッスンがアーカイブされるので、後日オンデマンドという形で、自分の好むスタイル、自分のペースで学習しているのかもしれません。)

そして、この「講師の視点・反応」を突き詰めていくとその先にあるのが、(ぼくが受け持つ学習者が共有している)オンラインレッスンの意義=『今、この瞬間の実践』です。

今、この瞬間。シナリオなしの『実践』に浸る時間

レッスンは、それぞれの回に教材に関連する何らかの「トピック」があるので、そのトピックを中心に進んでいきます。

そしてそのトピックに関する『問い』の連続と、実際に学習者に何か創って発表してもらう(考えてもらう)ことの大きく2つで成り立っています。

そして、それらに対してまた新たな『問い』や偶発的「サブトピック」が生まれたり、学習者同士でコメントし合ったりと、シナリオなしのトークが続いていきます。
(※↓下記は「商品のキャッチコピー」というトピックの回からの1枚。)

キャッチコピ-

途中、教材内の新出語彙や文法的な練習問題なども、一通り触れた上で正解を確認したりしますが、それはあくまでも刺身のつまみたいなもので、メインはその時々の『生の会話』です。講師の即興の質問や課題に、即興で答える学習者。この真剣勝負を楽しむという時間。母語を横に置いて、日本語に浸る時間。

自学で学んできたことも、今までのレッスンを通して学んだことも、うまく言えないもどかしさも、文法や発音のミスも全部ひっくるめて、今、自分が持っている総合的な日本語力を、ネイティブ日本人講師にぶつけてみる腕試し。そして、今この時のやりとりの遷移を画面上で共有します(講師は要所要所、肝心なところやミスの訂正をテキストでタイピングして画面共有しています。)

まさに、「今、この瞬間」を両者が実感するところに、オンライン《レッスン》の肝があるのだと思うわけです。

自学をブーストする役割

とすると、自ずと「オンライン講師との学習の時間」の輪郭がはっきりしてきます。オンラインレッスン(同期学習)で、学習者は講師をどう上手く活用するべきなのか、そして講師はどうやってそれを活性化できるのか -。

なぜ従来の「授業」がオンラインレッスンに合わなくなっているのかについてもこれで説明がつきます。

フラットな場(共有画面上)に、より色濃く学習者起点の意識が流れ込んでいるのです。「これを知りたい」「これを聞きたい」「ちょっとアドバイスがほしい」「これでいいのか確認したい」・・・そして「試しにやってみたい」などなど・・・。

これらによって、1時間という、オンラインレッスンにしては長い!と思われる時間があっという間に過ぎていきます。心地よい緊張感も続きます。

物理的な教室にあって、一見オンラインレッスンにはないとも言える「空間」的なものが、学習者の能動的意識の流れ込みによって存在しえることになるのです。

そしてそれを講師が常に『問い』かけながら、じわじわ引き出そうとすることで、画面内に奥行きが出てくるのだと思います。

これは従来型の授業をブロードキャストするのでは全く生じないことです。特に一斉授業的なことを講師起点で始めたら、たちまち集中力が消えてしまうでしょう。

ということは、学習者がネット自学する流れの中でひとつの有効なチャンネルとして《人間(=講師)が応対するオンラインレッスン》を位置づけ、今この瞬間の実践によってブースターとなる役割を担うのが一番ふさわしいのでは、と思うわけです。

おわりに

ぼくが受け持つ学習者たちを対象とした場合、《オンラインレッスン》有効化の鍵は、自学の先にうまく乗せられるか、自学とうまくブレンドできるかだと感じています。

もちろん、学習者のレベルが初級の場合や、自学が大の苦手という場合、参加人数がかなり多い場合、本音は通学して教室で勉強したいという潜在意識を持っている場合などは、また諸々変わってくるのかもしれません。

そういう意味で、この記事は、語学のオンラインレッスンとはこういうものですよね、という普遍化には、到底及びません。

ただ、1年弱ほどオンライン学習支援を続けてきて、役割としてのひとつの形が見えてきたのも事実で、学習者からのフィードバックを見る限り、満足度という点ではそこそこの手ごたえを感じています。

そして、いつも1時間のレッスンを終えてヘッドセットを外した後に、スポーツ1試合やった後のような、なんとも言えない爽快感があるのです。


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