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【日本語学習】教材もカリキュラムも、リミックス・アルバムのように仕上げる

どうも。オンライン日本語講師の布谷恒和です。

思えば昔から編集的作業が好きでした。

今の日本語講師の仕事でも、教科書とは別にネット上でいろいろなリソースを探しては、授業にざくざく組み込んでアレンジしていく作業が楽しく、自分にとって授業準備の半分以上はここに費やしていたと言えます。

教科書そのものも複数同時に使うことも日常的でした。幸いにもすくすく日本語力を伸ばしていけている学生たちを見て、「リミックスは最強」と確信しています。

なぜこの話をしているかというと、ひとつひとつの教科書や教材は、特にオンライン学習ではもはや単なる1アプリに過ぎず、いかにネット上のこの膨大な学習リソース群をどううまく使いこなせるかがキーになると思っているからです。

そこで学習者にとっても語学講師にとっても重要な力のひとつが「リミックス」なのではと。ということで今回は「リミックス」力(りょく)こそ注目されるべきということについて書きたいと思います。

独学者のほうがはるかに流暢という現実

まずは、今ぼくが担当している学生の中から特徴的な二人を紹介したいと思います。二人とも、ネイティブに限りなく近い日本語を話しますが、なんと学習歴はまだ3~4年ということろ。ところが、一度も学校で授業として日本語を学んだことがなく「独学で」ここまで来たというラーニング・モンスターです。

一人は会社員のTさん、もう一人は高校3年生のJさんです。

二人とも典型的なCBL(Content Based Learning)学習者で、Tさんはゲームと小説が好きで、Jさんはアニメと小説が好きで、《いつの間にか自然に日本語を習得してきている》という状況です。 

そして敢えて言ってしまいますが、ちゃんと学校で日本語を勉強してきた人より、ぶっちぎりで、はるかに流暢なのです。

会社員のTさんは、とにかくゲーム。ゲームで声優さんが話す日本語の声と音で日本語を独りでに学んでしまい、レベルが上がってきてからは、小説、特に近代文学を読みふけって、さらに凄みを増してきてる感じです。

オンラインで話しているとき、Tさんの口からは「宮沢賢治のよだかの星とか注文の多い料理店は、分かりやすくておもしろい。森鴎外はちょっと難しかった。夏目漱石の我輩は猫であるも難しかった。あとは怪談が好きだから、小泉八雲とかもちゃんと読んでみたい・・・」など作家やタイトルの名前がとめどなくばんばん出てきました。

一方、高校生のJさんは、たまたま見たアニメから声優の蒼井翔太さんが好きになり、専ら彼出演のアニメを見まくり・・・。日本語音声と母国語字幕で、音と意味を理解し、文字もネットで検索しているうちに覚えてしまったとのことでした。

ちなみにJさんは、日本語能力試験JLPTのN2を合格していますが、試験のための勉強などは全くしたことがないと言います(というか、机に向かって《勉強》することが苦手とのことでした)。

「N2試験の文法とかはどうやって攻略したの?」と聞いたら、Jさん「う~ん、なんかこれが自然かなぁ、これはないなぁ」という感じで答えていったら受かっちゃった、と言ってました。

検索した結果は全て教科書

この独学で日本語流暢になった二人の学生をもって、「じゃ、語学は好きなコンテンツで誰でも独学できるのだ」「とにかくネット上のリソースにアクセスしていればOK」と単純化してシャッターを下ろしてしまうのではなく、もう少しコーチ目線で習得の軌跡を辿ってみたいと思います。

1) コンテンツが先

二人は、日本語を学びたいから日本語のコンテンツを探したわけではなく、《好きなコンテンツが日本語だったから》日本語を勉強し始めたわけです。

そういう意味では、まず日々対する個々の日本語学習者の中にある『大好きなコンテンツは何か』ということを、ひときわ強く意識してもらうことが重要であるということ。またコーチ側に携わる我々は、その情報を《きちんと抑えておく、そしてそれを「てこ」にして学習サポートを広げていく》ことが非常に大事だと言えます。

2) 検索した結果は、全て教科書

先の二人がいみじくも言っていたのは、「いろいろ検索して・・・、検索して見つけて・・・」と、好きなコンテンツ関連のことを調べるために、鬼のようにGoogle検索をしていたということ。

そしてそれが、つまり検索して出てきた情報群(タイプミスで出てきた「もしかして...」のサジェスチョンも含めて)全てが彼らの日本語教科書だったということです。

自分に必要な情報を選別している過程で、情報を読み取る力や速読力なども養われたのだろうと容易に推測できます。

3) 勉強を勉強と思っていないから、いつまでも没頭できる

これももう、よく言われていることですが、彼らは自分の好きな日本語コンテンツにいそしんでいる時間は《勉強しているという感覚》を持っていません。

あ、なんか、結果的に勉強になっちゃったみたい~、という感じ。それでいて、超膨大な『理解できるインプット』の時間を、ストレスなくしっかりと日々確保しているのです。

小難しい顔して机に向かってなんとか「インプットしなきゃ、しなきゃ」と辛そうに喘いでいる学習者が到底かなうわけないのです。

この「いかに日本語の勉強を勉強と思わないほど、個々の学習者にとってエンタメ化されているかどうか」という意識を、我々語学コーチが腹落ちした形で持てているかどうかというのはとても大事な視点だと思っています。

そして、リミックス

もし全世界の日本語学習者全てが先の二人の独習者みたいに、自分自身で学び方をプロデュースできるパワフルな逸材だったら良いのですが、もちろんそんなことはありません。

中には情報の洪水に溺れてしまう人もいるでしょうし、非効率なやり方にとらわれてしまったり、うまく続けられなかったりする人も出てくるでしょう。

そんな中で語学コーチが初中級の日本語学習者と関わって、教材面で少しでも学習が捗る手助けができるとすれば、ひとつは「例えばこれとこれとこれ・・・をこんなやり方でやってみたらどうですか」という、いわばネット教材の《厳選アソート・XX講師セレクション》を提示するということではないでしょうか。

少なくとも、そこをベースに対話が生まれますし、逆に学生側からの提案でカスタマイズされ、ゆくゆくはその学生自身の教材集(プレイリスト)ができあがることへもつながるのです(そしてそれこそ動機付け強化につながるポイントのひとつだと思います)。

これだけ学習者もネット上の学習リソースも多様化してしまうと、何かひとつの教科書・教材だけなぞるということにほとんど意味がなくなってきていると感じています。

One size does not fit all. です。

そうすると、ネット上のあらゆる良質コンテンツの情報を取り込みつつ、

◆ 学習者自身:自分の好きな教材群ややり方を見つける

◆コーチ側: 個々の興味分野や課題に対してすばやくリコメンド教材群をミキシング提示できる

『リミックス力(りょく)』が双方に必要だと思うのです。

コーススタンダード7割、独習3割

そして今ぼくが取り組んでいることは、オンライン日本語スクール(フィリピン)で勉強したいという学習者向けのコース開発においても、リミックスを効かせるということです。

具体的には、まずカリキュラム設計全体では、コーススタンダード7割(根幹、共通、誰もが)、独習3割(学習者個別)のバランスでの構成を目指しています。

そしてもちろん、7割を占めるコースのスタンダード部分においても、複数の教材をリミックスさせており、映像、リスニング、読む(読み取る・読み解く)・書く・話すなどの学習素材がいろいろな形で入ってきます。

縦に横にいろいろな角度で日本語に触れることになり、カリキュラム全体がリミックス・アルバムのようになっているともいえます。

そして敢えて確保した3割の余白部分(独習時間)を個々の学習者と一緒に作っていくということになります。とことん好きなコンテンツにハマってもらい、学んだことをログに残してもらい、講師はそれにSNSライクな感じでコメント/フィードバックをしていくという形です。

この基礎の7割と自分で深堀るコンテンツの3割が、お互い影響を及ぼしあいながらの掛け算で、初級日本語をよりホンモノに近い形で伸ばしていってもらえたらという願いです。

おわりに

「教科書を超えて」「授業・レッスンを超えて」、オンライン語学コーチはどうやって多様な学習者の方々と関わっていったら最適な存在となり得るのか ー。

いろいろな切り口で考えられるこの問いに、今回は『リミックス力(りょく)』がもっと注目されるべき、ということについて書きました。(これは、いわばミュージシャンよりも《DJ》という視点を持つべき、と言い換えることもできるでしょう。)

いずれにしても、学習者に対しての傾聴と対話が根幹にあるのは言うまでもありません。全世界の学習者(ユーザー)がどんなコンテンツで勉強しているかを講師自身が知って行く中で『リミックス力(りょく)』は培われるのだと思います。

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