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バプテスマのヨハネが舞台を降り、イエスが舞台に上がる【クリスチャンは聖書をこう読んでいる #13】テキスト版

布忠がお届けする「でもクリ×聖書」第13回です。
「聖書にはこんなことが書いてあって、それをクリスチャンはこういうふうに読んでるんだよ」ということを語っています。
とある不勉強なクリスチャンの読み方なので、「こういうクリスチャンもいるんだな」くらいに、気楽にお付き合いください。

Youtubeに動画版もあげています。"ながら聞き"できるように語ってるつもりなので、ご多用の方はこちらをどうぞ↓

https://youtu.be/CXgd0jz1lnE

訂正

今回は、マタイの福音書4章12節から。

その前に訂正です。
前回まで「マタイによる福音書」と言ってましたが、今後は「マタイ福音書」とします。
この「でもクリ×聖書」では、新日本聖書刊行会が出している新改訳2017を使っているので、新改訳2017の目次に合わせます。
布忠は日本聖書協会の聖書になじんでいるもので、うっかり新共同訳の呼び方で「による」にしてしまっていました。

聖書に収録された各巻にはもともとタイトルなんかなかったので、各国語の翻訳でタイトルをつけてるんですね。

バプテスマのヨハネの逮捕とヘロデヤ

4章12節は、バプテスマのヨハネがつかまったという話です。

イエスはヨハネが捕らえられたと聞いて、ガリラヤに退かれた。
(4章12節)

いきなり、バプテスマのヨハネが捕まったと。
マタイによる福音書では詳しいことが書いてないのだけど、マルコの福音書6章に詳しいことが書いてあります。

東の博士の回にヘロデ一族について触れました。ヘロデ大王なきあと、その版図はテトラルキア(四人の領主)体制で、大王の3人の息子と大王の妹の4人で分割統治という体制になっています。

父はアリストブロス4世。この人は、ヘロデ大王とマリアムネ1世の子。つまりへロディアはハスモン朝の血をひいてるんですね。
母はベロニカ。この人は、ヘロデ大王の妹で「四人の領主」の一人であるサロメの娘。
ということでへロディアにとってヘロデ大王は、祖父であり大伯父であるということになります。

で、さらにこのへロディアが、「四人の領主」の一人ピリポ(フィリポ)と結婚していたのだけど、離婚して、やはり「四人の領主」の一人であるアンティパスと再婚したんですね。ピリポもアンティパスもヘロデ大王の子ですから、血が近いにもほどがあると思わざるをえないというか。
そうしたらバプテスマのヨハネが、アンティパスとへロディアの結婚を公然と批判したのです。

ヨハネがヘロデに、「あなたが兄弟の妻を自分のものにすることは、律法にかなっていない」と言い続けたからである。
(マルコの福音書6章18節)

ピーター・ドグレバー「ヘロデを非難する洗礼者ヨハネ」

上記はピーター・ドグレバー作「ヘロデを非難する洗礼者ヨハネ」です。ラクダの毛ごろもをまとい、十字架の杖を持ってるのがバプテスマのヨハネ。ヨハネが批判しているのは、近親結婚を重ねるヘロデ家のことではなく、へロディアのことでもなく、アンティパスが「兄弟ピリポの妻へロディア」を自分のものにしたことなんですね。「律法にかなっていない」とは、たとえば次の戒律に違反しているわけです。

あなたの兄弟の妻の裸をあらわにしてはならない。彼女の裸は、あなたの兄弟自身の裸である。
(レビ記18章16節)

聖書では逆に、兄が子供がなくて死んだ場合、弟は兄嫁をめとって、兄の家を継がせるための子を生ませなければならないという、レビラト婚の規定もあります(申命記25章5節)。
レビラト婚というのは、夫を亡くした女が夫の兄弟と再婚する習俗です。日本語(漢語?)では嫂婚(そうこん。嫂は兄嫁のこと)と訳されます。古代ユダヤだけでなく広く世界に見られる習俗なのだそうです。女性が女性のみで生きることが難しかった社会における、寡婦のためのセーフティネットの意味あいもあったのかもしれません。聖書では申命記25章で「息子がいない場合」とあり、兄の家を断絶させないためということが強調されますが、夫を失った妻にとっては息子が生活の支えとして必要ということも大きいのではと思います。

ただ、へロディアはフィリポと死別したわけではないので、アンティパスが彼女と再婚したのはレビラト婚の義務によるものではないわけです。
というかそれ以前に、ヘロデ家はイスラエル人じゃなくてイドマヤ人なんですよね。
アンティパスの律法違反をとがめるのは、ヤハウェとアブラハムの契約はイスラエルが相続したという旧約聖書のストーリーと矛盾するような。

でもヨハネとしては、イドマヤ人とはいえアブラハムの子孫だし、しかも神の民ユダヤ人を治めるガリラヤ領主であるアンティパスがこうも公然と律法を踏みにじるのは許容できなかったんでしょうね。

で、これがへロディアとしては気に入らないというので、
『へロディアはヨハネを恨み、彼を殺したいと思いながら、できずにいた』
というんですね。ヨハネを捕らえたのはアンティパスではなくへロディアの意思だったのかもしれません。
ただ、アンティパスはむしろヨハネを保護してへロディアに手出しさせないでいたようです(マルコの福音書6章20)

本稿冒頭の絵はジョバンニ・ファットーリの「ヘロデを非難する洗礼者ヨハネ」ですが、先ほどのピーター・ドグレバー作品と違って、ヘロデの宮殿にヨハネが乗り込んでアンティパスを批判している絵になっていて、『ヨハネが正しい人だと知っていたヘロデ(アンティパス)が、彼を恐れて保護し、その教えを聞いて非常に当惑しながらも、喜んで耳を傾けていた』という様子が出ているようにも思います。

ヨハネ退場、イエス登場

ところで、マタイは『イエスはヨハネが捕らえられたと聞いて、ガリラヤに退かれた。』と書いていて(4章12節)、ヨハネがつかまったと聞いてイエスが逃げたようにも思えますが、アンティパスはガリラヤ領主なので、ヨハネを捕らえたアンティパス(とへロディア)から逃げようと思ったならガリラヤに行くわけないです。
この「退かれた」は、エルサレムがあるユダヤ地方から見て辺境であるガリラヤに移ったというだけですね。
そしてマタイはこう続けています。

この時からイエスは宣教を開始し、「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから」と言われた。(4章17節)

じゃあなぜイエスは『ヨハネが捕らえられたと聞いて』から宣教を開始したのか。
前にも紹介しましたが、バプテスマのヨハネは、メシアを迎える準備をせよと呼び掛ける「荒野で叫ぶ声」です。
メシア以前とメシア以後をつなぐ者。
旧約聖書時代と新約聖書時代をつなぐ者。
旧約時代の最後の預言者と言ってもいい。

そんな、メシアに先駆ける者であるヨハネが捕らえられ、表舞台から退場させられたことは、「メシア以前」の時代が終わるということであり、メシアであるイエスが表舞台に登場する時が来たということになる。
たとえるなら、伝令が来て「王が到着される」と告げるようなもの。この伝令が引っ込むのは、王が到着した時です。
四つの福音書すべてが、イエスの活動開始の前にバプテスマのヨハネのことから書いてるのも、ヨハネに「イエスが、旧約聖書の告げていたメシアだ」と証言されることを意識した構成なのでしょう。

余談:ユダヤとアラブ

ヘロデ家はユダヤ人ではなくイドマヤ人だと言いました。系図にするとこうなります。
アブラハム
┣イシュマエル ・・・アラブ人
┗イサク
 ┣エサウ ・・・イドマヤ人
 ┗ヤコブ ・・・イスラエル人

アブラハムは、正妻サラが所有する女奴隷ハガルが生んだ長男イシュマエルと、次男だけど正妻サラが生んだイサクを授かりましたが、ヤハウェとの契約はイサクが相続しました。
イサクは、長男エサウと次男ヤコブという双子を授かりましたが、ヤハウェとの契約はヤコブが相続しました。
エサウの子孫がイドマヤ人。
ヤコブの子孫がイスラエル人。
イシュマエルの子孫がアラブ人です。

で、イスラムでは、アブラハムと神の契約は長男イシュマエルが相続し、アラブ人に受け継がれた、ということになっているのだそうです。イシュマエルが嫡子だと。

現代日本では法的には相続について兄弟は対等となっていますが、感覚的には長男が家を継ぐのが「当たり前な感じ」が残ってますよね。
でも、兄弟の内の誰が家を継ぐかということは、文化によって違います。
たとえば遊牧民には、末子相続が「当たり前な感じ」があるそうです。上の子から順に親元から独立していって、あるいは親に先立ってしまって、最後に親元に残った子が相続するのだそうです。

アブラハム一族は遊牧民出身ではあるけれど、旧約聖書は長子相続が基本になっているので、(イシュマエルとイサクのどちらが嫡出子かというのを別にすれば)長子イシュマエルがアブラハム契約を相続したというイスラムの考え方のほうが「当たり前な感じ」と言えるかもしれません。
ちなみに聖書によれば、イシュマエルの母ハガルはイサクの母サラが所有する奴隷で、そして女奴隷が生んだ子は女主人の子として扱われました。今でいう代理母のようなもので、妾腹だから相続の優先順位が低くなるということではないんですね。
イスラエル12部族の祖となるヤコブの12人の息子も、そのうち4人の母は奴隷ですが(6人の母は第1夫人レア、2人の母は第2夫人ラケル)、母が奴隷ということで12兄弟がもめた様子はありません(別の理由で強烈なもめ方をしていますが)

何が言いたいかというとですね。

イシュマエルとイサクも、仲のいい兄弟だったんです。母どうし(ハガルとサラ)は強烈に仲が悪くて、最後はサラがアブラハムに要求して、ハガルとイシュマエルを追放させたほどなのに。
アブラハムが死んだときには、たぶん追放されていたイシュマエルをイサクが呼んだんでしょう、二人でアブラハムを葬っています。

イスラエルのご先祖のイサクと、アラブのご先祖のイシュマエルが、仲のいい兄弟だったというんですよ。
イスラエルとアラブがいつまでも仲が悪いのって、ご先祖のイシュマエルとイサクが見たらどう思うだろうかと。むしろご先祖のように、イスラエルとアラブも仲良くなれるときが来るんじゃないかと思うんです。

まあ、ユダヤとアラブの問題の99%以上はキリスト教徒のせいなんですけどね。

余談の余談:中東問題かなりキリスト教徒のせい

現在のパレスティナがオスマン帝国領だった時代には、エルサレムではイスラム教徒もユダヤ教徒もキリスト教徒も共存していました。オスマン帝国には宗教の自由がありましたから。
イスラム教徒以外は税金が重いなどの区別はありましたが。キリスト教国みたいに、改宗を強制したり、ユダヤ人虐殺が繰り返されたりということはなかったようです。
その平和共存をぶち壊したのは、キリスト教徒の十字軍でした。

さらにイギリスが、第一次大戦ではアラブには「フサイン=マクマホン協定」、ユダヤ人には「バルフォア宣言」という二枚舌外交で、パレスティナ地方の所有について中東問題のタネをまき(さらにはサイクス=ピコ協定ではパレスティナを国際管理とするという三枚舌外交!)、第二次大戦後には立つ鳥おもいきり跡をにごして。

21世紀になってもそうですね。2005年にイスラエルがガザ地区から撤退するとき、イスラエルとガザ地区との境界はEUが守るという約束でしたよね?今どこにいます?
先日もパレスチナから山のようにロケットミサイルがイスラエルに打ち込まれましたが、イスラエルがガザから撤退しても安全なようにすると約束したキリスト教徒たちはどこで何をしている?

でもって、イスラエルが市民を守るために反撃するのをまって「報復だ」と批判する。
これがキリスト教徒のやり方か!

日本の教会も同じ。
イスラエルがパレスティナからのテロ攻撃に反撃したとき、日本のプロテスタントの某教派では「先に攻撃されたからと言って反撃するな」という声明を駐日イスラエル大使館に突きつけたのだけど、これって「ユダヤ人はだまって殺されてろ」以外の意味ないですよね。

反ユダヤ主義とユダヤ人虐殺は今も、日本を含めたキリスト教徒の伝統であり続けてるんですね。

エンディング:次回のことなど

おかしいな。
イサクとイシュマエルが仲良かったんだから、ユダヤ教とイスラム教、イスラエルとアラブも仲良くできるはずだ、って言おうと思ったのだけど。
なんで、反ユダヤ主義とユダヤ人虐殺がクリスチャンの伝統だという話になったんだっけ。
毎度のことですが、本稿はあくまで「布忠という一人のキリスト信徒の見解」であって、意見には個人差があります。

次回は4章後半の、イエスが弟子をスカウトしていくところを取り上げます。

では。
あなたと、あなたの大切な人たちに、神様のご加護がありますように。

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