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西暦(キリスト紀元)の話/「メシアはナザレ人」の預言がわからないです【クリスチャンは聖書をこう読んでいる #7】テキスト版

布忠がお届けする、「でもクリ×聖書」第7回です。
「聖書にはこんなことが書いてあって、それをクリスチャンはこういうふうに読んでるんだよ」ということを、聖書にあまりなじみがない方むけに、語っています。

気楽にしゃべってるので、気楽に聴いてください。
Youtubeに動画版もあげています。"ながら聞き"できるように語ってるつもりなので、ご多用の方はこちらをどうぞ。↓

今回は、マタイによる福音書2章19節から。

エジプトからの帰還

ヨセフがお告げを受けて、ヘロデ大王による幼児大量虐殺を回避してエジプトに避難していた聖家族(イエス、マリア、ヨセフ)でしたが、ヘロデ大王が死ぬとまたヨセフの夢に天使が現れ、ユダヤに帰ってよいと告げます。

イエスが生まれたのがいつなのか正確なところはわかっていませんが、ヘロデ大王の没年については、紀元前4年だとわかっています。

西暦=キリスト紀元の話

「紀元」とか「紀元前」とかいいますけど、「紀元」っていっぱいあるんですよね。
スリランカなど仏教国の釈迦入滅紀元(仏暦)とか。
タイではまた数え方が違う仏暦が使われてるし。
イスラムではヒジュラ紀元(イスラム暦)があるし。
日本にも神武紀元(神武天皇即位紀元=皇紀)があるし。
なので、「紀元」「紀元前」は、「キリスト紀元」「キリスト紀元前」です。
クリスチャンで「元号を使う日本人は偏狭なナショナリズムだ」なんていう人もいるのだけど、そういう言い方されると「西暦=キリスト紀元を押し付けるキリスト教徒が偏狭な原理主義者だ」と言い返したくなります。
ちなみにですね、ユダヤ教のイスラエルや、イスラム教のアラブ諸国でもキリスト紀元(A.D.)は併用されてるけど、その場合は「共通暦(C.E.)」と呼んでいます。「元号は偏狭」というならせめて、キリスト紀元がすべての「〇〇紀元」を代表するかのような僭越なこと言ってないで、共通暦C.E.を使えと主張したらどうなんだ、と。

いや、いいんですけどね。どうもキリスト教の人って「あなたたちがしていることは間違っている。同じことを我々キリスト教がやるのは問題ない」って振りかざし方をするのが、恥ずかしくて。
「政治家が私費で玉ぐし料を出すのは違憲だ」という人が、ノートルダム大聖堂の火災被害を日本政府が支援表明したときは何も言わなかったし。憲法89条に違反してるとしたらどっちだ、と。

ごめんなさい、へんに熱くなってます。

キリスト紀元の話に戻すと(いや、そこに戻すんか、と)、修道士ディオニュソス・エクシグウスががんばってイエスの降誕年を割り出して元年とした、はずだったんですが。
ヘロデ大王の没年が紀元前4年なんですよ。
イエスの降誕(キリスト紀元元年)はそれより昔なんですよ。
「紀元元年は、紀元前4年かそれより昔」って、なんのギャグですか、と。

「クリスチャンは西暦を使え」っていうのは、「イエス降誕を神は紀元前4年に実現したけど、それを紀元元年だったことにしよう」っていう、歴史改竄なんですよ。

さすがに「キリスト降誕紀元」と言い張るのは無理があるということでね。キリスト紀元の略とされる「A.D.」は、ラテン語 Ab incarnatione Dominiの略でした。これは「主の体現より」と訳されるけど、その意味は「神である主キリストが肉体を持った時より」ということ、つまりキリスト降誕紀元という意味だった。
それを「Anno Dominiの略ということにしよう」って変更したんですね。これは「主の年」というふわっとした意味です。

でも、この欺瞞も無理があるじゃないですか。
「主の年ってどういう意味?」ってきかれても、答えようがない。あとづけで説明をつくることしかできない。普及してしまっていた「A.D.」ありきで、あとから「A.D.は何の略か」を変更したんだから。

こんなクイズがあったら、誰も答えられないわけですよ。
『釈迦入滅紀元は、おしゃかさまが入滅した年が元年、
神武紀元は、初代天皇の神武が即位した年が元年ですが、
ではキリスト紀元は、どんなできごとがあった年が元年でしょうか?」
これはもう、「何もなかった年」としか言いようがないですよね。キリスト降誕年と思ってたけど、それは紀元前4年かそれ以前だったんだから。

皇紀を批判するクリスチャンが「科学的でない!伝説だ!」なんていうけど。
釈迦入滅紀元だって、歴史上の「釈迦の没年」じゃなくて、教義上の「入滅した年」が元年ですよ。
韓国の檀君紀元なんか、もろ神話ですよ。
そしてキリスト紀元なんて、「科学的な根拠」どころか「教義上の根拠」もないんですよ。

なんで今回こんな熱くなってるんだっけ。

熱くなってるついでにもう一つだけ。
明治日本みたいに、「キリスト教徒に植民地にされたからじゃなくてキリスト紀元を導入した国」って、多くないですよね。
キリスト紀元を使ってる国が多いのって、ヨーロッパのキリスト教国とその植民地がほとんどじゃないですか。キリスト教徒が植民地獲得競争とかいって征服を進めて、世界中にキリスト紀元を押し付けたからじゃないですか。
なにを「キリスト紀元が世界中で使われてる」って喜んでるの?それぞれの国、民族、文化で使われていた暦を、キリスト教徒が力づくで奪って、キリスト紀元を押し付けた結果でしょ。

ぼくは、西暦が便利だからというので使ってます。
でも「クリスチャンだったら西暦を使え」なんて言われると、「あんた、恥ずかしくないのか?」って、思ってしまいます。思うだけで、言えないけどね。
「先輩クリスチャンたちが征服して植民地にしてまで、せっかく力づくで異教徒たちにキリスト紀元を押し付けたのに、その成果を無視するな」なんて、ぼくは恥ずかしいです。

脱線しすぎですよね。聖家族がエジプトからユダヤに帰ってくる話です。

ヘロデ大王の息子たち

聖家族が「ヘロデ大王が死んだ」というのでエジプトから帰ってきたら、ヘロデ大王の息子のアルケラオ(世界史ではアルケラオス)がユダヤを治めてたんですね。

ローマ帝国の支配下のユダヤでなぜ「大王」なのかって違和感あると思いますが、息子のHerodと区別するためにHerod the Greatと呼ばれてるのを日本では大王と訳してるようです。
ところが、ヘロデ大王を「ユダヤ王」と認めたローマ元老院は、その息子たちの誰も王とは認めなかった。領主にしか任じなかったったんです。
ディオクレティアヌス帝がローマ帝国を4分割して4人で統治したことを「テトラルキア」と言いますが、ヘロデ大王後のユダヤもテトラルキア体制、4人の領主による分割統治となりました。
で、アルケラオがユダヤ、サマリアなど。
アンティパスがガリラヤなど。
フィリポがガリラヤのさらに北東あたり。
もうひとりは、ヘロデ大王の妹のサロメ。彼女は地中海岸の一部などを治めました。
ちなみに上記のヘロデの息子たちは3人とも、母はマリアムネではありません。ハスモン朝の血はひいてないです。

ここからはもう余談ですが、ヘロデ大王の孫にあたるアグリッパ1世がカリグラ帝と親しかったこともあって、フィリッポスの死後にその地の総督となります。
アンティパスの失脚後にその地もアグリッパ1世に与えられます。
アルケラオは早くに失脚してその領地はローマ直轄となっていたのだけど、そこもアグリッパ1世に与えられて、彼はヘロデ大王の版図をほぼほぼ回復、面積はむしろ大王を上回りました。それでもアグリッパ1世はユダヤ王ではなく総督でしたが。

このアグリッパ1世が、使徒の働き(使徒言行録)に出てくる「ヘロデ」です。
ベツレヘム虐殺を指示した「ヘロデ」は、ヘロデ大王。
このあとイエスの裁判などで福音書に登場する「ヘロデ」は、アンティパスです。

アンティパスと妻ヘロデヤのことも面白んですけどね。
ヘロデヤはフィリポの妻だったのが、離婚してアンティパスの妻になるんですよ。で、アンティパスに「ヘロデ大王みたいに、ユダヤ王としてローマから認めてもらえ」とけしかけるのだけど、それがきっかけでアンティパスはカリグラ帝に追放され失脚。
ヘロデヤもなかなかの毒婦というか傾城というか。次回に登場するバプテスマのヨハネとの関係もあって、ヘロデヤはたぶん聖書でも一、二を争う悪女の印象なのだけど。
ただ、追放されたのはアンティパスだけで、ヘロデヤはカリグラ帝とつながりがあったので追放されなかったのに、彼女は追放されたアンティパスについていくんですよ。死が二人をわかつまで添い遂げるんですよ。
もしかして、フィリポとわかれたのも、アンティパスを出世させようとしたのも、アンティパスへの愛ゆえだったのかも?

大王の父アンティパトロスから始めて、ヘロデ大王、アンティパスとヘロデア、アグリッパ1世まで一族の物語を描いたら面白いと思うんだけどなぁ。悪役一族ってことになってるから難しいか。

聖書好きで歴史好きなものですみません。話を進めます。

ナザレ人と呼ばれる

ヨセフたちがエジプトから帰って来ると、ユダヤはアルケラオが支配していた、という話でしたね。
ヨセフがどうしようかと思っていると、またお告げがあって、ガリラヤのナザレという町に住んだ、と書かれています。
ガリラヤを治めるアンティパスは、歴史家ヨセフスも「平穏を愛する」と評しているくらいだし、ヤハウェが「ナザレに」と指示してるのも(アルケラオが治めるユダヤより)安全だったんでしょう。

ところで、メシアはナザレ人と呼ばれることが預言されていた、とマタイは書いているのだけど。

ナザレという町に行って住んだ。これは預言者たちを通して「彼はナザレ人と呼ばれる」と語られていたことが成就するためであった。(マタイ2章23節)

旧約聖書にそんな預言は、無ぇ!
ていうか、ナザレが旧約聖書に出てこねぇ!

よく言われるのは、このナザレ人は「旧約聖書で、メシアが人々から侮辱を受けるということが繰り返し預言されていることを指しているんじゃないか」説です。
ナザレ人というのは「田舎者」みたいな侮蔑の意味だろうと。で、イエスが「ナザレ人」と呼ばれたのは、預言者たちが「メシアは侮辱を受ける」と預言していたことの実現だったんだ、と。

でもこれだと、メシアが侮辱されるという預言は、イエスがナザレ人と呼ばれたことで実現完了ということになってしまうような。
ひとつの預言が二度実現する、という解釈もありますが、今のところ布忠はそれに納得できてないんです。「聖書のここの預言は、聖書のこちらで実現してるのだけど、実は将来またいつか実現するんだ」って、よくわからない。今回は脱線が多すぎなのでこれを掘り下げるのはやめておきますが。
あと、「ナザレ人」が「侮辱される者」という意味だというなら、イエスの弟子たちがイエスを「ナザレ人」と紹介してるのもわからないし(使徒4:10)

じゃあナザレ人って何?
「ナザレ=ネツェル」という説もあります。

エッサイの根株から新芽が生え、
その根から若枝(ネツェル)が出て実を結ぶ。
その上に主の霊がとどまる。(イザヤ11章1-2)。

ここでエッサイというのはダビデ王の父で、新芽とか若枝というのがメシアを指していると考えらえる、つまりダビデの家系からメシアが生まれるという預言です。
この若枝(ネツェル)とナザレは、発音は違いますが同じ字なんです。なので、イエスがナザレに住んだことをマタイは、メシアがネツェルと呼ばれる預言に関連付けてるのでは、と。
それじゃこじつけだともいわれますが、でも聖書ってこういう言葉遊び的なこじつけが普通の表現として使われることも多いんですね。ヘブライ語が子音文字しかないので、違う言葉が文字にすると同じになるのはヘブライ語あるあるだし。

個人的には、マタイはほかのところでは「預言者をとおして」という言い方をしてるのに(1章22節等)、ここでは「預言者たちを」って言ってるのも気になります。
「この預言書のこの言葉」という具体的なことをマタイはイメージしていたんじゃなくて「預言者たちをとおして告げられていたことをまとめると」って少しふわっとさせてるというか。
で、旧約聖書そのものを指して「預言者」ともいうんですね。ユダヤ教では今も、旧約聖書の預言書パートはもちろん、歴史書パートも「預言者」と呼びます。
だからマタイが「預言者たちをとおして」と言ってるのは、「旧約聖書全体をとおして」という意味なのかなとも思います。

今回は、脱線で長くなりました。
前回までだいたい3500文字くらいで書いてたのが、5000文字超えになってしまった。
えー、毎回のように言ってますが、意見には個人差があります。
「でもクリ×聖書」はあくまで、布忠という「とある一人のキリスト信者」の視点です。ふだんからこんな感じで、聖書解釈の定説にも「それ本当かよ。違ってない?」と首をかしげながら、聖書を楽しんでいます。
「わからない」を楽しむのも、聖書を読むときのコツの一つだと思うんです。「ここがわらかないと先に進めない」と言ってると、ほんと進めなくなるし。「ま、でも次にここを読んだときにはわかるかもしれないし」という感じです。

では。
あなたと、あなたの大切な人たちに、神様のご加護がありますように。

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