イエス・キリストの系図【クリスチャンは聖書をこう読んでいる #2】テキスト版

「でもクリ×聖書」第2回です。
「聖書にはこんなことが書いてあって、それをクリスチャンはこういうふうに読んでるんだよ」ということを、聖書やキリスト教にあまりなじみがない方むけに語っていきます。

動画版もあります↓

クリスチャンや教会を代表するものではありません。「こんなやつでもクリスチャンやってるんだな」くらいの軽いノリで聞いてください。
「お前だれだよ」という方は、第0回の自己紹介をどうぞ↓

聖書の章と節

本題に入る前に、章節について説明しておきます。
聖書を開くと、1ページあるいは数ページごとに出てくる大きなフォントの数字があります。これが章の番号です。
そして数行ごとに、ルビのような小さなフォントの数字が出てきます。これは節の番号です。

で、今回はマタイによる福音書1章2節から17節です。

イエス・キリストの系図

系図というだけであって、ここからずっと人名の羅列になっているのですが。
聖書の日本語訳は何種類かありますが、人名などの固有名詞をカタカナでどう表現するかも微妙に違ってきたりします。
で、「でもクリ×聖書」では、新改訳2017という翻訳を読んでいきます。これは、新改訳2017が特にすぐれているといった意図ではなく、たまたま、布忠が持ってるけどまだ読破していない翻訳だからです。

系図は
『アブラハムがイサクを生み、イサクがヤコブを生み、ヤコブがユダとその兄弟たちを生み』
という調子で、40人以上の人名が父から子へとずらずら並べられて、イエス・キリストの系図ですと示されています。
「聖書でも読んでみるか」と思ったら最初のページがこれだもの、読む気をなくしません?

あえて言い切るけど、この系図はスルーしてもいいです。いつか旧約聖書を読む機会があって、その時にここに出てくる人名と出会ったとき、「ああ、あの人か」と思い出せたらそれでいいかと。

ただ、この「でもクリ×聖書」は、「クリスチャンは聖書をこう読んでいる」ということをやろうとしているので、何人かピックアップして語ろうと思います。

有名人ピックアップ

まず系図の最初に出てくるアブラハム。
ユダヤ教とキリスト教の神、カタカナだと「ヤハウェ」とか「ヤーウェ」と呼ばれる神ですね、アブラハムと、このヤハウェという神が契約を結んだことから、神の民イスラエルの物語が始まりました。

次に注目するのは、3代目のヤコブ。聖書には同名異人が多いですが、このヤコブはアブラハムの孫です。この人が、神ヤハウェから「イスラエル」という名前をもらって改名します。イスラエルというのは最初は個人名だったんです。

4代目は「ユダとその兄弟たち」ですね。ヤコブことイスラエルの12人の息子たち。これがイスラエル12部族の祖となります。
創世記で、イスラエルの王位はユダ族から離れないということが預言されています。それを知っているユダヤ人やキリスト教徒がここを読むと、「メシア(キリスト)」は「王」のことでもあるので、アブラハムからイエス・キリストへの系図がヤコブの息子12人のうちユダ(ユダ族)に続いているのは「そりゃそうだよね」となるんです。

次は少し飛んで、6節に出てくるダビデ。
イスラエルが王国になったとき、初代の王はユダ族ではなかったけれど、ユダ族のダビデが第2代の王になります。
次のソロモンも有名ですね。古代イスラエル王国の第3代の王で、ダビデの子だからユダ族。このソロモン王は「ソロモンの叡智」なんていうほど、人間離れした知恵をヤハウェから授かっていたのだけど、ただ子供の教育だけは失敗した。
次のレハベアムというのがバカ息子で、父ソロモンのあとを継いで王になったとたんに、暴君宣言。このため、イスラエル12部族のうち10部族が「ダビデ王朝じゃやってられない」と分離独立してしまう。これ以後、北の10部族がイスラエル王国、南の2部族がユダ王国となります。
ちなみに、のちの時代に南王国ユダの末裔がユダヤ人と呼ばれるようになります。

系図はレハベアムの子へと、ユダ王国のダビデ家をたどっていきいます。
ただ、問題になるのは、12節にエコンヤが出てくることです。旧約聖書を知ってると、ここで「え?」てなるんです。

キリストの系図にエコンヤだと!

イエスがキリストだというなら、その系図がアブラハムから始まって、ユダ族のダビデの家系につながってここまできたのはいい。
けど、エコンヤだと?

というのは、メシアはダビデ家から現れることが旧約聖書で預言されていたけれど、エコンヤ王の子孫が王位に就くことはないということも預言されているんです。
(エレミヤ書22章24節。新共同訳の表記ではコンヤ)

で、エコンヤの頃に、ユダ王国は新バビロニアに征服されてしまうんですね。王族含めて、おもだった人々は新バビロニアに強制移住させられてしまう。
このできごとを日本語で捕囚、捕虜の捕に囚人の囚です。英語だとエグザイルと言います。あのダンス&ボーカルのエグザイルはここから名前をとったそうです。

そして、実際にエコンヤ王の王子たちもその子孫も、王位にはつくことはありませんでいた。
エコンヤの子がゼデキヤで、エコンヤの叔父と同じ名前なのがややこしいですが、ユダ王国最後の王のゼデキヤはエコンヤの叔父のほうです(歴代誌二3章15-16)。

というわけで、イエス・キリストの系図の話に戻ると、メシア(キリスト)は「王」という意味もあるので、旧約聖書を知っていると「イエスがキリストだというなら、なぜその系図にエコンヤの名前が出てくるんだ。エコンヤの子孫が王(メシア)になるはずがないだろ」ということになるんです。

ところがこの系図をさらに読み進めるとですね。
ずっと「誰々が誰々を生み」というフォーマットで父から息子へと系図をつなげてきたのが、最後だけパターンが違ってるんです。
『ヤコブがマリアの夫ヨセフを生んだ。キリストと呼ばれるイエスは、このマリアからお生まれになった』
と書いてある。
フォーマットどおりに「ヨセフはイエスを生んだ」とは書かない。
そうすることでマタイは、「イエスは、ヨセフの家に生まれたけど、ヨセフと血のつながりはない。イエスは、メシア(王)について預言されていたとおり、アブラハムの子孫で、ユダ族のダビデ家の家系に生まれて、でもエコンヤの血をひいていない」ということを示しているわけです。

そうすると読者としては、「ヨセフの子としてではなく、ヨセフの妻マリアからイエスが生まれたというのはどういうわけだ?」ってなりますよね。
ここで、聖母マリア様の処女懐胎とか処女降誕という話になるわけですが、これについては次回、1章18節から読むことにします。
(布忠はプロテスタントで、イエスの母マリアを「聖母」と読んだり「様」づけしたりする習慣はないのですが、この企画では「聖書になじみのない人」に通じやすそうな表現を心がけています)

イエス・キリストの系図の説得力

ところで。
ユダヤ人は基本的に、キリスト教が大嫌いです。
何しろこの約2千年というもの、キリスト教徒はユダヤ人をさんざん苦しめてきましたからね。反ユダヤ主義はキリスト教の悪しき伝統なんですね。
中東問題は「ユダヤ人のイスラエル」と「イスラム教徒のアラブ諸国」という対立構造で扱われることが多いですが、アラブ人よりもイスラム教徒よりも、キリスト教徒こそがユダヤ人を苦しめ、奪い、蹂躙し、殺してきたというのが事実です。
現代でもキリスト教徒の反ユダヤ主義は根強いものがありますし、そりゃユダヤ人からしたら「キリスト教徒を警戒しろ、近づくな」てなりますよね。

ところが近年、ユダヤ人なのにイエスを信じるようになった人というのが少しずつ増えてきているんです。で、その中には、新約聖書を手に取ってみて、最初のページでこのイエスの系図を読んだだけで「なるほど、イエスというのは確かにキリスト、旧約聖書で預言されていたメシアだ」と信じたと証言している人もいます。この系図はそれくらい、旧約聖書を知っている人にとって説得力があるんですね。

なお、ユダヤ人で「イエスがメシアだ」と信じた人たちは、クリスチャンとは名乗らなくて、メシアニックとかビリーバーと名乗っています。彼らにクリスチャンがどれほどの悪逆非道を行ってきたかなどを考えると、「クリスチャンになった」という考え方はできないのでしょうね。

「でもクリ×聖書」はあくまで、布忠という一人のキリスト信者が聖書をこう読んでいるというものです。浅いやつが浅いこと語ってる自覚はあるので、キリスト教を代表するものではないし、これが正統的というつもりもないことをご理解ください。

では、また。

あなたと、あなたの大切な人たちに、神様のご加護がありますように。

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