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ヒッチハイクしたトラックが牛をはねたこと インド/リシュケシュ /2012.07

私たちは、滝に向かって歩いていた。滝に向かう道というと、気持ちが良さそうな山路を歩いていそうにおもえるが、私たちのはそうではない。歩行者用のスペースもない単なる車道を、私たちはふらふらと歩いているのだった。

この滝に行くことになったきっかけは、昨晩にデリーから乗ったバスの中で知り合った、ナリィータが手に入れた口コミ情報だった。お互いに一人旅だということもあり、私たちはバスの中で意気投合した。そして自然な会話の流れで、リシュケシュでの滞在を共に過ごすことに決まった。暗い車内で、片言の英語ながらも、私たちはおしゃべりを楽しんだ。デリーの映画業界で働いているという、ムンバイ出身のインド人女子、ナリィータ。くっきりとした顔つきで漆黒の長い髪を揺らす彼女は、その要素は私たちが思い浮かべそうなインド人の様子なのだけれど、私の目の前に見せている姿、ボストンバッグを持って休暇でポンと旅行に出かけるそれは、日本人の女子と何ら変わりない今時の女子だ。

このナリィータのお陰で、バス停に着いてからのリシュケシュの市街地までの移動は、ただただ楽だった。バス停からの移動手段、乗り合いオートリキシャーはナリィータがヒンディー語で値段交渉をして、すぐに交渉は成立。インド人のヒンディー語での交渉なので金額をぼられることもなく、平和に乗車することができた。(後日、ひとりでリシュケシュからハリドワール行きの乗り合いリキシャーに乗り、降車時、ドライバーと大げんかをすることになる)
さっき友達になったばかりの私たちは、今は一分の隙もない座席に身を寄せ合い、顔をつき合わせて話している。ぎゅうぎゅう詰めで座席に尻を置き、顔に埃っぽい風を受けながら、それでも私たちは気持ちがよかった。これから始まる、出会ったばかりの友達との旅という状況が、何よりも新鮮だったのだ。少しぐらいの不安事など、全くないようにおもう。ナリィータが他の乗客とヒンディー語で早口に話しているのをぼうっと聴きながら、車外の風景を見ていた。

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リキシャーがリシュケシュに着いた後も、ナリィータの絶大なインド人効果のお陰で、旅は順調だった。インド人と行動を共にしているだけで、これ程までに旅の様子は変わるものなのだと、いたく感動した。ひとり又はインド人でない知り合いとでインド人に道を訊くと、その場合、間違った道を教えられるということは、多分にある。それが、ナヒィータと一緒にいるとなると、そんなことは微塵も起こらないのだ。


「街の中心はどこ?」「あっちだよ」
「この道はどっちに行けばいい?」「こっちね」


光に照らされたように、眼前にするすると道が示されていく。その順調さには、インドのヒンドゥーの神様がここにいるのかもしれないな…とおもってもいいような気がした。この土地の空気が人が、きっと、不可思議なそういう気持ちにさせるのだろう。


道案内のやり取りの間、当然ながら、私は何もすることがなかった。そして、ただナヒィータの後を追うように、彼女とはぐれてはなるものかと必死で歩いた。大きなバックパックを背負い、よたよたと彼女に歩調を合わせる姿は、前からも後ろからも見ても、大いに滑稽だっただろうなと思う。

街の繁華街に行くすがら、施しを乞う人々に出会う場面が何回かあった。インドで街を歩くと、どこにでも見られる行為だ。大抵はヒンディー語でごにょごにょと話しかけてくるので、人々が何を言っているのかをちゃんと知りたいと、私は常日頃から思っていた。なので、ナヒィータに聞いてみた。


「この人、今、何て言ったの?」「金くれ」
「えっ、それだけ?」「それだけ」


予想外なのかというとそうでもないのだが、ただ “Money”とだけ言い放ったナヒィータの言葉が、印象的だったのだ。やっぱり金だよなぁと心の中でぼんやりと唱えながら、繁華街へと続く坂道を下った。その後、私たちが路端で喜捨を施すことはなかった。

小さなヒンドゥー寺院に、狭い道の両端に軒を連ねるみやげ物屋。そして、眼下にはガンジス川が流れている。インドのなんてことはないありふれた景色なのだけれど、山間にあってガンジス川の大きさがそんなに大きくはないからなのかどうか、ここはデリーと比べると、落ち着いた街であるように感じる。いわゆる田舎っぽさといえばいいか、懐かしみのある素朴な場所に、歩いているとぽつぽつと出会うのだ。

中心街から道を外れてしまうと土の小路が続き、それに沿うように民家が立つ。ガンジス川の辺りでは、人々がゆったりと散歩をしていたり、水浴び(沐浴ではない)を楽しんでいる。牛も、同じく水辺を散歩をしていた。とはいえインドの街の喧騒は、ここもそう変わりはないのだが。

いつもだったら面倒な宿探しも、ナヒィータ効果は絶大だった。ラクシュマン・ジューラー橋を渡って程なくして、インド人の視点で見つけた宿にぽんと入り、さくっとチェックインを済ませた。吹き抜けになった廊下からは、ガンジス川が顔を覗かせている。リシュケシュでの滞在、ここでナヒィータと寝起きを共にすることになる。

ことのはずみで始まった、インド人女子との旅。これからどうなるのだろうという不安な気持ちは、一切なかった。新しい友達と始まった、旅。期待に胸を膨らませ、嬉しい気持ちでいっぱいだった。部屋に荷物を置き、私たちは再びリシュケシュの街中へと繰り出した。

宿のフロントで教えてもらった観光情報を頼りに、私たちは北へと歩を進める。レストランや宿屋などが立ち並ぶ通りを、軒先の人や物に目を奪われながら、ぽてぽてと歩く。賑やかな通りを過ぎてしまうと、店は数えられる程度に減り、散歩道といったふうになった。左手には小さくガンジス川が流れ、時折アーシュラムやヒンズー寺院が姿を現す。眼前に広がる穏やかな景色は、散歩するのには最適だった。ああ、あのビートルズもこの地を訪れたんだなとおもうと、この地に何か特別な空気が存在するように感じる。私たちはにこにこ笑顔で歩きながら、リシュケシュに来て良かったと、心からそうおもっていたに違いなかった。

ガンジス川を見下ろせる道が尽きてしまうと、道は単なる車道になった。これを境目にして、旅はあらぬ方へと、進路を変えることになるのだけれど…。しかし、そんなことはもちろん、その時の私たちは知る由もない。

歩行者用のスペースもない車道を歩くのは、全く面白くなかった。傍を車がビュンビュン通り過ぎていくし、微妙な坂道が、地味に辛い。先頃ラダックでトレッキングをしたというのに、何だかそれよりも、ずっと辛い。ここにはリシュケシュを感じられる要素は微塵もなく、この道の行く手に滝があるのかさえ、信じ難かった。私たちは、目の前の道を消化するように、もくもくと歩いた。軽い散歩のつもりだったのに、どうしてこうなってしまったのだろう。


突然、ナヒィータが大きな声を出した。
「ああ、くそっ。サンダルが壊れたわ!」
見ると、ナヒィータのサンダルの鼻緒の部分が、切れてしまっている。ナヒィータは、見るからに散歩には不向きそうな、かかとが少し高いサンダルを履いてきていたのだった。こんな道を歩くとは思ってもみなかったし、軽い旅行のつもりでデリーから出てきたのだから、それは仕方がない。ただ、運が悪かったのだ。この後、明らかにナヒィータの機嫌は悪くなったが、そのことをずるずると引きずることはなかったのは、まだよかったといえる。しかし、サンダルが壊れるなんて、滅多にないことなのに…。ついてないな。

しかし、この不吉な出来事はこれから起こる出来事に比べると、単なる前置きに過ぎなかったことを後に知ることになる...。

サンダルが壊れてしまった片足は裸足で、車道を歩き始めてから数十分が経っただろうか。道路に面する形で商店兼茶屋が私たちを待ち構えるように現れ、そこで休憩を取ることにした。二人で一皿のパコラを注文した。売店から道路を挟んだ反対側の飲食スペースで食べた。味は、普通においしかった。

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ここから滝まではそう遠くはなかっただろうとおもわれるのだが、ナヒィータのサンダルが壊れたこともあり気分が乗らなくやる気が下がってしまった為、滝に行くことはやめてしまった。私は残念だったが、まあ当然の成り行きだといえよう。


にわかにナヒィータが売店へと歩いて行き、何やら店のおじさんと話し始めたかとおもうと、少ししてから席に戻ってきたナヒィータの手は、何かを掴んでいた。およよ、と、びっくりした。それは、店のおじさんの使い古したサンダルだった。色も見た目も、日本の便所スリッパと殆ど変わらない。とにかくナヒィータは、靴を手に入れた。街まで戻るのには、それで十分だった。


それはそうと、インド人の行動の機敏さと速さには、全く恐れ入る。周りの目を気にしながら日本で育った私なんぞ、到底その足元にも及びそうにはない。及んだところで、陰気な性分は変わりそうにもないけれど。

私たちは、来た道を引き返して再び歩き始めた。ナヒィータが履き替えたおじさんの古サンダルは、さっき履いていたナヒィータのサンダルよりも、ずっと歩きやすそうに見える。しかし私たちは、この面白くない味気のない道路に心底うんざりしていた。ナヒィータが、私に提案してきた。
「ねえ、ヒッチハイクしようよ」
私は、迷うことなく答えた。
「いいねー、やろうやろう」

こうして私たちは、ヒッチハイクをすることになった。帰り道は、今度は楽な下り坂。歩きながら後方に車の走る音が聞こえる度に、振り返っては親指を立てて、乗せてくださいと合図を送る。車がひっきりなしに通るような忙しい道路ではないものの、次に通る車を待ちくたびれない程度にはやってきて、その度に私たちは親指を立てた。

ふざけ半分で始めたヒッチハイクだったけれど、ただ歩くよりかは気を紛らわすことができていい。私たちの親指の合図を無視して走り去っていく車をやり過ごす度に、私たちは笑ったり、怒ったりしたのだった。


歩き始めて数分が経ち、いくつかの車に振られた後、一台の軽トラックが私たちの前方に停車した。一瞬、間違いなのではと思ったけれど、本当だった。確かに前方で、一台のトラックが停まっている。どうやら、ヒッチハイクに成功したみたい。


まさか誰かが停まってくれるとはおもいもせず、嬉しさと驚きで興奮気味に、走ってトラックに向かった。もちろんここでも、ナヒィータの出番だ。ヒンディー語でさらさらとドライバーと話をする。そして、あっさりと交渉成立。私とナヒィータは、空いているトラックの荷台に勢いよく乗り込んだ。トラックの荷台の荷台には縁以外に掴まるものがないので、振り落とされないように気をつけなければならない。

私たちは浮かれていた。とてもとても、浮かれていた。ひゅうっと風を切って走るトラックの荷台に乗っていると、さっきまでの陰鬱な気分は、風とともに飛んで行ったようにおもう。トラックの荷台は、案外に気持ちがよかった。私とナヒィータは意味もなく笑い、互いの写真を撮り合った。最高の瞬間だった。異国の友人と苦難を乗り越えながら進む、素晴らしい旅。全てが順調で、もう何も心配することなんてない。やっぱりここには神様がいるのだと、強くおもった。おもいたかったのだ。

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…だが、しかし。

突然「ドスッ」という鈍い衝撃とともに、トラックは急停車した。一体、どうしたんだろう。私たちは急いでトラックから飛び降りて、現状を把握しようとした。私たちは、言葉を失った。

…「オーマイガー」…


トラックが、牛をはねた。


トラックのすぐ前で、牛が鼻から血を流して腹を横にして倒れている。私たちの乗っていたトラックが、牛をはねてしまったのだ。あまりにも突然で想像もつかない出来事に血の気はさっと失せ、どうしたらよいのかわからずにその場に呆然と立っていた。牛は、大丈夫なのだろうか…。

私たちがトラックから降りたすぐ後、対向車線を走ってきた車の中や後方から来た車の中から、ぶわあっとインド人が出てきて、トラックを運転していた運転手と同乗者の男たちに寄って集った。

インドで牛は、神様と同様に崇められている。道の真ん中で牛が坐臥していると、人々は牛を敬い、退かそうとしたりする者はいない。本当に、インドでは街中の至るところで牛が我が物顔で体を構えており、誰もそれを何とも思っていないのだ。いずれにしてもインドで牛は神聖な生き物で、車ではねるなんてことは、言語道断なのである。そのとんでもないとこを、私たちの乗っていたトラックがやらかしてしまった。


言葉を失って立ち竦む私たちの横で、トラックの男たちは激しく問い詰められている。飛び交う怒号、何もできない私たち。鼻から血を流して倒れている牛。

そして突然、むくっと牛が立ち上がった。どうやら、骨折はしていないらしい。牛が立ち上がったことで、その場に一瞬の静けさが訪れたのを、トラックの男たちは見逃さなかった。私たちの荷物を荷台からさっさと下ろすと、勢いよくトラックに乗り込んでそのまま急いで走り去ってしまった。一方で牛は血を流しながらも、ゆっくりと道路脇の方に歩いていく。

トラックに置いてけぼりになった私たちは、唖然としてその場に立ち尽くした。信じられないようなことが起こってしまった。

「ヒッチハイクをしたトラックが、牛を撥ねた。インドで」

そうして現場でうろたえている私たちに声を掛けてくれた人たちがいて、その人たちの乗る乗用車に乗せてもらうことになった。若い三人組の旅行者で、感じのいいインド人の青年だった。ナヒィータのいうところによると、どうやらトラックの男たちは酒を飲んでいたらしい。幸いにもトラックはそんなにスピードを出していなかったから、牛も大事に至らずに済んだのだと。牛は大丈夫だよ、と。血を流してたよね、と私が言うと、


「little bit」
「少しだけ、ね。ちょっとよ」


この事故の何が little bit 、少しなのかはよくわからないけれど、ナヒィータはこの little bit を繰り返した。繰り返していうことで、安心したかったのかどうか、あるいはインド人のノープロブレム精神からくるものかは、判断しかねる。恐らくは、後者の方だと思われるが。

リシュケシュの市街地まで送ってもらう車中、私は頭の中でずっと一文が響き回っていた。

「インドで牛をはねた」
「インドで牛をはねた」
「インドで牛をはねた」…。

ヒンズー教の聖地の一つである、リシュケシュ。そんな聖地で出遭ってしまった、牛との交通事故。私たちの素敵な旅は、再び暗礁に乗り上げたのだった。


送ってくれた青年にお礼をいい、寄り道もせずにすぐに宿に戻った私たちは、そこから別行動を取った。さっきの事件のせいで、何となくきまずい雰囲気になっていた。私は軽い散歩に出かけ、川沿いの良さげなレストランに入り、休憩のついでにほうれん草のカレーを食べて宿に帰った。帰った時、ナヒィータは部屋の外のテラスに腰を掛けて読書をしていた。ご飯を食べに行こうと誘われ、カレーを食べた後で全くお腹は減っていなかったものの断るのもめんどくさく、一緒に近くの定食屋に行った。カレーの定食一皿を二人で分けて、食べた。二人とも口数は少なく、あまり話すことなく宿に帰った。


宿のベッドの上で、ナヒィータが陰鬱につぶやいた。
「シガレット」
インドでもタバコを吸う女性がいるんだと、
「え、タバコ?」と聞くと、
「うん、タバコ」と返ってきた。
どうやらタバコは切らしているらしく、でも買いに行く様子もない。間も無くして、私たちは同じベッドで眠りについた。身体も頭も疲れていて、すぐに寝た。

次の日も朝から、私たちは別行動を取った。私は短期で受け入れてくれるヨガのクラスを探して、昼前に宿に戻った。同じくナヒィータも戻ってはきたが、横には一人の男性を連れている。


「この人と一緒に、もうデリーに帰ることにしたわ。ここは退屈、何もすることがないもん。今からチェックアウトしましょ」


突然に別れを告げられて、私は混乱した。笑顔でナヒィータが私に語ったこの旅の想いは、一体どこに行ったんだろう。頭の中で、私はナヒィータに話しかけた。
「ヨガしたーいって言ってたじゃない?リシュケシュに行ってみたかった、すごく楽しみにしてるって言ってたよね?ここはゆっくりできそうって、嬉しそうだったよね?ねえ…」

驚きと呆れで何をいったらいいのか言葉が見つからず、
「あ。そうなんだ。いいよ、うん。オッケー」と生返事を返した。思ったことを、何も言えなかった。
私たちはチェックインを済ませると、昨日一緒に歩いて渡ったラクシュマン・ジューラー橋で手を振って別れた。あっさりとした別れだった。素敵な私たちの旅は、友人が男を見つけてきて、あっけなく終わりを迎えた。

私はまた、ひとりになった。昨日の一連の出来事が何もなかったかのように、ひとりでの時間は静かなものだった。

昨日、乗っていたトラックが牛をはねた。インド人女子と旅をして、一晩をともに過ごした。どちらも、思い出として強く私の記憶の中に刻まれることは間違いないだろう。トラックにはねられた牛が、元気でいてくれるといいのだけれど。どうかインドの神様が、この牛を護ってくれますように。

お酒を飲んで車を運転して、牛をはねてはいけません。


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