【連載】ほぼ週間《活動日誌その3》 〜サッカーを子供達のものに還すという感覚〜


COVID-19の影響を受け、僕が担当しているチームも自粛がしばらく続きました。


そんな中、次年度の準備に明け暮れることになり、現場がなくなった途端に、忙しくなる、という、まさかの状態でここまで過ごしております。


先週から、活動は再開し、また、同時に翌年度から携わるクラブの活動にも、少しずつ、参加させていただいております。

今日は、その新しく携わる現場で、TR中に起こったエピソードから、改めて考えさせられた内容を、残しておこうと思います。

TR中のコーチは審判か?問題

先日、本来はまだ見学、アシスタント、という立場の予定だったのですが、新しいクラブの活動へ参加した際、担当予定のスタッフが欠席した関係で、TRのメインを任される日がありました。

当日の朝、連絡があったので、急いでTRテーマを感あげ、メニューを決めて、会場へ向かいました。

これまでのTR等の積み重ねがあることを考慮しながら、細かいことはおいておいて、まずは、僕と選手たちとの、アイスブレイク、それから「楽しむ」という点をテーマとして、TRに望みました。

雰囲気は非常によくTRは進み、テーマとしてもっていた部分も、多少の改善が見られながら、一番のテーマであった、「アイスブレイク」と、「楽しむ」というテーマも、順調に・・・だったのですが、最後の最後、試合形式の時に、事件は起こりました笑

2面でコートを設定し、休憩チームが出ないように、4人制でゲームを行なったのですが、判定で揉める場面が続出。


ボールが外に出るたびに、どちらが出したのかで揉める、ゴールが入ったのか入っていないのかで、揉める。負けて、イチャモンをつけて揉める笑

「いまの、どっちボール!?コーチ!!」
「え!?やっていいの!?」

と何度も何度も僕に聞いてきます。

その度に、僕は

「どっちが出したの?」

「どうやって転んだの?」

「どう思うの?」

「わからなかったら、どうする?」

と繰り返します。

「えー審判やってよ!」

「意味わからない!」

これは、正直、僕のこの「コーチは審判じゃないよ」というスタンスで行くと、だいたい、どこのチーム、スクールでも、最初に起こる問題です。

これを、「うまくTRを回せていない」と捉える方もいらっしゃるのかもしれません。

いろんな考えがあるでしょう。

僕は、そうは思わないんですね。

これが、自分が「審判」であるなら、問題だと思うのですが、自分が「コーチ」である以上、僕は問題だと思わないですし、3、4回TRを終える頃には、小学1・2年生くらいから、だいたい、自分たちで、審判なしで、試合を進めることができます。

僕は、2試合終えたところで、全員を集めて、ミーティングを行いました。


僕「ルール知ってる?」→選手「出たら、出した方と反対からスタートとか」

僕「スローイン/GK /CK /FKは?」→選手「知ってる」

僕「じゃあ大丈夫じゃん」→選手「でも、出したのに、出してないとか、入ったのに入ってないとかいろいろあいつらが言うんだもん」

僕「なんでだろう?」→選手「あいつらずるいんだよ。馬鹿だし、くそだ。あいつらとはやりたくない。」

そんな感じ。もう少し話をしたのですが。

なるほど。と。このやりとりでわかったのは、


「選手同士が名前を覚えていないこと」

「仲間だという意識が薄いこと」

「これまでコーチが審判をやってくれていたこと」

というところ。

全然、彼らは悪くありませんね。言う通りだなと。

一年間一緒にやってきているのに名前を知らない、というミラクルも起こっているのですが(笑)事実だけ受け止めると、彼らの主張はその通りですね。

なので、それはそれで受け止めた上で、

「いまはチームでやっている練習の中の試合。コーチは審判じゃないから、審判はやらないよ。」

なぜなら、審判がいないとサッカーできないなら、自分たちだけで試合ができなくて、つまらないから。コーチは、自分たちでサッカーができるようになって欲しいから、自分たちでルールを確認して欲しい。」

「ルールで、わからないことがあれば、聞いてきて。お互いに言っているルールが違うなら、コーチが教えてあげる。言ってるルールがおかしいルールだってコーチが気づいた時も、教えてあげる。」

「もし、自分たちで、やっていて、見えていないときに、コーチからは見えていたら、教えてあげる。」

「判定で揉めたら、どうしたら試合が進められるか、話してみて。どちらが出したか、わかっていて、嘘をついている時もあるだろうし、本当にわからない時もあるだろうと思うよ。嘘ついてる、とかズルしてるって決めつけないで欲しいな。周りの人も、みえているなら言った方がいいし、そういうつもりで、試合やってみてごらん。」

「あの子の名前知ってる?知らない?なら、みんなはチームだから、まずは名前を覚えよう。」

「くそ、とか、馬鹿、とか相手のこと言うのはやめようよ。みんな「チーム」だよね?味方がいないとチームにならないし、試合もできないよね。相手もいないと試合はできないよね。相手を侮辱するのはダメ。味方のことも同じ。」


そんな話をして、残り3試合を行いました。



暗黙のルール(サイレントルール)のはなし

最近岩瀬さん(@k_iwase)さんのツイートでこのようなものがありました
https://twitter.com/k_iwase/status/1240919931425673221?s=21

こう言ったもの、僕は、

暗黙の了解」「暗黙のルール」または「チーム、クラブの文化」


と呼んできました。

言語化されたいない、ルールのようなものですね。

いろんな組織に出入りしていたりすると、こう言ったものの存在を多く目にします。

なので、これが存在している、という前提に立たないと、大変困ることが起こってしまいます。

自分自身の常識は、自分自身の常識でしかなく、他人にとっては、当たり前ではないわけですが、当たり前だと思って、自分たちの中での常識をそのまま、「当然のもの」として、コミュニケーションをとってくる人は、正直、サッカーの界隈では、結構いますね。

なので、そう言った場面に出会う機会が多い、我々のような立場だと、その前提を持って、コミュニケーションをとりに行く姿勢は、欠かすことができません。

少し違いがありますが、これに関連している話で言うと、最近読み終えた本で

他者と働く──「わかりあえなさ」から始める組織論 https://www.amazon.co.jp/dp/B07Y5FF3M4/ref=cm_sw_r_cp_api_i_TZAEEb04P9RS6

の中では、「ナラティブ」という言葉を使って、人と人との間に存在する、関係性の構築について述べられていました。


話を戻すと、大体、他のクラブ、他の人が担当してトレーニングをしてきているチームを新しく担当すると、彼らの中で作られている、チーム内での「常識」と言うものが存在しています。

この日あったのは、「クイックスタート」は「反則だ」というルール?でした。

プレーが止まったら、審判に「ピッと吹いてもらわないと、始めてはいけない」と言うことでした。


GKもCKも、「いいよ」と声をかけられないと「始めていいの!?」という調子でした。

そこで、選手の中で、いつもと違い、「審判がいない」ことに気がついた選手が、クイックスタートを行っていたところ、「ずるい!」となっていたのでした。

これは、もちろん、これが暗黙のルールであり、これまで審判(コーチ)が捌いていた内容であるのに、急に変えて、そのプレーをいきなり容認した、僕が悪いですね。

選手たちに混乱が起こるのも、当然です。

一人の選手から、「クレーム」笑
を受け、僕は全員に共有しました。

「すぐ始めてもいいよ!」
「でも、ボールを誰かが取りに行ってる間に始める、とかは、逆の立場だったらどうだろう?そのあたりは考えてみようね」


サッカーを子供達のものに、還してあげる、という感覚

そんなこんなで、混乱しながらの試合の時間は終わりました。

僕は、基本的に、この「試合」を自分たちで、「始めさせて」、自分たちで「進めさせる」練習を、行っていくことを、

サッカーを子供達のものに、返してあげる、という感覚

を持ってやっています。

当然、サッカーを初めてばかりの子供達などには、審判をやります。

わからなければ、教える必要があるからですね。

でも、わかってきて、次のフェーズに入っているのならば、判定には徐々に介入せず、進めていってもらいます。

「選手たちで、試合をできるようになって欲しい」

と言うのが一番です。

また、それらのプロセスを通じて、

「選手同士でのコミュニケーション」の機会や
「チーム」という意識
「味方がいて仲間がいる」という意識

なにより、

「やらされてるものではなく、自分たちの中での遊び」であること

を感じて行って欲しい、と思っています。

いわきFCアカデミーの小俣さんが指摘していらっしゃいましたが、環境を設定することで、すでに本来の「遊び」ではなくなっている、と。それはその通りなのだと自覚した上で、です。

サッカーが習い事

から始まる今の世代に、少しでも、サッカーを彼らのものに還して行きたい、と思って日々活動しています。

もちろん、賛否あるかと思いますが、試合形式のTRを行うことで、得ることができる経験の一つ、だと僕は思っています。

そう言った視点で見たときにも、自分たちでジャッジしながら、プレーできるようになることは、有用だと思っています。

(試合中に判定を自分でジャッジしてしまってプレーを止めたらどうするんだ!という懸念には、審判がいる試合といない試合で違う、ということを伝えて行くことで、対応できると思います。)

だって、3、4回繰り返すだけで、ある程度できるわけですからね。

これが毎日毎日揉めて試合がストップしてしまうなら、困るでしょうけれど。。。

自分たちでできた方が、その後のTR効果も効率的だと、僕は思います。

そもそも、適正な指導者の数が配置されているかどうか、と言う問題もありますが、ある程度、選手たちがルールを知っている段階にきたときに、

「審判がいないと、試合ができない」

状態だと、コーチ一人の場合には、2コートでプレーができなくなってしまうんですよね。

または、プレーに対して、コーチングしている最中には当然、判定に対しては見えないところも出てきてしまいますからね。

3、4回の揉める試合があったとしても、その後、2コートでプレーができるのと、審判がいないがために、1コートでしか試合ができず、試合を見学して暇しているのとでは、どちらがいいか、ということです。

そんなことを、考えた、初めてのクラブでのTRでした。

頑張って、これから、「ほぼ週間」復活して行きます!

《ほぼ週間》活動日誌

https://note.com/number39/m/m7b4538d8b68a


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?