わたしが死刑を執行する。

死刑囚表現展2019に行ってきた。

一つひとつの作品が、コピーではなく死刑囚自身の手によるものである。死刑囚と対面している感覚に襲われる。いや、正確ではない。死刑囚の内面が、こちらへとぐわっと口を開いて、不意にそれに呑み込まれそうになったという奇異な感覚である。

精緻な作品が目立つ。色鉛筆などで丹念に細かく、信じられないような精確さで絵や図を描いている。死刑囚には自由時間が多いらしいから、そのあいだの不安を、創作作業にぶつけているのかもしれない。露骨に「怖いよお」という吹き出しのセリフを書き込んでいるイラストもあった。

一部のペンネームを除き、どの作品にも作者の実名が添えてある。不謹慎ながら、わたしはスマートフォンを操作してはその名前を「死刑囚」という語を添えて検索した。この絵を描いた人が、この犯罪を...その違和感あるいは納得感は、言葉にし難い。ふわふわ、もふもふとしたかわいい絵があった。やはり検索してみると、元ホステスで、残酷きわまりない事件を起こしていた。彼女はどんな気持ちで、この「かわいい」絵を描いているのか。そういえばやけに余白がある。かわいい動物と、かわいい動物とのあいだに。かわいいものたちは皆、静止している。

そう、死刑囚たちの表現するものはどれもきわめて精緻である一方、動きを感じさせない。絵はアニメーションではないから動かないのは当然だが、躍動感のある絵というものは存在する。しかし死刑囚たちの絵に共通して感じた印象は、動かない、石化したそれである。完全に止まっている。拘置所の空間に静置された身体が、そのような精神状態を生み出すのかもしれない。わたしも閉鎖病棟に入院したことはあるが、そんなものの比ではない。明日刑が執行されるかもしれないのだから。

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