二重の孤独の現場から

牧師として、多くの方の相談を聴いていて実感することがある。それは、それぞれの相談内容の深刻さもさることながら、何よりもまず、相談者が孤独であるということ、これである。それは二重の孤独である。まず第一に、その人の置かれている環境が孤独であること。そして第二に、そういう孤独を打ち明けられる人がいないという、さらなる孤独である。このように孤独が二重構造になっているのである。

なんらかの孤独があり、その孤独について相談できる人がいないという、さらなる孤独がある。家族や恋人、親友などの繋がりが良好な人は、教会に相談には来ない。そうした人の繋がりがある程度うまく循環していれば、そこで悩みを分かちあい、「なんとかしよう」にせよ「もう辞めよう」にせよ、とにかく再出発するエネルギーを得ることができる。けれども、二重の孤独に囲われてしまっている人は、なにかを決断しようにも、取り付く島もない。黒々とした(人によっては白々としているかもしれないが)孤独のかたまり(あるいは空白)が、その人を覆ってしまう。なんの手がかりもない。手がかりを探す気にもなれない。触発されるものがない。

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