わたしはなぜ「洋もの」の宗教を信じているのか

クリスマスも終わった。サンタクロースやクリスマスツリーは街から消えた。神学部時代に、ドイツ留学経験のある先生からこんなことを聞いた。ドイツのクリスマスツリーの明かりは白ばかりだと。なぜなら、かつては蝋燭を灯していたからだと。それがアメリカで赤や青の派手な電飾になったのだと。ちなみに、サンタクロースの赤白の服もコカ・コーラ社の宣伝からだという。

そんなわけで、多くの人にとって、クリスマスのイメージはいかにもアメリカ的、ざっくり「洋もの」だ。だから時々、わたしは宗教嫌いの人からこう言われたものだ。「なんであんな外来の宗教を信じるんだ」

もちろん厳密には仏教も中国から伝来した外来宗教だが、日本に伝わって千年以上経っているし、鎌倉仏教など、ほぼ日本独自と言っていい信仰のありようも育まれた。仏教を外国の宗教だと意識する人はあまりいないだろう。ましてや神道は。神道こそ、日本の山や岩、瀧や川の上流などに手をあわせるところから始まっている。しかしクリスマス───最近ではイースターも関連グッズが売られたりするようになったが───などからイメージされるキリスト教は「洋もの」以外の何ものでもない。

実際にはキリスト教はイスラエル発祥であり、現代でもなお、アルメニアやシリアやイラク、アフリカ等々にも広がり、それぞれの地できわめてユニークな礼拝形態を保っている。一方で日本の、とくにプロテスタント教会の多くは、明治時代以降の、おもにアメリカからの宣教師によって伝道が開始された。そんなこともあって、日本のプロテスタント教会はいかにも「洋もの」という感じがするのだろう。プロテスタント系の学校も、分類名が「ミッション・スクール」などとカタカナだったりするし。

わたしの話をさせていただく。わたしは留学したことがない。それどころか海外旅行に行ったことさえない。そんなわたしが、金髪の背の高いイエス・キリストを信じているというのか。ちがう。もちろん、最初に信じるにあたり「リアルだなあ」と参考になった姿はある。洗礼を決意する前だったか後だったか定かではないが、友人たちと『最後の誘惑』を観に行った。当時わたしはその友人たちと、すでに教会に通っていた。だが映画を観終わって外に出ると、その教会の顔なじみの神学生が「この映画は異端です」というビラを配っているところにばったり出くわしてしまった。たいそう気まずかったのを覚えている。

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