ジェンダーバランス

教会で毎週金曜日の夜に、聖書を読む会をしている。来る人はとくにこれといった宗教を信じていない人や、他の宗教に所属する人などである。教会員は日曜日に来る。当初は純粋に「信者を増やしたい」という伝道目的から始めたし、今でもその熱意は失っていないが、今はどちらかというと知的な会話を楽しむサロンといった場になっている。それはそれで、ふだんなかなかそういう場を確保できない忙しい人たちにとっては意味があると思う。

ところで、そこに集まる人たちであるが、どちらかというと男性が多かった。多いと言ってもせいぜい数人であるが、その数人が男ばかりであった。なにしろ、わたしはツイッターに「男だってつらいんだ!」という主張を、いわゆる「キモくて金のないオッサン」というネットスラングなども用いつつ、さまざまに語り続けていた。だからわたしのツイートが心の琴線にふれた男性たちが教会に来るようになったのである。一方でわたしの拙さから、その表現が「女性よりも男性のほうがしんどい」的な方向に偏ることも多かった。すると当たり前のことであるが、女性の足は遠ざかった。

男ばかり。それはそれで楽しい会ではあった。女性を前にして話せないことは、なにも猥談ばかりではない。「こんなことを女性の前で言っても否定されるだけだろう」「セクハラや差別として糾弾されてしまうかもしれない」といった、しかし内実としては決してそうではない繊細な話題を、男性ばかりだからこそ打ち明けて話しあうこともできた。それらの会話はツイッターの匿名アカウントのように攻撃的ではない。ツイフェミがどうのこうのといった他罰的な話ではなく、他の誰でもない、このわたしがしんどいのだという、もっと主体的な話が中心であった。

ところがこのところ、女性もしばしば来てくれるようになった。いつもそうなるというわけではないが、男性と女性の比が半分ずつくらいになる日が、たまたまここ二週間ほど続いた。そしてそのなかには学生もいた。ちなみに、この教会に学生が来ることはめったになかった。女性たちを前にすると、わたしの話し方も明らかに変化した。(読者の方々を心から信頼しているが、念のため。下心からやさしい口調になった等の意味ではないことを、一応お断りしておく。)

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