わたしは卑怯な主張をする。

知人から、あるニュースを教えてもらった。どこの国だったかは失念したが、コロナウイルスにまつわる外出規制があってもユダヤ教徒たちがシナゴーグに集まってしまい、結果として感染が広がっていると。わたしは彼らを嗤えなかった。信仰はときに身の安全よりも優先されることがあると知っているからだ。

プロテスタント教会は礼拝堂に信徒が集まり、聖書が読まれ、牧師からの説教がなされることに重きを置く伝統がある。プロテスタントには膨大な教派があるが、その点についてはだいたい共通しているといえる。この日本において、これまでに台風や地震などの大きな災害が何度も礼拝堂を襲った。しかし礼拝堂が破壊されても、信徒たちはそれでも野外や臨時の会場に集まり、礼拝を怠らなかったのである。高知県のある教会などは、昭和20年の大空襲で町が焼け落ちたその直後の日曜日にさえ、信徒数人が集まって焼け跡に椅子を並べ、礼拝をしたという。東日本大震災においても、すべての教会ではないかもしれないが、かなり多くのプロテスタント教会はその直後から礼拝を始めたと聞いている。プロテスタント教会の礼拝に対する執念はすさまじいものがある。ユダヤ教徒たちがコロナウイルスの危険にもかかわらずシナゴーグに集まってしまうように。

ここから先は

1,681字
この記事のみ ¥ 300

記事に共感していただけたら、献金をよろしくお願い申し上げます。教会に来る相談者の方への応対など、活動に用いさせていただきます。