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生きること、死ぬこと、そのむこう

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牧師として、人の生死や生きづらさの問題について、できるだけ無宗教の人とも分かちあえるようなエッセーを書いています。一度ご購入頂きますと、過去の記事、今後更新される記事の全てをご覧…
このマガジンの記事を踏み台に、「そういえば、生きてるってなんだろう?」と考えを深めて頂ければ幸いで…
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#教会

まなざしが手足を侵蝕する

心の中でなにを想おうが自由である。イエスがよけいなことを言ったせいで、人は悩まなくてもよ…

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ジェンダーバランス

教会で毎週金曜日の夜に、聖書を読む会をしている。来る人はとくにこれといった宗教を信じてい…

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赤の他人を(神の)家族と呼ぶのはどうしてか──駆け込み寺としての教会

'イエスの十字架のそばには、その母と母の姉妹、クロパの妻マリアとマグダラのマリアとが立っ…

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クリスマスによせて

一足早いクリスマス礼拝が終わった。カトリックや正教会ならそれぞれの暦に則った、正しいクリ…

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死者とつながり、未だ生まれぬ者とつながる

キリスト教についてまったく知らないか、あるいはわずかに知ってはいるがほぼ初めてという方が…

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教会の重たいベンチ

おととしにこの記事を読み、たいへん感銘を受けた。というのもその当時、わが小さな教会で起こ…

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「やれやれ」と呼びかけに応じ

わたしは礼拝出席者数が10人程度の、小さな教会で牧師をしている。礼拝堂も一戸建ての民家のような感じ。ふだん、その二階にわたしは妻と住んでいる。 礼拝は毎週日曜日の朝10時半から始まる。人数が少ないので、毎週オルガニスト/ピアニストを確保することはできない。そこでヒムプレーヤーという自動演奏機を使う。讃美歌の番号をボタンで押すと、短い前奏と、歌詞の数のぶんだけ伴奏が繰り返されるのである。礼拝出席者はそれにあわせて歌う。今はどこの教会も規模が小さくなり、奏楽者が礼拝に常駐する教

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私と公とのあいだが欲しい

初任地で最初のうち、長屋の六畳二間に住んでいた。汲み取り便所、土壁は柱から微妙にズレて、…

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これだと思うとき

信仰するというときに、大きく言って二つのありようがあると思う。一つは独り穴を掘り進めるよ…

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宗教のハードルは高いものだ

「汚れた霊は、人から出て行くと、砂漠をうろつき、休む場所を探すが、見つからない。それで、…

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寂しくなったら、共に茶話を

わたしはTwitterで「教会につながることで孤独を癒しませんか」という趣旨のことを、しばしば…

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二重の孤独の現場から

牧師として、多くの方の相談を聴いていて実感することがある。それは、それぞれの相談内容の深…

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信頼と信心と信仰と

「クリスマスを祝い、初詣に行くのは節操がないことである」とは、とくにクリスチャンのあいだ…

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