忘れ去られたモノ

最近は不思議な事件やどうしようもないことで波風がたっている日本。

あまり、「昔は良かった」と言いたくないが言ってしまいたくなる。それだけ現在に対して私は悲観的だ。

まだ、20代の私が言うのも変だがおよそ10年前は都心部でも近所の人と挨拶やトラブルでも「まぁ仕方ない」が多かった記憶がある。

子供だからというよりか大人同士もそういう会話をしているのを見てきた。

最近では挨拶だけで不審に思われたり、トラブルでもSNSで発信されてしまう。監視社会というよりも冷酷社会なのかもしれない。

大きな話をすれば街中での事件や事故でも救助ではなくSNS投稿に必死になる人もいる。

平時でもSNS等に夢中で会話がままならなかったり、SNS操作しながら歩く人などもいるある意味でネットに侵略されている人も多い。

私もSNSをもちろんやっているし自分に興味ある情報しか流れてこないという楽しさは良くわかってるつもりだが、やはりリアル人間同士のコミュニケーションには勝てないと思っている。

話がSNSの話になってしまったがそういった物に踊らされリアルコミュニケーションと寛容という心持ちを忘れてしまった人が多いのではないだろうか?

機械の正確さに慣れてしまい生身の人間が行った人間らしいミスは壮大に非難するような社会が出来上がってると感じてしまう。

人間だから起きたミスを無くすのであれば機械化すればいいが費用がないために安い人件費となる現象も起きている。

もはや、機械の方が地位が高い世の中となり人間の持つ個性や人間らしいミスは考えられない世の中になっているのではないだろうか?

おかげで、あまり未来に希望を持つことができないし今の学生さん達がかわいそうである。

「20代の若造が何を言ってるか?」と言いたくなる人もいるだろうが若造がそう感じてしまう世の中であるとそれこそ寛容していただける事を切に願う。

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