これからの

遠くの本屋を訪ねる価値

第1章 本屋のたのしみ (17)

 そう考えると、近所の本屋だけでなく、遠くの本屋にもわざわざ足を伸ばして行ってみる価値があることに気づく。

 あるときまでは、ぼくにも、本屋はどこも同じように見えた。商店街にあるような小さな本屋は、同じような文庫やコミックや単行本と、雑誌の最新号が並んでいるだけだった。ターミナル駅にある大きな本屋は、どこでも「在庫何十万冊」という売り文句を掲げて、同じような品揃えである気にさせた。古本屋も、売っているものこそ違えど、どこも同じような暗くて入りにくい雰囲気を醸し出していた。これを明るくして入りやすくしたのが、新古書店と呼ばれるブックオフのようなチェーン店で、それらはむしろ最初からみな同じに見えるように意図してつくられていた。

 けれど人が舵を取っている以上、実際はひとつとして同じ本屋は存在しない。いつも雑誌に取り上げられている有名な本屋だけが、ほかと違うのではない。パッと見て、どこにでもありそうな普通の本屋にも、それぞれの土地に暮らす人々に向き合っているからこそ滲み出る、それぞれの個性がある。有名ならば有名なりに、無名ならば無名なりに、大きければ大きいなりに、小さければ小さいなりに、個性が出てしまう。

 慣れてくると、その違いに目を凝らすことが楽しくなる。それはもう「本屋好き」になった証拠だ。この楽しみを知ってしまうと、旅先でも気がつけばいつも本屋を探してしまう。そしていつしか、本屋をめがけて旅をするようになる。

 旅先であっても、もちろん本を買う。その本はたしかに、近所の本屋でも、ネット書店でも買えるかもしれない。けれど、それは同じ内容が印刷され製本されている本であって、この店の棚に並んでいるこの本ではない。もちろん荷物は増えるけれど、この本との一期一会を大切にしたいという思いは、昂ぶりがちな旅の気分とも相性がいい。

 もちろん、旅先で買えば、そのまますぐに読めるよさもある。電車に揺られながら、近くの喫茶店で休憩しながら、夜に泊まる宿で眠る前に、起きた後に読む。単に最近気になっていただけの本でも、旅先で読めば日常とは違った視点を発見できるかもしれないし、旅先の土地に関連する本であれば、本の中に出てくる場所に実際に訪れることもできる。

 帰宅してしばらくすると、旅の記憶と読書の記憶とがつながり、具合よく混ざる。その本を読み返せば「そういえばあそこで読んだな」と、その土地を再訪すれば「そういえばあの本を読んだな」と、後になって思い出すようになる。そういう経験が続くと、遠くの本屋をわざわざ訪ねるのが楽しくなってくる。

※『これからの本屋読本』(NHK出版)P48-50より転載


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