不便な本屋はあなたをハックしない

不便な本屋はあなたをハックしない(6)全体の未来よりも、個人としての希望を

「不便な本屋はあなたをハックしない」目次
(序)
(1)本屋としての筆者
(2)「泡」と「水」――フィルターバブルを洗い流す場所としての書店
(3)独立書店と独立出版社――「課題先進国」としての台湾、韓国、日本
(4)日本における二つの円――「大きな出版業界」と「小さな出版界隈」
(5)「大きな出版業界」のテクノロジーに、良心の種を植え付ける
(6)全体の未来よりも、個人としての希望を
※「不便な本屋はあなたをハックしない(序)」からお読みください。

とはいえ、もはや「業界」全体として取り組めることは、それほど多くないように思える。前述のフィルターの件も、意見をまとめる前に、誰かがプロトタイプを作って配りはじめてしまったほうが、ずっと早く進むはずだ。

前述のように、取次を中心とした優れた出版流通網も、もちろんできる限り維持されるべきだ。日販とトーハンが協業するだけでそれが可能かは、いまのところ未知数ではある。冒頭で述べた台湾の事例のように、行政が支えるという形も珍しいものではない。中国においてはまた事情が異なるが、政府が「全民閲読(全国民読書)運動」を強力に推し進め、補助金や税制優遇で書店の開業を後押ししている。ともあれ、民間でできる範囲の最終形態と思われるその協業においては、もはや出版社や書店の顔色を窺っている場合ではないはずだ。「業界」全体のことを考えるというのはむしろ建前であってほしい、最大限に取次の都合を優先して考えてほしい、と筆者は考える。

もちろん、そのときに筆者の経営するような小さな書店が不採算と判断されれば、取引を中止される可能性もあるはずなのだが、それがこの優れた流通網を生き延びさせるための判断なら、甘んじて受け入れるしかない。

冒頭に「未来をどこかからやってくるものと考えること、誰かの影響によって左右されるものと考えることには、もう限界がきていると感じる」と書いた。たしかに日本においてGAFAは黒船として到来し、その影響は大きかったかもしれない。けれどもはやそれは未来ではなく、現在の課題だ。未来は、私たちの現在を積み重ねた先にしかない。それぞれに現在を研究し、それぞれが現在できることをやる。書店は「取次が悪い」「Amazonが悪い」と言うのをやめ、取次や出版社は「本が売れない」と言うのをやめて、それぞれが自分で生き延びる道をつくるしかない。

冒頭に述べた、本屋B&Bが台湾の書店組合に入った理由は、主に3つある。
1つ目は、単に商品として扱ってみようということ。もちろん言語の壁があり、売るのは簡単ではない。けれど過去にも台湾や韓国の本のフェアなどを開催してきて、まったく売れなかったわけではなく、一定の手ごたえは感じてきた。言語がわからなくても、本としての楽しみ方はある。英語圏の本と比べて手に入りにくいそれらの本の存在に、まず気づいてもらえればと考えた。

2つ目は、下北沢に台湾の人が多く訪れていること。地元の電鉄会社から、海外からの観光客は中国や韓国が1位である地域が多いが、下北沢はなぜか台湾からの客が1位であると聞いた。異国の地で自国の本に出会うとき、わざわざ買って帰ろうとは思わないかもしれないが、特別な親近感を抱いてもらえる可能性は高い。そうした意味で、まずは台湾の本からはじめてみようと考えた。

そして3つ目が、その組合に実際に一員として加わることを通じて、日本での可能性を模索することだ。前述のように、仮に当面は取次がなくならないとしても、その手前の段階で、扱う金額の小さい書店を不採算であるとし、卸すのをやめる判断はあり得る。そのときに、日本においても台湾同様の組合的な取り組みが可能なのかを考えるために、まずは内側に入ることで学ぼうと考えた。

とはいえ、小さな店内に、ごく小さな売り場をつくるだけだ。店全体からみれば微かな変化にすぎないし、おそらく直接的な利益にはつながらない。けれど何かにつながると信じ、これから先も、そうした現在の小さな変化を積み重ねることによって、自分たちなりに道を模索していく。

小さな変化をもたらす、最小の単位は個人だ。「業界」全体として取り組めることは少なく、自分の所属する組織を動かすことも難しいかもしれない。それでも個人としてできることは、どんな場所にいても、きっとあるはずだ。組織の中で無力を感じたとしても、個人的に動く人たちの「界隈」は活発で、加わりやすい環境にある。「業界」全体や組織の未来を考えるのではなく、あくまで個人としての、本屋としての現在に希望が持てることに取り組む。その集合が結果的に形づくるものが未来だと考える。身も蓋もないかもしれないが、それしかない。

なぜそこまでして本屋をやるのか。もちろん本を届けるためだが、いったいこの時代に、リアルで書店という場をつくることに、どんな意義が、どんな役割があるのか。手元の端末で検索すればあらゆるものが手に入る時代に、いったいなぜ――そう考える個人にとってのひとつの希望が、「ハックされる動物」である人間のための、「水」を得るためのすぐれた場所として、書店を位置づけることだ。

「水」は、フィルターバブル=「泡」を洗い流すもの、という筆者の連想からただ出てきたことばにすぎない。けれど同時に、それは渇きを癒すものでもあり、毒を薄めるものでもある。あるいは「水を得た魚」のような、生き生きとしたイメージにもつながっている。

それは「本当の偶然」と言い換えてもよいかもしれない。リアル書店の価値について、よく「検索ではたどり着けない、偶然の出会いがある」と語られる(筆者自身もよくそう話してきた)。本稿のここまでの議論に沿って、その「偶然」をより正確に表現するならば、「実は計算されているが、まるで偶然」ではなく、「本当の偶然」のほうにこそ、リアル書店の価値があるといえる。

仕掛ける側が意図をもって行い、受け手側が「まるで偶然」と感じる。人間と人間のやり取りにおいては、それはいわゆるサプライズだ。そこには個別の相手のことを考えつくす、時間と労力がかかる。どれだけ考えても、計算しつくすことはできない。失敗するかもしれない。だからこそ、うまくいったサプライズは、喜びがあり、美しくさえある。

しかし、人間には読み切れない膨大なデータと、人間の限界を超える計算力で、AIによって限りなく高い確率で「まるで偶然」が目指され仕込まれるとき、美しさを感じられるのは、おそらく最初のうちだけだ。「まるで偶然」の正体は「泡」である。慣れてくると、それは「まるで偶然」とさえ感じられず、ただ便利なだけになっていく。ただの便利さは危険だ。それが当たり前になったころには、その内側の構造にも目がいかなくなり、そこにどんな「Evil」が混入しても、私たちは気づくことができない。

それは加工食品を食べ慣れるほど、その原料を忘れることに似ている。AIによる偶然を装った出会いに慣れることは、その内側の構造のこと、何かが混入する危険性のこと、そして私たちの身の回りに元来存在し得る幸せな「本当の偶然」のことまで、忘れてしまう危険をはらんでいる。

「水」はそれを洗い流す。ただ紙の本が並んでいるだけの場所では、並べた人間がいくら意図をもって工夫していたとしても、そこから本を手に取る人間の心を読み、操り人形のように動かすことはできない。誰かにとって「まるで偶然」と思える運命的な出会いがあったとしても、実際にそこで起こったことは「本当の偶然」だ。

それが何のテクノロジーも介していない「本当の偶然」であることを、むしろ価値として掲げるべき時代になりつつある。「泡」に慣れていると、たしかに不便には感じる。けれど普段は目にしないような本が、あちこちに見つかる。自分がふだん、テクノロジーによっていかに偏った情報を摂取しているか、いかに「泡」に包まれているかが、だんだんとわかってくる。たまにそういう場所に訪れることが、人々の体を洗い流し、渇きを癒し、毒を薄め、日々を生き生きとさせる。書店はそのような場所を目指すことができるのではないか。

誰かによって読まれない限り、本の中に凝縮された知がそこに姿を現すことはない。書店という空間の中で、誰かによってタイトルが読まれるその瞬間、その人の中に知がはじまる。一人の人が、一生で読める量は限られている。そこから一冊を選び取ることは、そこに旗を立てることだ。それを持ち帰り、自分の部屋という物理的な空間の中に置く。インターネットではアクセスできない、濃い情報のかたまりを私有することの喜びが、紙の本を持つ喜びだ。その本に旗を立てたこと、力強く「いいね!」を押したことが、Facebookに知られることはない。

そして、そのような機会は、たとえどんな小さな本棚であっても提供することができる。「界隈」に人が増えているのは、その手ごたえがあるからだろう。立派な書店を構えなくても、別業態の店の一角や、イベント会場の一箱であってもよい。最小の単位で、どんな個人にも、誰かに「水」を差し出すことができる。あなたはこれまで関心がなかったかもしれない、けれどこの世界には、こんな一冊もありますよ、と。たとえ難しすぎて歯が立たなくても、知らない言語で書かれていても、あるいは一文字も書かれていないとしても、読まれるその場所から本がはじまる。そこに本屋の希望がある。

それでは、どのような「水」のある場所を目指すのか。多くの書店や図書館はきっといまも既に、毎日「泡」にまみれている誰かを洗い流すような場所になっている。ただ適当に本を並べるだけでも「本当の偶然」は起こるだろう。けれどそれが起こる頻度、あるいは「水」の品質は、かかわる人間の手によって変えられる。どのような空間に、どのような本をどのように陳列し、どのようなコミュニケーションをするのか。「水」に例えるなら、それは軟水なのか、硬水なのか。消毒済みなのか、そうでないのか。私たち本屋の多くはそれぞれ、既にそうしたことを考えているとも言えるし、きっとこれから、もっと考えることになるのだろう。

だからこれを読んだあなたには、覚えておいてほしい。もし、「自分以上に自分のことを知っている誰か」の存在、それによって飛躍的に便利になっていく世界に気づいたら、紙の本を並べる、できるだけ不便そうな本屋に足を運んでみるといい。不便な本屋はあなたをハックしない。(了)

初出:『ユリイカ 2019年6月臨時増刊号 総特集 書店の未来

※上記は『ユリイカ』に寄稿した原稿「不便な本屋はあなたをハックしない」の一部です。2019年5月上旬に校了、5月下旬に出版されたものです。編集部の要望も踏まえ、しばらく間を空け順次の公開という形を取り、2019年8月にnoteでの全文公開が完了しました。
本稿以外にも多角的な視点で対談・インタビュー・論考などが多数掲載されておりますので、よろしければぜひ本誌をお手にとってご覧ください。

ユリイカ 2019年6月臨時増刊号 総特集 書店の未来
目次:【対談】田口久美子+宮台由美子/新井見枝香+花田菜々子【座談会 読書の学校】福嶋聡+百々典孝+中川和彦【未来の書店をつくる】坂上友紀/田尻久子/井上雅人/中川和彦/大井実/宇野爵/小林眞【わたしにとっての書店】高山宏/中原蒼二/新出/柴野京子/由井緑郎/佐藤健一【書店の過去・現在・未来】山﨑厚男/矢部潤子/清田善昭/小林浩【書店業界の未来】山下優/熊沢真/藤則幸男/富樫建/村井良二【海外から考える書店の未来】大原ケイ/内沼晋太郎


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