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課題テーマ「なし」|真咲真人の打ち切り(仮)

某大学の実習の授業で、「額賀も受講生と一緒に課題に取り組む」というのにチャレンジしています。

こちらは前回の課題。

今週も課題にチャレンジしてみました。テーマは以下の通り。

【テーマ】
なし
【原稿規定】
・400字詰原稿用紙で30枚以内

真咲真人の打ち切り(仮)

「打ち切りですか」

 電話の相手は申し訳なさそうにしていたが、そうなるとこちらは反比例する形で淡泊な返答しかできなくなる。さも、覚悟していました、何なら想定の範囲内ですわ、なんて口振りで「また次で頑張りますよ」と言っている。

 近々また打ち合わせを、という話をして電話を切った。「次があるだけまだマシか」と呟いてスマホをデスクに置き、とりあえず椅子に腰掛けて天井を仰いでみた。背もたれがパキンと音を立てた。

 デスクの天板を叩いたり、壁を殴ってみたり、本を投げてみたり。結果が出ない憤りをものに八つ当たりできたのは、三十二歳が限界だった気がする。まだ作家デビューして二年ほどしかたっていなくて、いい意味でも悪い意味でも自分は純粋だった。

 どれくらいそうしていただろう。天井を見上げたまま目をぎゅっと瞑ったり、大きく伸びをしたり、椅子の上で胡座を組んでみたりと、無意味な動作を繰り返した。そうこうしているうちに椅子からずれ落ちそうになって、慌てて座り直す。

 デスクの上、Wordを開いたままのノートパソコンの横。デジタル時計が午後二時を示していて、真咲真人は「あ」と声を上げた。恐る恐る卓上カレンダーを摑む。今日の日付に、赤いペンで丸がしてあった。ご丁寧に「待ち合わせ十三時」とまで書いてある。

「うわ、やっちまった」

 自分の小説だったらこのセリフを主人公に叫ばせるところだが、現実ではそうもいかない。「あああ~ごめん~」と頭を抱えながら、のろのろと外出の準備をした。電話の直前までは、「一時までに駅に行く」と確かに頭にあったのに。打ち切りを喰らって、担当からあれこれと慰めのような言い訳のような話を聞いているうちに、すっかり吹っ飛んでいた。

 とりあえずスマホと財布だけを持ち、タンスを開けても揃いの靴下が見つからないから、諦めてサンダルで行くことにする。

 玄関のドアを開けた瞬間、マンションの前の道に、待ち合わせ相手を見つけた。Tシャツ姿のひょろ長い少年が、蟻が角砂糖の欠片を運ぶように白いスーツケースをのそのそと押して歩いている。

「達彦ぉー!」

 通路から身を乗り出して、中学生の甥っ子に手を振る。駅からここまでの地図でも見ていたのか、達彦はスマホから顔を上げ、真人に手を振り返した。

「悪い! 電話してたらすっかりお前のこと忘れてた!」

 階段を駆け下りると、達彦は一階の踊り場で顔を真っ赤にしてスーツケースを引っ張り上げようしていた。滝のような汗に、グレーのTシャツの背中が黒く濡れている。駅からここまで徒歩十五分。この炎天下を大荷物で歩かせるなんて、悪いことをした。

「悪い悪い。よく迷子にならないで来られたな」

「スマホ、見ながら来たから」

 と言いつつ、達彦は大きく息をついて額を拭った。腕が汗で白く光った。「悪かった、悪かった」と繰り返し、彼の手からスーツケースを奪う。

「万が一に備えて送っておいてよかったよ」

 スーツケースを抱え、部屋へと戻る。汗だくの達彦がシャワーを浴びている間に、彼の荷物をさっきまでいた仕事部屋に運んだ。六畳間には本棚が並び、入りきらなかった本や資料、校正ゲラの束が山になっている。ここで仕事をしているとすっかり感覚が麻痺してしまうが、かなり圧迫感のある部屋だ。だが真人の家は2Kで、ここ以外に人を泊められる場所はない。隣の寝室は寝室で、本以外の荷物であふれ返っているのだ。

 脱衣所の戸が開いて、真っ白なTシャツに着替えた達彦がタオルで髪を拭きながら出てくる。「達彦、寝るの仕事部屋でいいか?」と声を掛けると、彼は一瞬だけ目を丸くして部屋を覗き込んできた。

「……いいの?」

 雑然と並ぶ本を舐めるように見回し、達彦が聞いてくる。中学入学と同時に陸上部に入ったという彼の顔は日に焼け、去年会ったときより随分たくましい体つきになっていた。

「いいも何も、ここしかないんだけどな」
「でも、マサト叔父さん、ここで仕事するんじゃないの?」
「達彦がいる間は、隣で仕事するよ。たまにプリントしたり資料取りに来たりするけど、気にしなくていいから」

 幸い、執筆に使っているのはノートパソコンだし。電源コードを抜いて運ぼうとしたら、達彦が「あのさ」と遠慮がちに言った。

「邪魔しないから、叔父さんが仕事してるの見てちゃ駄目かな」

「いいけど、黙って文字打ってるだけだぞ?」

 お世辞にも、他人が見ていて楽しい仕事だとは思わない。もし自分の職業が漫画家だったら、まだ見学していても面白い職場だったかもしれない。原稿に消しゴムをかけてもらったりとか、ちょっとした手伝いをさせることもできただろう。しかしながら自分は小説家で、中学生の甥っ子に手伝ってもらえるような作業は残念ながらない。

 でも、達彦はそれでいいと首を縦に振る。そのまま、周囲の本棚を見やる。

「ここにある本、読んでもいい?」
「いいよ。ぐちゃぐちゃだから、読んだら適当に戻しておいて」

 そういえば、達彦は最近本を読むのが好きらしいと姉が――達彦の母親がこの前言っていた。「といっても、あんたの本は読んでないけどね」と笑ってたっけ。

「あとさ、誰にも言わないから、これも読んでいい?」

 達彦が指さしたのは、床に積まれた校正ゲラだった。誌面の形に原稿がレイアウトされ、誤字脱字や表記揺れ、事実関係の誤りが、校閲者によって鉛筆で書き込まれている。その上に、真人自身が書いた修正指示が赤字でびっしりと。直して確認、また直して確認。これを繰り返し、「もう直すところはない」という状態になったら校了し、印刷され、本が出来上がる。万が一の郵便事故に備えて編集者にはコピーを送るようにしているから、仕事部屋にはこうして紙の束が溜まっていく。

「ゲラ読みたいの? それ、もう本になってるぞ」

 本棚を顎でしゃくる。しかも、お前が来る直前に打ち切り宣言されたシリーズの最新刊……最終刊だよ……とは、言わないでおく。

「これ、編集者からのアドバイスとかも書いてあるんでしょ? 本じゃなくてこっち読んでみたい」
「いいけどさあ」

 ゲラの山の前に屈み込んで、念のため中身を確認する。ときどき辛辣なコメントを書き込む編集者もいるから、そういうのが少なそうなものを選んで渡してやった。中学生が読んで面白いとも思えないが、達彦は妙に嬉しそうな顔でタイトル部分を指先で撫でた。

 夕方になってやっと気温が下がったから、達彦を連れて近所にある小さな中華料理屋に行った。仕事部屋で借りてきた猫のように静かにしていたから食事も遠慮するかと思ったら、そこは食べ盛りの運動部だ。ラーメンとチャーハンと餃子を涼しい顔で平らげていく甥っ子に、口に入れた冷やし中華の味が吹っ飛ぶ。

「マサト叔父さん、餃子食べないの」

 達彦が餃子の皿を真人の方に寄せてくる。

「いいよ。おじさんになると若者みたいに食えなくなるの」

「なんか俺だけごめん。お昼食べてなかったら、調子に乗ってチャーハン頼んじゃった」

「別にいいよ、遠慮しないで食え。ていうか、お昼食べてなかったなら言えよ。何か食わせてやったのに」

 といっても、家にはカップラーメンくらいしかないんだけれど。昨日まで原稿にかかりきりだったから、冷蔵庫は見事に空だった。味ぽんとマヨネーズしかなかった。

 この店の冷やし中華には冷しゃぶがのっている。大振りな豚肉を口に入れようとした瞬間、テーブルに置いていたスマホが震えた。電話だ。時間的に出版社の人間ではないだろうと思いながら相手の名前を確認すると、案の定、姉からだった。

 席を立つと、レンゲを咥えた達彦が、恐る恐るを絵に描いたような顔で真人を見ていた。

「電話してくる」

 短く言って、店の外で電話に出た。真人が何か言うより先に、「達彦、まさかそっちに行ってないっ?」と姉は聞いてきた。落ち着いているように聞こえるが、ちょっと刺激したら今にも爆発しそうな声だった。

「来てるよ」

 言ってから、慌ててスマホを耳から離す。姉が息を吸うのが聞こえたからだ。

「あんた、ならなんで連絡してこないの!」

 会社から帰ってみたら、達彦の姿がない。夏休みとはいえ、部活はとっくに終わっている時間なのに。友人や、同じ部活の子の家に連絡をしても「来ていない」という。近くに暮らす両親(達彦から見たら祖父母の家だ)にもいない。まさかと思って真人に連絡をしてきたというわけだ。「これでいなかったら警察に連絡だ」と姉は考えていたようだ。

「征人、あんたはいつもそう! 人の気も知らないでいっっっっっつもマイペースで」

 真人ではなく、征人。読み方こそ一緒だが、ペンネームの真人ではなく本名の征人で呼ばれることは日常生活でほとんどないから、奇妙な気持ちになる。付き合いが長いのは間違いなく、征人なのに。

「達彦、近くにいるの? ちょっと替わって。あの子、スマホの電源切ってて全然……」

「あのさあ、姉ちゃん。達彦、うちに家出してきてるんだわ」

 達彦と最後に会ったのは、去年の正月だった。まだ小学六年生だった。そこまで仲がいいわけでもなかった達彦から、真咲真人の名前で使っているSNSに「家出をしたいからしばらく居候させてほしい」とメッセージが届いたのは、三日前だ。

「……家出?」

 もっと憤慨するかと思ったが、姉は途端に大人しくなった。本人なりに思い当たる節が――達彦に対する後ろめたさと申し訳なさが、あるのだろう。

「俺もお袋から軽く話は聞いてたけどさ。とりあえず、達彦のことはあんまり不安にさせるなよ」

 言ってから、「独身自由業のあんたに何がわかる」と怒鳴られるのではないかと思った。しかし、姉はやはり静かなままだった。

 姉は近々離婚をしようとしている。真人の両親は「達彦が高校を卒業するまでは……」と言っているが、どうやらそこまで辛抱することができないようだ。原因は夫婦間の性格の不一致だとかすれ違いだとか聞いたが、深掘りする気にはなれなかった。当人達がもうその気になっているのに、外野がどうこうしたって状況が改善するわけがない。

 ただ、達彦をどちらが引き取るかで揉めているとか、いないとか。

「とりあえず、あいつが帰るって言うまではうちに寝泊まりさせておくから。その間に話つけたら?」

 幸い、真人は専業作家だから日中も自宅にいる。達彦を一人残して打ち合わせに出ることもあるだろうが、それでも会社勤めをしている三十六歳の普通の男に比べれば、まだ目が行き届くはずだ。

 姉は快諾はしなかった。ただ、達彦がその場の衝動で家を出たのではなく、計画的に真人のもとにやってきたのがショックだったのだろう。最後には「一日一回、達彦の様子を教えて」とか細い声で言って、電話を切った。

 店内に戻ると、達彦はラーメンもチャーハンも餃子も綺麗に食べ尽くしていた。「杏仁豆腐でも食え」とメニューを差し出して、真人は残りの冷やし中華を急いで啜った。

「お母さんから?」

 デザートのページを捲りながら、達彦が遠慮がちに聞いてくる。

「達彦が帰りたくなるまではうちにいていいってさ。俺も別に構わないし、夏休み中ならいつまでいてもいい」

「ほんと?」

 顔を上げた達彦の目が、一瞬だけ光った。蛍光灯の光を反射しただけなのだけれど、顔が日に焼けているぶん、瞳が特に透き通って見える。「若さが眩しいなあ、おい」なんてセクハラみたいなことを口走りそうになって、真人は店員を呼び止めて杏仁豆腐を二つ注文した。

 書くのは早い方だ。ぐるぐる悩んでいるくらいなら駄文でもいいから手を動かして、書いてから考える。0から1をさっさと作ってしまえば、あとはどうとでも料理できる。だから、頭を抱える暇があるならキーボードを叩けというのが真人の執筆スタイルだった。

 しかし、同じ部屋に甥っ子がいると、どうやら調子が狂うらしい。どうにも進みが悪い原稿を前に、真人は腕を組んで小さく唸った。パソコンの画面に表示された原稿は、進んでいることは進んでいるのだが、明日あたりに全部書き直すことになる予感がした。

 昼間に打ち切りを告げられたことを、ついでに思い出してしまう。

 音を立てないように後ろを振り返ると、達彦は布団に寝転がって真人のゲラを読んでいた。ラーメンとチャーハンと餃子と杏仁豆腐を腹一杯食べて、風呂に入って、真人が昨日ホームセンターで買ってきた安い布団に寝転がって、熱心にゲラを捲る。編集者や校閲者が書き込んだ鉛筆の文字を、何度も何度も繰り返し読んでいるのがわかる。

「そんなに面白いか?」

 溜まらず、声を掛けた。ずっと黙って仕事をしていたせいか、声が擦れた。

「面白いよ。本ってこんな風にできてるんだ、って……面白い」

 名残惜しそうに顔を上げた達彦が、「今、このへん」と真人にゲラを見せてきた。二年ほど前に出した恋愛小説の終盤だった。内容を確認するより先に、売り上げが芳しくなくてこの出版社からは次の依頼が来てないんだよな、なんてことを考えてしまう。

「ねえ、マサト叔父さん、小説家の仕事って楽しい?」

「楽しくはないな」

 ああ、つい本音がこぼれてしまった。達彦が一瞬だけ、表情を消した。

「仕事だからな。楽しいことばかりじゃない。楽しいときもあるけど」

 例えば、そう、自分がいいものを書いているという実感があるとき。いいものを書いたと自信を持って編集者に原稿を送るとき。自信作が書店に並んだとき。楽しいと思える瞬間はたくさんある。でもやっぱりそこは仕事だから、発行部数、売れ行き、返本率、印税、原稿料、契約、打ち切り……考えなきゃいけないことはたくさんあり、その大半は真人にとって楽しいものではない。楽しい作家もいるのだろうが、真咲真人にとってはそうではない。

「小説書くのは? 楽しい?」

「楽しいのかなあ。もうよくわかんないな。楽しくないことも多いし」

 パソコンに向かって執筆しているときが《楽しい状態》なのかといわれると、必ずしもそうではない。遠くに設置されたゴールに向かって、一心不乱に走っているような状態だ。苦しく辛い時間の方が長く、「なんでそんなことしてるの?」と問われると困ってしまう。少し前に先輩作家が書いたマラソンの小説を読んだが、あれに登場する主人公のマラソンランナーも似たようなことを言っていた。

「今日だって、達彦が来る前にシリーズが打ち切られたしな」

 言ってから、言わなきゃよかったと思った。言葉にしても何もすっきりしない。

 達彦が言葉を失ったのがわかる。目を瞠って、真人を見上げた。

「打ち切りは初めてじゃないから大丈夫だよ。ただ、仕事だから、楽しいことばかりじゃなくて、こういう嫌なことも悲しいこともあるってこと」

 フォローするにしても、紋切り型でつまらないな。思わず自嘲したくなってしまう。

「叔父さんはさ、どうして小説を書き始めたの。いつから書いてるの?」

 達彦の質問は続いた。中学生なりに、気を使ったのかもしれない。

「大学の頃かなあ。たまたまだよ、たまたま。これなら俺にも何かできるかもしれないと思ったの。絵が上手かったら漫画を描いたかもしれないし、歌が上手かったり楽器が弾けたりしたらバンドを組んでたかもしれない」

 趣味なのか、自己表現の一環なのか、承認欲求を満たすための手段だったのか。小説を書き始めたらやめ時を失って、三十歳で賞を獲ってデビューした。五年は生き残った。十年目も生き残れるのかは、わからない。

「そっか」

 もっとドラマチックな答えを期待していたのだろうか。達彦の声が明らかにトーンダウンする。彼の目が、次の話題を探して虚空を泳ぐ。

「ペンネームの真人の方が、本名より格好いいよね」
「そう?」

 親が離婚で揉めていて、家出までしてきた甥っ子に、どうして気を使わせているのだろう。

「なんで野々村征人じゃなくて、真咲真人にしたの?」

「本名で作家をやるのが嫌だったんだよ。下の名前の読みだけ使おうと思って、語呂がいいから真咲真人にした」

「マサト叔父さんにとっては、真咲真人の方が自分の名前って感じ?」

「そっちで呼ばれることの方が多いからな」

 ふと、思った。そうか、達彦は、母親に引き取られることになったら苗字が変わるのか。

「なんでそんなこと聞くんだ」

「なんとなく」

 今の達彦の苗字は今宮だ。もし母親の姓になるなら、真人と同じ野々村になる。野々村達彦。彼は、それをどう思っているのだろう。

「達彦、お前、小説でも書きたいのか?」

 ゲラを捲ろうとした達彦の手が止まる。ぎしぎしと音が聞こえてきそうなぎこちない動きで、再び真人を見る。彼の耳のあたりが徐々に赤くなっていく。

 でも、彼は「そんなんじゃないよ」とは言わなかった。唇を引き結んだまま、小さく小さく、瞬きでもするように頷いた。

「叔父さん、始めて書いた小説、覚えてる?」

「覚えてるよ」

 どんな話だったかは、あえて語らなかった。褒められた出来ではないと自分でもわかっている。だが、記憶に残るか残らないかは意外とクオリティに左右されない。

 ただ、書こうと思ったきっかけはよく覚えている。達彦には「たまたまだ」と強がった動機の奥の奥。今から思えば大学生は人生のゴールデンタイムだったのだが、それでも大学生なりに日々の生活に、自分自身に、振り解きたくなるような窮屈さを感じていた。今とは別の生活がほしいと思った。別の何かになりたい欲求に振り回されて、何故か小説を書き始めた。

「いいじゃん。書きたいなら書けよ。ノートやろうか」

 デスクの引き出しに入っていた真っ新なノートを、達彦に差し出す。今時の子は手書きで小説なんて書かないか……と思ったが、達彦が飛びつくようにノートを手に取った。布団に仰向けになって、ノートを広げる。白いページを前に、まるで大空を仰ぐように半口を開けた。

「何書こうかな」

「書きたいことを書けばいいよ。自分のことでも自分の周りのことでも、好きな小説とか漫画の真似だっていい」

 そっか、と呟いて、達彦は黙りこくった。真人も仕事に戻った。たいして進まなかったが、三十分ほどキーボードを叩いて足掻いてみた。

 達彦が「マサト叔父さん」と真人を呼んだのは、さらに三十分ほどたった頃だった。

「うちの家族もさ、もうすぐ打ちきりなんだよね」

 手を止めた。仕事部屋から音が消え、沈黙の中に返事を探した。そんなことないよ。大丈夫、お前は心配しなくていいよ。慰めの言葉が浮かぶ。達彦は、小説家なんて物好きな仕事をしているマサト叔父さんならそういうことを言わないだろうから、ここに家出してきたんじゃないだろうか。そんなことを考えてしまう。

「そうだな。お前の夏休み中には、打ち切りかもな」

 達彦は笑った。「あはは」という声に、ノートのページを捲る音が重なる。

「だよねー。なんか、毎晩難しい顔で話し合ってるもん、お母さん達」

 夏休みが明けたら、達彦は野々村達彦になっているかもしれない。学校での扱いはどうなるのだろう。クラスメイトや先生からの呼ばれ方、出席簿、教科書や上履きに書かれた名前は、どうなるのだろう。三十六歳の野々村真人からしたら、ペンネームで呼ばれることがほとんどな真咲真人からしたら、小さな問題だ。別に親が離婚するくらい、と思える。

 でも、中学生にとってのそれは、世界がぐちゃぐちゃに搔き回されて再構築されるような、それくらい大きなことだろう。

「打ち切りってのは、物語が途中で終わるってことだ」

 結局、小説に絡めてでしか話をしてやれないのをもどかしく思った。同時に、他の親戚の大人達には絶対にできない話を俺はできるだろうという自負も、不思議とあった。

「たいていは売り上げが振るわなかったことが原因だけど、作者が思い描いていたのとは違う形で無理矢理幕が引かれるのが打ち切り。でも、作者が生きてればそのうち復活することも有り得るし、物好きな出版社が『続きはうちで出しましょう』なんて言ってくる可能性もある」

 そんな幸運、滅多に巡りあえるものじゃないが。それは中学生には言わないでおく。どうせ、大人になれば思い知ることだ。

「あとは、そうだなあ。打ち切られたおかげで、もっといいものが書けることもあるかもな」

 正確には、そう思わないとやっていけない、ということだけれど。これも、今の達彦にわざわざ言わなくていい。いずれわかることなんだから。

 どうしてだろう。言っていてこちらが悲しくなってきた。こんな話を甥っ子にしてしまったら、自分だって奮起しなきゃならないじゃないか。三十六歳にもなると、奮起するのも大変なのだ。一度飛び立って万が一、墜落したら。年齢が高いほど、致命傷を負うのだ。かといって地上でもたもたしていたら、甥っ子が「偉そうな話をしておいて自分は地上でのんびりしているのか」と冷たい視線を寄こすだろう。

「……仕事するかあ」

 椅子をくるりと回して、真人はパソコンと向かい合った。画面が妙に眩しく感じる。背後で達彦がスーツケースを開けるのがわかった。ペンケースを引っ張り出して、しばしの沈黙。数分後にはカリカリと文字を書く音が聞こえてきた。なかなかいい瞬発力だ。そうだ、ぐるぐる悩んでいるくらいなら駄文でもいいから手を動かして、書いてから考える方がいい。

 結局、達彦は一週間ほど真人の家にいた。彼はその間に、大学ノート十ページほどの小説を書いた。南極に暮らすペンギンが北極を目指して地球を縦断し、途中でマッコウクジラやハンマーヘッドシャークと死闘を繰り広げる冒険活劇だった。予想外の内容に、一行読んで真人は唖然とした。初めての読者が目を丸くするのが面白かったのか、達彦は肩を揺らして笑った。

「新しいのを書いたらまた持ってくるから読んでね、真人叔父さん」

 達彦がそう言って家に帰った日の夜、真人は打ち切られた作品に代わる新作を考え始めた。

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小説家。青春小説やスポーツ小説をよく書きます。2015年松本清張賞・小学館文庫小説賞受賞。『タスキメシ』『拝啓、本が売れません』『風に恋う』『競歩王』など。詳しくは公式サイトへ▶http://nukaga-mio.work/

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