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人を好きになると、気持ちの上がり下がりが激しくなって、自分を保ちにくくなります。特に下方修正が難しい。そもそもわたしなぞ老若男女全方位的に、好きな人が現れるから、結構忙しい。あまり突出して好きにならないように、よくこころの中でローラーをかけるのですが、それでも「ぴょーん」と突出することがあります。それが、結構いたずら好きの「ぴょーん」で、わたしを振り回すのです。


1.数秘


そんなわけでちょっと疲れましてね。


この人は、なんで疲れたと言ってました?

「ぴょーん」でしたか?

いったい、何を言っているんでしょうね。


とにかく、わたしがこういう分野にふと目が行くときというのは、

実は結構な勢いで疲れている時です。

数秘術だって。数秘って、なに?

本屋さんにするーっと入って、するーっと目に入ってきて、

するーっと手にとって、するーっとレジへ。

うっ、まあまあ高い(笑)


そして、カフェで熟読開始。人があまりいないことを確認して・・・家族から数か月ぶりに離れました。

ドトール


この世は数字で支配されている。

そもそもとして、この説をわたしは案外信じています。

時間が12進法であること。

一年が12か月あること。

12星座であること。

十二支があること。

その他いろいろ、数字の法則性はとても興味深い。

カレンダーを見ながら数の法則性を辿っていくのが、小さい頃の趣味。

おかげさまで九九の七の段を覚えるのは早かった。


そして初めて触れた数秘の世界は、極めてクリアな世界でした。


2.なぜ、並ぶ


なぜ行列まで作って占いの列に並ぶのか。

「当ててもらう」ことを何故そこまでして欲するのか。

不思議で仕方がなかったのですよ。

という私も、決して占いは嫌いではなく

たまたま手相の勉強中とか、四柱推命の勉強中とか

そういう人のサンプルになって、

「あなたはこういう人ですね」

というようなことを言ってもらったことがあります。

どことなく、嬉しい。

なぜ、うれしいんだ。

でも、聞いたら全て忘れてしまう。

忘れてしまうのに、列を作って並んでお金払って・・・

なんて、もったいない。

でも「嬉しい」ということは、何か、あるわけだ。


なんだろう。


3.元気を出す勇気


弱っている時って、

元気を出すための元気がない。

元気を出したくない。

そんな感じではないですか?

寝ていたい、とか、動きたくない、とか。そんな気持ち。

がんばれ、と言われても

「いや、今はがんばれない」「もー、やだ」

と、ついつぶやいてしまう感じ。


あ、そうそう。弱い自分にもう少し酔っていようかな、という側面もございますね。ええ。


数秘術で、今迄の自分、今の自分、これからの自分

というものを読み解いていきました。

へー。こうだったんだ。

ふむふむ。こういうものを背負っているから、いまこんなことをしているんだ。

ほほー。これを克服すると、また良い展開になるのね。


なんだこれ。

自分の前と後ろに、レールがどかーんとひかれたような感じ。

なんだこれ。

元気を出す勇気が、出てきているかもしれない。

なんか、元気になってきてない?


そうか!これが、占いなのか!


4.たかが数字 されど数字


たった12種類の数字に分類されていくなんて!

他の数字でも、言葉のマジックで取りようによっては、どの数字でもあてはまるんじゃないの?

と思って他の数字をあたっても、なんとなく違う。

姉を調べてみたら、本当に彼女そのまま。

友達を調べてみたら、本当に彼女そのまま。

家族も調べてみて・・・。


こどもはまだ、読みとりにくいのかな。よくわからなかった。


それぞれみんなちがうのよ、なんて言われている今のこの世の中で

これだけしか分類しないなぞ!

・・・

あると思います。

あると思いました。

そして、分類されたとしても、その数字の中で個性は光り輝いていくものだと思うのです。


5.そして「ぴょーん」は。


たぶんわたしは、こういうふうに文で表現することで、さまざまなバランスを取っておるのだと思います。

殺伐とした仕事場で、神経をすり減らして仕事をしているときは、ずっと姉にあらゆることを書いて送っていました。

姉はたぶん、ほぼ読まずに全て捨てていたと思いますが。


当時の「ぴょーん」は、かわいらしい「ぴょーん」ではなくて、

いうなれば・・・そうですね・・・

コロナの模式図にはたくさんの突起物があるでしょう。

あれです。あんな感じに無数に「ぴょーん」が飛び出ていました。

「ぴょーん」は今も顔を出しますが、

これとは何度も付き合ってきたし、

即効性のある薬などない。

結局「ぴょーん」と飛び出しているのも私、ということで

私が「ぴょーん」を受け入れて生きていくしかないのです。

数秘の理屈では、「理屈ではないのです。それがあなたですよ」

というのが、根底にあるように見えます。

数という理屈の中で「理屈ではない」と言われたら、

もう、受け入れるしかない。


こんな飽きっぽくて動くのがきらいなわたしが、

もう1週間も朝のウオーキングが続いているのは、

「護美集め」をそこに付加したからだ、というのは

理屈ではなくて「私がそういう数字のもとにいるからだ」

ということになるのです。


逆の人もいるでしょ?

護美集めを付加したら、続かなくなる、という人もね。

どっちでもいいんですよ。

そういう数字のところにいるのだ。

ということしか説明は必要ない。


腑に落ちたのは、わたしだけでしょうか。

わたしのことを書きましたからね。

腑に落ちるのは、わたしだけかもしれません。


そうそう。わたしね。

一応、オットが一人いて、もう20年以上一緒に暮らしているのですが、

全然合わないなーと年がたつにつれて思っていたのです。

でも、離れるとかなく、でも、べたべたもなく、

適当に怒ったり笑ったりして、お互いあまり干渉せずにおりました。

今回この数秘で、わたしとオットは、同じ数字のところにいることが判明しました。

しかも、稀な数字のお部屋に。

もし、別々の数字だったり、

ふたりが同じ数字でも、その数ではないお部屋だったりしたら

もしかしたら今は一緒にいなかったかもね。

これも、運命というものなんでしょうか。

「共通のものが見つけられた」

というのは、なぜ今一緒にいるのかという理由を

理屈抜きで確かめたられたような気がしますね。


ところで、最後に問題です。

わたしはこの文の中で

「ぴょーん」

って、何回書いたでしょうかっ!


どうぞ、数の神秘を、皆様もお楽しみくださいね。

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