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たぶん、きっと、好きじゃないのかも

ふと、この言葉を感じた。
23:58
私はたまらずノートにこのタイトルを残す。

今日読んだ本が良くなかったのかな。
「いつか別れる。でもそれは今日ではない」
ひどく共感してしまったのは、なぜだろうか。

多分、彼は私のことをそんなに好きじゃないんだと思う。
ただ恋人として今一緒にいるから、時間を共有している。本当にただそれだけなんじゃないかと、腑に落ちてしまった。

彼のやりたいことを恋人として一緒に楽しんでいるだけ。相手は誰でも良くて、たまたま私なだけ。うまく言語化できないけど、そんな感覚になった。

自分がやりたいからではなくて
私のことを思って、
私が喜ぶと思って、
してくれたことってなんだっけ
そう思って立ち止まってしまった。 
傲慢な疑問なのは理解しているが、思ってしまったものは仕方ない。

してもらった事は35倍も忘れやすい

嫌なことをされたことは覚えてるけど、いいことをしてもらったことは意外と忘れているものだ。
相手が嫌がることをしたことは忘れて、相手のために、と思ってしたことは覚えているものだ。
人間の記憶って、こうも都合が悪くできている気がする。

アメリカの心理学者であるトラフィモウらの研究結果によると、「人にしてあげた行動」は「してもらった行動」の35倍も多く覚えているらしい。
親切を受けた状態を借りがあると認識し、心の重荷となる。その結果、忘れやすくなるという心理メカニズムだ。

あれもこれもしてあげたのに…と悲観的になりがちなのは、人間の構造上仕方のないことであり、またその感覚は事実ではない可能性も大いにあるということだ。

この原理を理解していれば、自分が保有している「してもらった記憶」が1/35であるという事実に気が付くことができる。

今の私は、健康的でない。
してもらったことに、意識を向ける努力が必要なようだ。


過去との遭遇、そして対比

彼のデスクで仕事をしようと片付けをしていたら、ポロポロと過去の思い出を見つけてしまった。
勝手に見ちゃってごめん。
良かれと思い、整理整頓するつもりだったんだ。

そこで見つけた元恋人からの手紙は、大切に箱にしまってあった。
私が送った手紙は、出窓の小物たちと一緒に無造作に横たわっている。目に入るたびに少し悲しい気持ちになる。そんなことなら、いっそこの手で捨ててしまいたかった。

『悲しい』
この感情を認識した今、これから先、彼に手紙を送るのはやめようと思う。
少々へそ曲がりな対策と自認しているが、期待の先に失望があることを理解している私は、期待の芽を蒔かないことにした。

好きだったんだろうな~。
当然他人事だから、当然そう感じた。


当事者のわたしと現在

過去に一度、彼と私は話し合いをしたことがある。
当時の彼が言うには
私のことが好きか分からないらしかった。
後日好きだという言葉を受け取ったが
間違いなくあれは、少なくともあの瞬間は、彼の本音なのだと感じた。

聞いた瞬間も今も、私の感想は変わらない。
そうならばそれでいい。私も同じよ。
エベレスト級にプライドが高い私は、相手の熱量と自分の熱量が比例するようにプログラミングされているみたい。

私はどうしたいんだろう。
神妙な面持ちで「あのさ」と話を切り出されるたびに、おや、別れ話かな。と思う。
恐れているからなのか、望んでいるからなのか
分からない。
自分のことなのに。

薄暗闇に落ちて抜け出せない。
相手と自分の感情がわからず悶々とする。
これだから、恋愛は苦手だ。

ネイルが剥げてきたからかな。
爪の状態でメンタルが左右されるよね。

私が私らしく、なりたい私でいられるように
何を考え何をすべきなのか、熟考して見つけていきたい。


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