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【腰痛体験談】椎間板ヘルニアを手術せずに治した話

初めまして。

ご覧いただき、ありがとうございます。

このページをご覧の方は現在、ご本人または大事な方が腰痛で困っているという方が大半かと思います。

そのような腰痛に苦しんでいる方々の助けになればという思いから、自分の体験談を綴ることにしました。

はじめに

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体験談

私自身、32歳の時に重度の椎間板ヘルニアになり歩けなくなりました。

その時の主な症状は下記の通り↓

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・腰の筋肉の異常な張り・痛み(右側)

・おしりの痺れ・痛み(左側)
・太もも裏の痺れ・痛み(左側)

・くるぶしの痺れ・痛み(左側)
・かかとの痺れ・痛み(左側)
足の甲の痺れ・痛み(左側)
・足の指の感覚がほぼなくなる(左側)


実際に生活面で起きた主な支障は下記の通り↓

・激痛で眠れない
・起床時、激痛で立つまで30分〜1時間かかる
・靴下・ズボンを立ったまま履けない
・排尿障害
・椅子から立った直後、腰が硬直し数分間、前かがみの状態になる
・腰が痛くなるのが怖くて外出できない


排尿障害? 

そう思われる方も多いかともいます。

実は腰と尿とは深い結びつきがあるのです。

その点も体験談を通してお伝えしていきます。

治療・リハビリ

腰痛で苦しんだ時期はトータルで3年半。

そのうち断片的ですが、合わせると計1〜2ヶ月はぎっくり腰の時以上の痛みが続くという壮絶なものでした。

この痛みと一生付き合っていくのかという不安に何度もかられました。

この間、20以上もの施設(病院、整形外科、整骨院、整体、鍼灸etc)に通いました。

その中で症状が余計に悪化したり、病院によって全く異なる見解を伝えられたり、誤診等、様々なことがありました。

結果としては自分に合った治療法を見つけ、リハビリを続けたことで椎間板ヘルニアの手術をすることなく、治すことができました。

現在の腰の状態

現在、腰の痛みは全くなくウォーキング、ジョギングを毎日のように行っています。

1日に10km以上歩くこともあります。

ここ5年間は病院へは一度も行かず痛み止めの薬も全く飲んでいません

先日、腰痛に苦しむ学生時代の友人と久々に会った際、この体験談、そしてアドバイスを行なったところ、今まで味わったことがないほど感謝されました。

"もしかしたら、この情報を必要としている人が他にもいるかもしれない"

それがこのブログを開設した理由です。

今後、体験談のほか、ストレッチ、役に立った情報等も随時掲載していく予定です。

備考・その他

体験談の文体は「〜だ」「〜である」調で書きます。

理由は書きやすく、読みやすいためです。

その点、どうかご了承ください。

これから書く体験談が、少しでも多くの人の役に立つことを願っています。

【第1話】その日は突然やってきた

腰痛体験談#1

ぎっくり腰

その日は突然やってきた。

あれは32歳の夏、7月上旬のことだった。

休みだったその日の夕方、私はパソコンで調べ物をしようと何気なくいつものように椅子に座った。

その瞬間だった。

ピキッ”という鈍い感覚が腰に走った。

すぐに違和感に気づいたが、特に痛みはなかったので私はそのまま作業を続けた。

それは10分ほど経った頃だった。

腰の様子がどうもおかしい。

なんとなくだが、少し痛みも出てきた感じがする。

私はパソコンの作業をやめると、ベッドで横になることにした。

”少し休んだら治るだろう”

そう思ったのだ。

前日あまり寝ていなかったこともあり、横になるとすぐに寝入った。

30分位経った頃だろうか、私は自然に目を覚ました。

”またテーブルに戻って作業を続けよう”

そう思って立とうとした瞬間だった。

”えっ!?”

腰に激痛が走り、立ち上がることができなかった。

すぐにぎっくり腰だと分かった。

実は7年前に1度ぎっくり腰になったことがあったからだ。

一瞬にしてその時の恐怖が蘇った。

激痛でトイレに行くこともできず、ずっと横になっていたことを。

確かあの時は2〜3日したら治ったはずだ。

激痛の中、そこだけは冷静に考えられたのを覚えている。

当時、私は一人暮らし。

腰の痛みで、動くことと眠ることができなかったので、その日は真っ暗闇の中、ただ天井を見て痛みに耐えながら一晩を明かした。


助けを呼ぶ

異変に気付き始めたのは翌日の昼過ぎだった。

痛みが全く取れないのだ。

当然、激痛で睡眠も取れなし、ご飯も取れない。

”このままだとやばい”

そう本能的に思った私は、助けを呼ぶことにした。

助けの先は近くに住む家族。

もしもの時のために家のスペアキーを渡していたのだ。

ベッドを降り、携帯電話が置いてある3m先のテーブルまで這いつくばって移動。

そこまでおそらく1時間はかかったと思う。

そして、やっとの事で実家へ電話。

電話に出たのは、たまたま実家に帰っていた姉だった。

状況を説明すると姉と母がポカリスエットや流動食などを袋いっぱいに買って持ってきてくれた。

久しぶりの飲食。

この時は喉が渇いたと言う感覚はなく、栄養を取らなければという本能的な行動だった気がする。

その後、姉は帰って母がしばらくの間、家に残り看病をしてくれることになった。

私も母も、あと1、2日したら治るだろうと思っていた。

その時、まさかあのようなことになるとは思わずに。

おしっこが出ない

それはぎっくり腰を発症して2日目の夜だった。

実は、私はあることをずっと我慢していた。

それは、おしっこだ。

ずっと尿意があったものの、予想以上の激痛でトイレに行けないでいたのだ。

変な話になるが、ぎっくり腰が生じた昨日の夕方からもう24時間以上もトイレに行ってない。

もう限界だ・・・。

通常だと5秒ほどで行けるトイレまで母の力も借り、30分くらいして辿り着いた。

便座に腰掛けるのもままならない状態だった。

ここで人生初めての経験をすることになる。

それはなんとも不思議な感覚だった。

かなりの尿意があるのに、おしっこが出ないのだ。

より具体的に言うと、我慢の限界でおしっこが漏れそうなくらいの感覚なのに、全く出てこないのだ。

1分、2分と時は経過する。

次第に焦りが出てきて変な汗をかく。

夏なのでトイレ内はかなり暑い。

”今は出ないようだ。また後でにしよう”

そう思い、なんとか便器から腰を上げトイレのドアを開けた瞬間、何かが切れた。

”ズトン”

私は気を失って廊下に倒れてしまったのだ。

ぎっくり腰だったので相当の痛みがあったはず。

しかし、意識がなかったのでその衝撃に気付く余裕さえなかった。

次に目を開けた瞬間、そこにあったのは心配する母の姿だった。

「救急車を呼ぼう」

母は私に向かって何度もそう語りかけていた。

普段、あまりことを大事にしたくない私は、そのような案は受け入れないタイプだ。

だが、その時の私は、全身の力を振り絞って首を縦に振っていた。

即座に119を押す母。

15分程して救急車の音が遠くからだんだん近づいてくる。

普段なら通り過ぎるその救急車の音は、自分の住むマンションの前でピタリと止まった。

それは私にとって人生初の救急車だった。

【第2話】病院へ搬送される

腰痛体験談#2

人生初の救急車

やって来た救急隊員は男性3人組だった。

その時、彼らは既に担架を持っていた。

玄関近くで倒れていた私を見ると、隊員の一人が症状を聞いて来た。

ぎっくり腰になって、おしっこも出ない。

そう伝えると隊員の一人が慣れた手つきで、下っ腹あたりを少し強めに押してきた。

「痛みはありますか?」

そう聞かれたので「ない」と答えた。

するとその隊員は他の隊員に向かって「尿結石ではないようです」と答えていた。

普段暮らしている家の中で救急隊が3人、しかも尋常じゃない痛み、「尿結石」と言う馴染みのないワード。

その異様な状況を即座に飲み込めず、私は軽いパニック状態になった。

隊員は電話で何処かとやりとりをしている。

どうやら搬送先を探しているようだ。

電話が終わると隊員はあることを尋ねて来た。

「今なら総合病院A総合病院Bが空いています。どちらにしますか?」

総合病院Aは少し遠くにある古い病院。

総合病院Bは最近、家の近くにできた新しい病院。

”どちらがいいんだろう?”

そう思っていると、横から母の声がした。

「総合病院Aでお願いします」

後で母から聞くと、総合病院Aは昔からその地にあるということで地元の人からは信頼が厚い病院だったようだ(後々、この選択がすごい展開を招くのだが……)。

搬送先の病院が決まると、私は担架に乗せられて病院へ運ばれた。

それまで32年間無縁だった救急車。

中から見る車内の様子はドラマで見る雰囲気と、驚くくらいに同じだった。

今、振り返ると笑える話だが、サイレンが聞こえる救急車の中で私はこう思った。

”これでやっとでおしっこができる”

人生初の搬送

病院へ着くと担架に乗せられたまま、救急室へと搬送された。

すぐさま寝台の上に乗せられると、あっという間に先生や看護婦さんたちに取り囲まれた。

そしていきなりスパッとズボンを降ろされた。

あまりにも想定外のことで恥ずかしいと思う余裕すらなかった。

先生は「チクリとしますね」と言うと、同時に注射をお腹に刺してきた。

次の瞬間、魔法をかけられたかのようにあれだけ出なかったおしっこが出た。

まだ腰に激痛があるものの、精神的に少しリラックスできた瞬間だった。

その後、臨時の病室へ運ばれた。

搬送された時間が遅かったので、翌日に一般の病室へ移動するとのことだ。

だが、痛みは続く。

と言うよりも次第にひどくなってきているようにさえ思えた。

後で先生から聞かされたのだが、この時の私はぎっくり腰による激痛の他、お腹にガスがパンパンに溜まっており、その痛みもあったらしい。

そして、なぜ排尿障害になったのかという理由。

先生によると脊椎の神経と排尿の神経は、かなり近い場所にあるらしい。

今回、脊椎の神経が相当なダメージを受けていたことで、近くにある排尿の神経を刺激し、おしっこが出なくなったそうだ。

その他、(ぎっくり腰でトイレに行けないため)意識的に水分摂取を控えていたので、軽い脱水症状も引き起こしていたようだ。

つまりは腰からはじまり、体の様々な部分に影響が出ていたと言うことだ。

腰は体の中心部分。

改めてその存在の大きさを知らされることになった。

因みにその後、自分の力で排尿できるまでに4日もかかった

少し痛い話になるが、それまでは看護婦さんから尿道に管を入れられ排尿していた。

軽い先端恐怖症の私にとって、それは苦痛でしかなかった。

そのせいもあってか、今でも普通におしっこをする際、時々その時のことを思い出しては感謝の気持ちが湧いてくる。

【第3話】入院

腰痛体験談#3

入院生活

そんなこんなで私は総合病院Aへ入院することになった。

当初、2〜3日での退院と言われていたが、前述のようになかなか自分で排尿できなかったことなどから1週間も入院することになった。

腰が痛くてご飯を普通に食べられないので、点滴生活だった。

この1週間の中で私は、体の異変に気付く。

前回ぎっくり腰になった時は2〜3日もしたら歩けるようになっていた。

痛みはあったものの、無理して電車にも乗れたはずだ。

だが、今回はその時とは明らかに違う。

一言で言うと、治る気配がないのだ

5日経っても、人の助けや松葉杖がないと歩けない状態だった。

この頃気づいたのだが、右腰が尋常じゃないレベルに硬直していた。

まるで右腰に固いボードを入れているかの如く。

以前、ぎっくり腰になった時はこのような症状はなかったはずだ。

普通の生活に戻れるのだろうか?

日に日にそういう不安が襲い掛かるようになってきた。

MRI検査

総合病院Aの先生に腰の痛みが治らないことを相談したところ、MRI検査を受けることを勧められた。

MRIとは電磁波を人体にあててする断層撮影のことだ。

要は、原因を体の外からではなく内部からしっかりと検査する方法。

MRIをする理由は、椎間板ヘルニアかどうかをチェックするためだと伝えられた。

もし椎間板ヘルニアであれば今後も治療、場合によっては手術が必要になるとも言われた。

この時、初めて「ヘルニア」という言葉が自分の身に降りかかってきた気がする。

ヘルニアになったことはないが、相当な痛みがあるということは認識していた。

その可能性が自分にもあると思った瞬間、ドキッとしたのは今でも鮮明に覚えている。

そういう流れで、私は総合病院AでMRI検査を受けることになった。

時間は約30分ほどだった。

狭い空間にずっと横になるという、それまでに経験したことのないタイプの検査だった。

翌日、また先生に呼ばれて検査結果を知らされた。

部屋に入ると先生はどことなく明るい表情だった。

それを見て私は検査結果がなんとなく分かった。

予想通り、検査の結果、私は椎間板ヘルニアではなかった。

まさに胸をなでおろした瞬間だ。

検査結果の報告後、先生は話を続けた。

椎間板ヘルニアではないので、そんなに心配する必要はない。

腰の痛みは放っておいても1週間もすれば治る。

もしかしたら個人差で1ヶ月くらいかかるかもしれないが、いずれにせよそんなに心配する必要はない。

その結果を受けて数日後、私は退院することになった。

個人的にはまだ腰の痛みがあり、入院していた方が良いのでないかと感じていた。

しかし、病院の先生曰く、通常、ぎっくり腰では入院できないそうだ。

今まで入院できていた理由は排尿障害、そして軽い脱水症状があったから。

一人でトイレに行けるようになった以上、もう病院にはいられない。

そう伝えられた。

不安はあったものの椎間板ヘルニアではないし、そんなに気にすることないか。

私は自分にそう言い聞かせた。

【第4話】通院生活

腰痛体験談#4

通院生活

「そのままにしておけば自然に治りますよ」

退院する際に、確かに先生からそう言われた。

しかし、退院して1週間が経っても腰の痛みは一向に治らなかった。

なんとか歩けるようになったが、手すりや壁なしでは歩けない。

電車やバスなどはとてもじゃないけど乗れる状態ではなかった。

ぎっくり腰から2週間。

こんなに腰の痛みは長引くものなのか?

更には以前からあった右腰の筋肉の張りは日に日にエスカレートしていった。

右腰の筋肉が凝り固まり過ぎていたためか、椅子から立つ際にまっすぐ立つことができず、いつも立って数分は前かがみの状態だった。

その他、起床時は特に痛みがひどくベッドから立ち上がるまで30分くらい時間がかかった。

こんなに生活に支障があるようではダメだ。

そう思った私はどこかで診てもらうことにした。

整形外科

色々と情報収集した結果、私が選んだのは家の近所にある整形外科A

姉のママ友が産後に腰を痛めた際に行ったら、適切な処置をしてくれて治ったという情報が決め手だった。

口コミサイトでも整形外科Aは評判が良かった。

整形外科に行くのは人生初だった。

ドキドキもあったが、それ以上に早く腰痛を治したいという思いの方が遥かに強かった。

そしていよいよ整形外科Aで診察が始まる。

7月下旬のことだ。

ぎっくり腰で倒れた日から2週間が経過していた。

前かがみになってゆっくりと入ってきた私を見て先生は少し驚いた様子だった。

症状を聞かれたので、ここ2週間の出来事を全て話した。

ぎっくり腰になったこと、排尿障害になったこと、入院したこと、右腰に張りがあることなどを。

先生は真剣な表情で、何度も頷きながら話をよく聞いてくれた。

だが、最後の一言で先生の表情は一変した。

それは、

総合病院AでMRI検査を受けた結果、椎間板ヘルニアではないと診断されたこと

同じく総合病院Aから1週間、長くても1ヶ月程したら自然に治ると言われたこと

だった。

それを聞くと先生は、どこか安心したような表情に変わった。

その日、整形外科Aでしてもらった処置、それは診察後に腰に電気治療を10分程受けたことと、1週間分のモーラステープをもらったことだけだった。

結論から言うと、その後、整形外科Aには3ヶ月近く通ったが、全く同じ処置が繰り返されるだけで、腰の痛みは消えなかった。

整骨院

今回のように腰を痛めたこともなく整形外科というものもよく知らなかっ私は、診察とはそういうものかと思っていた。

だが、腰の痛みは一向に癒えず、経過する月日とともに焦りも出始めてきていた。

そこで次に私がとった行動、それは整骨院へ行くことだった。

腰の痛みが取れないことを周りに話すと、友人・知人は皆、口を揃えてこう言った。

「それ、絶対、整骨院に行った方が良いよ」

その時、私はまだ整骨院に人生で一度も行ったことがなかった。

しかし、行ったことがある人によれば、ボキボキと骨を鳴らし一瞬で腰の痛みや歪みが治り、スッキリするそうだ。

そんな場所があるのか。

私は整形外科Aだけでは不安だったので、同時進行で整骨院Aにも通うことになった。

それはぎっくり腰になってから1ヶ月が経過した8月中旬ことだ。

早速、友人に紹介された整骨院Aへ行くことに。

担当してくれたのは40手前くらいの男の先生だった。

整骨院Aでは整形外科Aでそうだったように、まず初めに腰の症状を聞かれた。

私は右腰の痛み、総合病院Aで受けたMRIで椎間板ヘルニアではなかったこと等を伝えた。

一通り伝え終わると整骨院Aの先生は笑顔でこう言った。

「治りますよ」

見た感じ、嘘をつきそうな人でもない。

私はその言葉を信じることにした。

先生曰く、もしかしたら2〜3回の施術で治るかもしれないということだった。

人生初の整骨院。

まず腰の歪み等を確認してもらった後、骨をボキボキとならされた。

施術後、確かに皆が言っていたように少しスッキリした感があった。

”ここなら本当に治るかもしれない”

それはどこかワクワクに近い期待感だった。

【第5話】そして歩けなくなった

腰痛体験談#5

友人の結婚式

その年の11月上旬、私は友人の結婚式に出席していた。

その友人とは大学生の時から10年来の付き合い。

一番仲の良い友人だった。

しかし、私はどこか浮かない表情だった。

当然、友人の門出を祝福したい思いは山々だった。

だが、この頃になると腰痛は更に酷いものになっていたのだ。

以前の主な症状は、腰痛右腰部分の張りだけだった。

それが、この頃になると左のお尻にも痺れ・痛みが走るようになっていた。

式の最中も常に痛みがあり、椅子に座っているのも大変な状態だったのだ。

夏から通い出した整骨院A。

先生は治ると言ってくれたが、3ヶ月通っても一向に治らなかった。

それどころか症状は悪化するばかりだった

通院生活

それは11月中旬だった。

いつものように整骨院Aに行くと、先生の表情が少し険しい。

いつもは世間話など色々してくるのだが、この日はあまり喋ってこなかった。

施術が終わった後、先生は申し訳なさそうにこう言った。

「うちでは治せません。他で診てもらって下さい」

私は一瞬、その言葉の意味を飲み込めなかった。

3ヶ月前に「治りますよ」と言ってくれた先生が、この日は「治せない」と言っている。

自分の腰はどうなっているのか? 

この頃から自分の身に起こっていることは、簡単に治せるものではないと思うようになった。

その後、整骨院Aに通うのをやめた私は、腰を治すためにとにかく良いと思われる方法があれば色々と試してみた。

鍼が腰痛に効果があると聞くと、鍼灸院へ通った。

理学療法も受けた。

整骨院はその後、整骨院B、C、D、E、F5軒も通った(パッとしなかったため、ほとんどが1回行くだけで終わる)。

だが、不思議なことに病院へ行けば行くほど状態は悪化して行った。

痛みは腰だけでなく、お尻太もも脚全体に広がり、激痛で夜に目を覚ます日々が続いていた。

精神的なものもあったかもしれない。

それまで10年近く病院という病院へ行くこともなく健康だった私は、その間、謎の止まらぬで病院に行ったり、急にが痛み出し歯医者さんへも通うことになった。

その中で不思議なこともあった。

それは歯医者さんに行った時の話だ。

歯の痛みの原因は歯茎の化膿で結果的に抗生物質を飲むことで治ったのだが、治療が終わった時、何の脈略もなく先生が「最近何かありましたか?」と聞いてきたのだ。

腰が痛くて夜も眠れなく困っていると言うと、何かに納得した表情で「それですね」と言ってきた。

先生曰く、歯茎の化膿は精神的なものから起こることがあるらしい。

例えば、強いストレスや不安などから。

おそらく、その日の私は相当、不安そうな表情をしていたのだろう。

腰から派生した痛みは体の至る所にも影響を及ぼし、この頃になると精神的にもかなり辛いものになっていた。

生活への影響

当然、腰の痛みは生活にも大きく影響を与えることになる。

仕事を続けることができなくなったのだ。

腰の激痛で家の中でさえ仕事ができなくなった私は無職になった。

更には、うまく歩けないので外に行けず、人と会うことも病院の先生以外にはめっきり少なくなっていた。

今振り返ると、あの頃が人生で一番孤独な生活だったかもしれない。

整骨院を回る

年が明けてまた新たな行動を取ることにした。

それは本格的な整骨院へ行くことだった。

今まで計6つ整骨院に通ったが、前述のように症状は悪化するばかり

そこで私は年明け早々、整骨院Gへ通いだすことにした。

実に整骨院だけで7軒目だった。

整骨院Gを選んだ理由は最新鋭の機器を兼ね備えている点だった。

そこでは通常の施術のほか、ウォーターマッサージベッド(水流によるマッサージ刺激で自律神経を整える)、半導体レーザー治療(深部を温める)なども完備されていた。

おまけに院内は明るく清潔感があり、とても感じが良かった。

総合的に見て整骨院Gに魅力を感じた。

担当についたのはラガーマンのような体格の若い男の先生だった。

先生は真冬なのにいつも半袖で筋肉がむきむきだった。

どこかで鍛えているのは容易に想像できる程だった。

早速、施術が始まる。

その整骨院Gの先生は今までの整骨院とは全く違った。

とにかく力がハンパないのだ。

骨と骨の間に指がグイグイ入る感じだった。

先生の口癖は「絶対治りますよ」だった。

それは、精神的に弱っていた当時の私にとっては非常に心強い言葉だった。

その言葉を信じて私は整骨院Gへ通い続けることになる。

そして歩けなくなった

整骨院Gへ通うこと3ヶ月、ついにその日はやって来た。

あれは4月中旬の昼下がりだった。

その日は、いつもより暖かかったのでベランダに出て観葉植物に久しぶりに水をやっていた。

それはスリッパを脱いで部屋に戻ろうとした瞬間に起こった。

今までに感じたことがないほどの激痛が腰に走ったのだ。

昨年夏のぎっくり腰の時よりも更に激しい痛みだった。

私はその場で倒れ込んでしまった。

少し体を動かしただけで、全身に激痛が走る。

腰痛を治そうとたくさんの病院へ行った。

だが、腰は治るこどろか逆に悪くなり、ついには歩くことさえできなくなってしまったのだ。

激痛との戦い

”それ”は今まで人生で感じたことのない程の激痛だった。

ぎっくり腰の時は”痛い”と思うにとどまった。

しかし、この時は「痛い」という言葉を一日に何百回と口にしていた。

無意識のうちに「痛い」という言葉が次から次へと口から出てくるのだ。

それは生活にも大きな支障をきたす。

睡魔が襲ってくるのに、激痛で丸3日間しっかりと眠ることができない日もあった(数秒寝る→痛みで目が醒めるが何度も続いた)。

痛くてご飯も食べられない日が多々続いた。

歩けないどころか、横になっていても痛みが続いた

次にどのように行動をとっていいのかさえ分からなかった。

しかし、一つだけ確かに分かっていたことがある。

それは整骨院Gへこれ以上行っても治らないことだった。

私は、何度も「痛い」と言いながらも寝たきりの状態で可能性のありそうな病院をスマートフォンで探した。

その中で新しく出てきた可能性、それは整体だった。

今までいろんなタイプの療法を試したが、整体だけは一度も行ったことがなかった。

選ばなかった理由は大きく分けて2つあった。

1つ目の理由は、家の近くに整体がなかったこと。

一番近くて3駅離れた所にしかなかったのだ(整体は整骨院に比べ、圧倒的にお店の数が少ない)。

2つ目の理由は、整体は保険適用外であること。

その為、どこも一回あたり施術料が20〜30分で5000円と整骨院に比べて高額だった。

保険が適用される整骨院に比べると、整体の料金はかなり割高になる。

だが、その時の私には、もうそんなことを気にしている時間はなかった。

少しでもこの痛みが和らぐのならば借金してでも良い施術をしてもらいたい。

そういう思いで一杯だった。

その後、私は人生初の整体に行くことになる。

【第6話】人生初の整体

腰痛体験談#6

人生初の整体へ

整体Aに電話をすると翌日に予約を取ることが出来た。

施術当日、私は3駅先の整体Aまでタクシーで行った。

この頃は、もう普通に歩くことさえできなくなっていた。

整体Aの料金は30分で5000円。

タクシー代は片道2000円。

つまり、一回診てもらうのに1万円弱かかることになる。

本当に痛い出費だった。

しかし、前述の通り、借金をしてでも腰を治したかった私は、藁にもすがる思いで初めての整体へと向かった。

タクシーに乗っている際も激痛で普通に座ることができず、運転手に事情を説明し後部座席で横になっていた。

窓の外には青い空が広がり、鳥が飛んでいる。

時折、自転車に乗った人がタクシーの窓の外を横切って行く。

その姿を見て、自転車によく乗っていた学生時代を懐かしく思った。

同時に、そういう日は自分に再び戻ってくるのかと思うと、とても寂しい気持ちなった。

問診

整体Aは住宅街にこじんまりとあった。

タクシーから中々うまく外に出られずにいると、先生が出てきて手伝ってくれた。

先生は50手前くらいの男の人だった。

電話である程度の症状を伝えてはいたのだが、想像以上だったようで先生は驚いた様子だった。

中へ入ると早速、問診が始まった。

そこで私は過去9ヶ月の間、身に起こったことと痛みを伝えた。

それは一通りの通院歴を伝えた時だった。

整体Aの先生はちょっと変わった質問をしてきた。

「通っていた整骨院は、もしかして⚫️⚫️整骨院ですか?」

⚫️⚫️整骨院とは整体Aのあるエリアでチェーン展開している大きな整骨院のことだった。

私は行ったことはなかったが、大きな看板が大通り沿いに立っているのでその存在は知っていた。

「違います」

そう答えると、先生はその質問をしてきた意図を教えてくれた。

その整体Aには、毎月2〜3人は⚫️⚫️整骨院で腰を悪化させた患者さんが来るそうだ。

先生曰く、腰の痛みの原因は人それぞれ、治療法も人それぞれ。

よって、間違った施術をするとかえって症状を悪化させることがあるそうだ。

あまりにも⚫️⚫️整骨院からの患者さんが多いので、裏で色々と調べたところ、先生はある事実に気づいたそうだ。

その整骨院には施術のマニュアルがあり、全てそのマニュアル通りにやっているそうだ。

つまり、患者さん一人一人に合った施術というよりも、一つのやり方を全ての症状に当てはめる方法だ。

当然、合わない人は症状を悪化させる。

特に、力を入れてボキボキと鳴らす施術は合っていない場合、非常に危険だと言われた。

それを聞いて私はドキッとした。

なぜなら私が最近まで通っていた整骨院Gは、まさにそのタイプだったからだ。

とにかく力強く骨をボキボキ鳴らされた。

整骨院Gに行くまでは不自然ながらも歩ける状態だったが、通い出して症状は悪化し、ついには歩けなくなってしまった(最後の方はタクシーで通っていた)。

それを聞いて、なんでもっと早く痛みの原因に気づかなかったんだろうと自分を責めた。

施術

いよいよ整体Aでの施術が始まった。

それは整骨院とは全く違うものだった。

今までは整骨院でボキボキと骨を鳴らされていた。

しかし、整体Aではゆっくりと静かに施術が始まった。

骨だけと言うよりも筋肉など体全体のバランスを考えての施術に思えた。

結果からいうと、整体Aには5回通ったが治ることはなかった。

より詳しく言うと、ただ現状維持をしているだけという感じで、良くなる兆候は見られなかった。

それまで通り、夜も腰に激痛が走り、眠れない日々が続いた。

だが、この整体Aの先生から言われたことが、その後の流れを大きく変えることになる。

【第7話】急展開

腰痛体験談#7

前回述べたように、腰の痛みは整体Aでも治らなかった。

しかし、ここで言われたことが今後の流れに急激な変化をもたらすことになる。

ヘルニアの可能性

9ヶ月前に受けたMRI検査の結果、私は椎間板ヘルニアではないと診断された

診断を下したのが大きな総合病院A だったためか、それまで通った病院・施設ではどこもその診断に疑いを持つことなく施術が行われた。

だが、整体Aだけは違った。

それは2回目の施術が終わった時だった。

施術を終えると先生は椎間板ヘルニアの可能性があるかもしれないので、もう一度MRI検査を受けた方が良いと言ってきた。

今まで多くの椎間板ヘルニアの患者さんを見てきたそうだが、その人たちの症状と私の症状がかなり一致していたそうだ。

具体的に言うと、お尻から足の指にかけての痛み・痺れだ。

特にくるぶしかかとに関しては、今まで見てきたヘルニアの患者さんも同じように痛みを訴えていたそうだ。

痛み止め

他にも整体Aでは、それまでにない大きな変化があった。

それは3回目の施術を終え、先生と軽く世間話をしていた時だった。

話の途中、先生は何かを思い出したかのように「そういえば痛み止めの薬って何を飲んでるんでしたっけ?」と聞いてきた。

”痛み止めの薬?”

私の頭の中は疑問符で一杯だった。

今まで20軒近くの病院に行ったが、そんなこと一言も言われたことがないからだ。

この9ヶ月の間、痛み止めの薬なんて一度も飲んだことがなかったのだ。

そのことを伝えると、普段冷静な先生は大きな声を立てて驚いていた。

「今すぐ整形外科に行って痛み止めの薬をもらって来てください」

先生はそう急かしてきた。

「こんな歩けない状態になって、どこも薬のことを何も言って来なかったんですか?」

先生は強い口調でそう言っていた。

それはどこか今まで通っていた病院に対して、不信感・怒りを感じているようにも見えた。

再び整形外科へ

整体Aの先生の言った通り、私はすぐに整形外科Aへ行った。

そこは家の近くにあり、初めて行った整形外科だった。

整形外科Aへ行くのは実に半年ぶり。腰を痛めた昨年の夏から秋まで3ヶ月通った所だ。

毎回通っても電気治療モーラステープをもらうだけで、良くなる兆しが全くなかったので通院をやめたのだ。

”まだ治ってなかったの?”

先生はそのような表情で、久々に来院した私を見て来た。

更には以前よりも腰の状況が悪化し、歩けなくなった私を見て驚いた様子だった。

早速、ここ半年の間に起こったこと、そして今通っている整体の先生から痛み止めの薬をもらうように言われたことを伝えた。

それを聞くと特に何も質問されることもなく、先生はあっさりと処方箋を出してくれた。

初めての痛み止め薬

整形外科Aから出された処方箋は下記の通り↓

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詳細(番号順)↓

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初めて飲んだ時の心境を今でも鮮明に覚えている。

それは神にもすがる思いだった。

”痛みよ、消えてくれ”

そう願い、飲んだ。

しかし、薬を飲んでも副作用で気分が悪くなるだけで痛みは一向に引かなかった。

数日後、また整形外科Aに行き、そのことを伝えると先生は驚いた様子だった。

そして、リリカプセルを通常の25mg(1錠)から3倍の75mg(3錠)取るように言われた。

通常の量を飲んでもめまい等気分が悪くなっていた私だが、3倍は更に応えた。

軽い吐き気も覚えた。

だが、当時の私はそれ以上に腰の激痛を治したいという思いの方が強かった。

毎回、気分が悪くなりながらも処方箋を飲み続けた。

レントゲン

3倍の量の処方箋を飲み始め、徐々に効果が出るようになった。

少しづつだが痛みが和らいできたのだ。

それまで激痛で睡眠もままならない状態が続いていたが、2〜3時間ではあるがまとまった睡眠を取れるようになってきた。

だが、薬が効くのは一時的なもの

2〜3時間したら、また激痛が戻るの繰り返しだった

状況を整形外科Aの先生に伝えると、レントゲンを撮ることを勧められた。

確か、半年前に初めて整形外科Aに来た際は、レントゲンは取る必要はないと言われた。

その先生が、レントゲンを撮った方が良いと言ってくる。

やはり今の自分の症状は普通ではないのかもしれない。

そう思った。

そして、半年前にレントゲン検査が不要と言われた背景には、総合病院AのMRI検査結果が大きく影響していたことを感じずにはいられなかった。

レントゲンを撮った後、先生はレントゲン写真を見ながらこう言ってきた。

「大きな病院でもう一度見てもらった方が良いと思います」

そう言って渡されたのは、レントゲン写真のCD-Rと総合病院Bの紹介状だった。

「この2つを持って、総合病院Bへ行ってください」

総合病院Bとは皮肉なことに9ヶ月前、救急車で運ばれた際に選ばなかった方の選択肢だった。

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