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《第一巻》侍従と女官 23 ふじはらの物語り   原本

お上が皇太后宮を後にされてから、皇太后様は、お一人で、お壺の前栽(せんざい)をもの憂げにお眺めになっていらっしゃった。

そのご様子は、ご心中の複雑な感情の行き交いを示唆していたのである。

“あの子が、ここのところ、とみに健康そうなご様子に私の目に映っていたのは故のあることであった。

このように、嬉しさ一入(ひとしお)のことは、近ごろとんとなかった。けれども、それは、もちろん理由のあることであったわけで、つまり、それは女であったのである。”



“思い返して見ても、先の中宮は、身のほども知らず、取りつく島もないくらい鼻持ちならず高慢で、お上のご生来のお優しいご性情を、けんもほろろにまるで受けつけようとはせずに、とうとうあのようなことになってしまったものである。

一体、どのような親の許に育ったのなら、ああなるかと今でも思われるものの、何とも詮方(せんかた)のない話しである。”


“片や、弘徽殿女御にしろ、縁者でありつつ、あの暴戻(ぼうれい)ぶりは目に余る。

そんな中で、よくぞ、三の宮は素直にお育ちになったものである。

今、宮中で、未来への希望をお託し申し上げられるのは、三の宮を措いてほかにいない。

ところが、弟宮の背筋も凍るような振る舞いを目にし、耳にするにつけ、『その未来がどす黒いものに転じようものなら』…、末おそろしく、私は、たとえ、浄土に赴けたとしても、決してその境地を実感することはあり得ないであろうに。

もし、現実に、そのような仕儀にあい成った時、今でさえ身の置きどころなく感じながら、後宮の片隅でひっそりと暮らさざるを得ない二の宮と女一の宮は、一体どのような目に遭わなければならないことか。

どの孫も、皆、赤子の頃はいたいけで、それを、お上は、殊のほかお喜びでいらしたものである。”



“藤原大納言某の娘とは一体どのような本性の持ち主なのであろう。

およそ今まで、お上が、あのようなご様子であったことは記憶にない。

新たな妃嬪にお熱を上げられているのだとしても、それをわざわざ、慣例を破っても、尚侍に一更衣をお就けになるほどまでに至らしめるような女、というのは。

女であるからと言って、聡明であることが悪く受け留められるのは、必ずしも当たっているとは私も存じない。

ただ、聡明な女で、『馬鹿でないような者』はいかほどか、ということである。

気になるのは、かの者のことを、お上は、「自分に対して忌憚のない物言いをする」と言っておられることである。

年端も行かず、可憐ななりをした者が、『忌憚のない物言い』とはどういうわけであろうか。

何とも想像し難いのである。

それは、つまり、ただの我がままではあるまいか。

それで、一更衣を尚侍に昇格させるなど、いくら何でも、『あの子』はそこまで愚かではない。親の贔屓目に見ても。

だ、とすれば。

お上としても、まさか、『はじめは、処女のごとく、後は、脱兎のごとし』なる文句が頭をかすめないようなことはござらぬ、と思われるのであるけれども……。”

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