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《第一巻》侍従と女官 27 ふじはらの物語り   原本

皇太后様は、更衣との引見ののち、しばしの間(ま)を置かれてから、ある日、閑院左大臣を皇太后宮にお呼び寄せになった。そして、お上が藤原大納言某の娘を尚侍にお就けになりたく思われていることを、直(じか)にかの者に伝えられ、自分もこれを了とするものである旨、お語りになったのであった。

当初、閑院左大臣はこの話しを伝え聞いて、驚くとともにその容認につき逡巡していた。

結局のところ、尚侍に誰が推挙されてもそうであったろうに。

ただ、“近しい家門にあらず、源氏にあらず、は好都合”に思われた。

そして、以下のことで、皇太后様、並びに閑院左大臣の意見は一致した。

“まず、藤原大納言某の娘が尚侍に就くことは、今考え得る選択肢の中で最も良い”と思われる。

そして、“彼女の実の父がしがないことは、常識から言って非常に古例に反する”が、それが、藤原氏の長である閑院左大臣の保身にとって極めて有利である。

“今、この布石に二の足を踏めば、後々(のちのち)もっと厄介なことになるであろう。”

最後に、“この件は必ずや弘徽殿女御をいきり立たせるであろう”。


最後については、果たせるかな、閑院左大臣がこの件の利を娘に言って聞かせることがうまく行かず成就した。

そののち、何やかやと言い訳をごねては、弘徽殿女御は、姑に対する通常のご機嫌伺いを数ヶ月にわたり忌避したものである。



皇太后様と閑院左大臣との尚侍に関する直接のお話し合いののち、数日を経て、二人からお上に対し奉り、“ご意向に沿う”旨が次々と上げられて来た。



この度の内諾が、閑院左大臣にとってまさか将来思わぬ面倒に繋がろうとは、この時未だ念頭になかったのである。

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