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《第一巻》侍従と女官 17 ふじはらの物語り   原本

暫くののち、まず更衣が筆をお執(と)りになった。

次に、後ろ見の女房、最後に、若輩の女房がそれに続いた。


お上は、先に彼女らが臨書した紙片と手本を次々と見比べて、大変満足したご様子であった。


穏やかな時が過ぎて、めいめいが筆を擱(お)いた。

更衣は、妹分の筆が擱かれたのを確かめて、初めて安堵した。


お上はまず、ご寵愛である女性(にょしょう)の手を目にされた。

何という謹厳にして、それでいて、心の温かさを失わないよい手であることか。

はじめ、お上は、更衣のものするものにもっと優美な感じを予想しておられた。

しかし、その手は、一瞬でお上の御心を捕らえて余りあり、先の予断などどこかへ行ってしまったようである。

しかして、その内容はと言えば、

都の様々な人々の暮らしを描出しながら、哀感を醸(かも)し出し、それでいて、朝夕の光に浮かび立つこの大邑(たいゆう)の美しさ、それへの憧憬をまるで手に取るがごとく書き連ねてあるのであった。

風格はやはり、男手や年長者のそれに比べて、線が細く見劣りすることは否むべくもないが、初心者にして果敢に文章の王道に挑もうとするもので、その心懸けをお上は多とされた。

何よりも、自分のしろしめすこの都の諸相を、細々(こまごま)と描き込んでいるあたりに、大変なご興味を持たれたのであった。

それは、知識としてではなく、実相(実情)としての描出に関して。

ただ、今回のご自分の提案が明らかにしてしまったことについて、お上は反省のお気持ちを禁じ得られなかった。

“更衣は、少々気負い過ぎの憾が見える。

それは、決して彼女のせいではない。

年の端も行かぬ乙女が後宮に上がるということ、もちろん、それは大人達の過大な思惑を背負ってのことであり、それだけでも、肩の荷が重いというのに、この私は、性急にも、彼女に対して期するところの果実をこの手に獲ようと、焦り過ぎなのである。”

“私は、愚かにも、更衣の心情をはや傷付けてしまっているのではないか”と、お上は、一瞬顔をお曇らせになったのである。

そして、文章の中身そのものとは別に、紙面に浮かび上がる朝臣(あそむ)にも負けない書き手としての筋を、まざまざとご覧になり、これよりは、更衣の資質をもっと懐深く鷹揚にご伸長遊ばされようと、お上は、御心を決められたのであった。

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