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細胞膜

母語というのは人間にとって動物細胞の細胞膜のようなものだと思う。

では人間そのものは?と言えば、……精神が核に当たるのかも。

人間が物理世界と関わりを持とうとする時、核から目当てに意識を収斂かたかだそこに細胞膜の向こう側をあてがう。そのこちら側と核との緊張関係が文章もしくはその断片により代表されるのであり、たとえそれがいわゆる不立文字の次元を超えないとしても、精神はそこにある一定の意図を措定しているものである。

人間はその繰り返しを経ることをもって人生と為す。

その意図は他者と共有、享受される宿命にあってその接触が概ね社会の平安を維持し、その善良な発展に寄与するのである。

ここでこそ「小人閑居して不善を為す」の警句は面目躍如となるのである。

皆さんはそれを多少息苦しいと忌々しくも思われるであろうが、細胞膜が溶け去ってしまった惨状に比べれば、別天地のように私には思われるのである。また大気に満たされた青い美しい惑星のように。

経世済民。😑