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小説 ふじはらの物語り Ⅱ 《陸奥》 54 原本

文室将軍の京(みやこ)への帰還当日、鎮守府前には、官民問わず多くの者がその見送りに参じた。

中には、すでに目を泣き腫らしている者もいたのであった。

これは、勿論将軍のこれまでの功績に対する感謝、そして、憧憬、並びに、彼の人がらに対する愛慕によるのは間違いないのであったが、その上で、後任者、そして、彼による鎮守府運営に対する言い知れぬ不安からでもあったろうに。


文室将軍の後継である源(みなもと)氏はすでに鎮守府に入っていた。

そして、京(みやこ)から鎮守府にやって来た当日の源氏、その馬上の姿を国府の人々は眺め見て、まるで腰を抜かさんばかりに皆なったものである。

それは、“京(みやこ)の公達でもここまで痩せぎすではあるまい”と思われる細身、且つ、長身の男であって、表情があまりないと言うか、深みに欠けるのも皆、気になったものである。

その意味するところは、外部の事象について、さほど興味を覚えないのではないかというものであるらしかった。

その点に関して言えば、同じように無表情に近かったあの橘氏の平素の神経質ぶりとは真逆ではないか、と国府における古参の者達は感じたのであった。

その痩身の佩(お)びる、これまた細くほぼ真っ直ぐな刀、それらが、馬上で、何ら覇気を放つこともなく、鎮守府に向かって進み行くのを人々は目の当たりにして、誰が安堵感を得たであろうかというものである。

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