ホテルが立ち並ぶたびに、ぼくは劣等感と絶望感と、幸福感を覚えていく。
1週間の京都への帰京を終え、昨日、東京に戻りました。
今週は、東京の桜新町付近に、よく出没しているかと思うので、お時間ある方はぜひお会いしましょう。
日本国内への誘致施策やインバウンド、ホテルの建設ラッシュ、コロナウイルスなどの時を経て、ぼくは今、宿泊業や飲食業を行っている。
たくさんの宿が造られ、たくさんの人が押し寄せ、
たくさんの宿が潰れ、休業し、人が来なくなった。
たくさんのカフェが造られ、また休業し、潰れたりもした。
あんなに人で賑わっていた街にも、人がいなくなり、そして誰もいなくなった。
様々な要因が絡み合い、このリアルな状況を作り、そこからたくさんの人たちが影響を受け、また、ぼく自身にも影響を与えた。
なんだかんだ言って、この業界の大手は強いし、華やかで。
宿の仕事をしていると、「大きいしお洒落だな。素敵な空間だな。」と思いつつも、どこかで羨ましいという感情が湧いてくる。
資本の力を目の当たりにするし、大きな力の前で跪くこともある。
人間だもん。
宿泊業界、観光業界、飲食業界。
ハード的な部分に関わっていると、街を歩く度に、目に入る。
外資系のホテルや、高級ホテル、商業施設と化した宿泊施設。
お洒落なカフェ、有名デザイナーが手掛けた内装バッチリのレストランや飲食店。
街を歩けば、ネットを開けば、否が応でも目にしてしまうその世界と景色に、少なからずも劣等感や絶望感を覚えてしまうことがある。
人間だもん。(2回目)
それでも、自分たちの存在価値とは何か、何を目指すのか、どうなり、在りたいのか。
それらの思考を止めずに、自分たちが歩む道を、自分たちで考え、実行し、創り上げていく。
できることと、できないこと。
やるべきことと、やるべきではないことを模索する。
小さな宿でも、大きな宿にはできないことがあるし、やるべきことがある。
劣等感や絶望感を覚えることも決して悪くないし、人間として当たり前のこと。
その劣等感や絶望感と”どう向き合うのか”。
世間から見た、
自分たちの小ささを知り、自分たちの影響力の無さを知る。
ホテルが立ち並ぶたびに、ぼくは劣等感と絶望感を覚えていく。
そんな蟠(わだかま)りの感情を、その感情だけに留めず、浄化と昇華をさせるために、今日も街に出るし、大きなホテルが立ち並ぶ通りへと足を延ばす。
改めて。
ホテルが立ち並ぶたびに、ぼくは劣等感と絶望感を覚えていく。
そして、そのたびに、幸福感も覚えていく。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?