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プロサッカー選手を目指すということは、何に繋がるか?

サッカー選手の性質ということをずっと考えている。プロを本気で目指して、プロ選手になってみて、そして引退してみて。
思うのはやはり特殊な職業であったということ。
(市原で引退後、JCに入って多様な職業、様々な役職、OBを含めた多様な世代の方と交流できて、様々な視点を知り、思いました)
そして、プロサッカー選手と日々向き合う中で、どのような関わりが彼等を豊かにするのか?それをずっと考えている。

プロサッカー選手を目指すとはどういうことか?詳しく書いてあった記事があったので、
参考にして、考えてもらえたらと。
確率、数字にすると、極めて低い数字である。ちなみにJ1の平均年収は忘れてしまいましたが、J2の平均年収はもっと高かったと記憶しています。それ以外の計算根拠や、その他の数字等は非常に参考になるものだと思います。

つまりなる事を目的にすると、
論理や,思考、確率論ではなかなか,
目指しづらい領域かもしれません。
選手をやってみて、また間近で見続けて、
なかなか難しい職業だと思う。
なぜなら、大事になってくるのは、まずは圧倒的な量と、またサッカーに懸ける想いの継続性。
さらに時として必要なのはある種の「思い込み」である。良い言葉で言うならば、「自分を信じる」とも表現できるが、世間の評価や、指導者からの評価というのは時として、残酷で、正確な客観性は失望の中に居続けることを長くする。だってそもそも確率が低いのだ。
うまくいかないことが,圧倒的に多いようになっている。
永遠に続く競争の中で、比べ続けられる中で、圧倒的な量と,想いを表現し続けなければならない。自分が思ったとおりできない時は多々ある。また指導者に厳しい現実を判断されるときもある。自分より優秀なライバル(対戦相手)に圧倒的な違いを見せつけられるときもある。それでも、自分を信じて、「自分ならできる」「こうすれば、良いのでは?」「あきらめない」色々理由をつけて、思い込み、
自分を瞬時に立て直し、いち早く、気持ちをグランドに向け続けないといけない。
それをサッカーを始めた幼いときから、
引退するまで、やり続けるのだ。
客観性があるとむしろ難しい時期があり、
ものわかり良いということは、
夢を叶えることの邪魔にすらなる。
つまり「低い確率」を否定して挑み続けていかないといけない。だったら、周りの目を気にせず、自分を信じ続ける方が楽だし、自分の客観性を麻痺させないと進めない時もある。

もう一方でビジネス界にもよく出てくるフレームワークではこのようなものがある。
(今年の新人で入った松崎快のnoteでやたら、フレームワークが出てくるので、少し自分も使ってみた)

ジョハリの窓

思い込みの強さとは秘密の窓になる。自分だけが知っている自分・・・。こんな事もできるんだ。こんな能力もあるんだ!こんなに精神的に強いのねなど。周りに対しては、思い込みの時期はできる限り短くし、いち早くできる自分を知ってもらわないといけない。同時に盲点の窓を放っておき過ぎると、それは評価という観点で致命傷になる。これはどの職種でもそうだと思うが、評価が低い人には与えられる機会もおのずと減っていく。盲点の窓でプロの世界にたどり着けなかった選手。またプロの世界から去って行った選手をたくさん見てきた。その逆で、予想外に秘密の窓を表現し、自分の存在を証明して切り抜けて言った選手も数は少ないが、いるのも事実。「自己認知」は成果をあげることにおいて、最重要項目だと思うが、置かれている状況において、秘密の窓と、盲点の窓の向き合い方については、特に慎重になる必要がありそうだ。とはいえ、正確に自分を知ってからは、その現状に怖じ気づくことなく、どの窓もさらに拡げていくという強い意志と行動がプロサッカー選手になる、もしくは、居続ける事には必要だ。


「開放の窓」はもちろんだが、「盲点の窓」に対しては謙虚に耳を傾け、行動に移し、「未知の窓」には多様な交流から今までの自分とは違う自分を発見していくことが必要になる。そして、厳しい現実からは、時に「秘密の窓」を公開し、自分を証明していかなくてはならない。う~~ん。なかなか難しいバランスをとっていかないとならない。自己開示、思い込みから成果に、謙虚に傾聴、新規の交流。相反する内容があったり、案件事に対応が違ったり・・・。

最終的には一定期間、想いを持って続けてきたことが、しっかり身になり、世の中のためになる。そんな風になったら、良いなと思う!
そこで、2018年に我がメンターである(勝手にそう思っている)中村裕樹さんから教えて頂いた、社会人基礎力のフレームワークはなかなかのお気に入りです。

サッカー(スポーツ)をしていくことが、
どんな能力要素に積み上げられていくことに繋がっていくのか?プロサッカー選手になるというのは、結果であって、そのプロセスにも価値があることは、知ってもらいたいというか、証明したい。
事実、元体育会系や、運動部出身者で、
その経験、また続けたことによって醸成されたマインドが、原体験にある超優秀なビジネスパーソンとは何人も会ってきた。
スポーツをしていたという文脈は、その時、その時に意味づけが、違ってよい。
現役中は自分の全てであったサッカーをプレーをするという行為は、
今の自分に至っては、子供との会話のツールであり、物事を子供に伝えていくための、手段というのが、本音だ。
つまり、そのスポーツの意味はその時、その時、また人によって違ってよい。週末の楽しみであり、酒の魚であり、人生をかけて、応援する対象であっても良いということだと思う。
(願わくば、熱く、人生をかけるような人達が増え、サッカー文化、スポーツ文化の発展に寄与したい)

別にスポーツに限ることなく、勉強も、芸術も、文化的な活動も含め、ひとつのことを突き詰めていく過程の素晴らしさ、奥深さに価値があることを特に若い年代、世代の人にはひろめたい。

とはいえ、最近は、高いレベルを追求していくことで、頭、身体、心、を鍛えていくことが、余儀なくされるスポーツの存在は、またスポーツビジネスの分野は今後さらに際立ってくるのではと感じているところです!

色々書きましたが、とにかくスポーツビジネスの分野で、最前線の現場で目的を常に追いかけ、理想に向かって、選手のため、スタッフのため、地域のため、仮説をたて、検証を繰り返し、進んでいきたいと思います!

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