社会の中の城壁

”主観(subject = 臣民)の概念は恐らく中世に獲得されたが、その最初の君主は「王」であった。やがて市民革命を経て君主は「資本家」となった。そして現代、中産階級の台頭によって主観が盲従しているのは「ビジネス」である。ビジネスに貢献する、というドグマに従い人々は今日も足枷を磨いている。” @manabuueno

勉強会やワークショップのイベントの開催場所が、ネットでよく目にするような有名企業のオフィスのとき、それは都心の一等地の綺麗なビルの高い階にあり、オフィスへのエレベータの入り口にはゲートがあって、その中に入るためには、たいてい、その前に立っているイベントスタッフからQRコード付きのカードをもらわなくてはならない。このカードを無くすと帰りが面倒なことになる。

オフィスの中も小洒落ている。眺めはもちろんよく、カラフルで遊び心がある広いフリースペースがある。人間はクリエイティブな仕事だけに専念すべきだ、というメッセージなのだろう。

そんな空間で、外の東京の眺めを観るとき、「城壁」の中にいるんだと実感する。

中世のバルト三国では、ハンザ同盟のドイツ人商人たちが、街を築き、富を得ていた。街のまわりは城壁に囲まれていた。支配者たる彼らが話すドイツ語は壁の外でくらす農民のほとんどは理解できなかった。街を囲う物理的な城壁と、言語にとどまらない、あらゆる外のひとには越えられない壁がそこにあった。

シリコンバレーのキラキラした企業たちも高い壁の中にあり、せっせと壁を高くしていると言ったら意外に感じる人もいるかもしれない。彼らはダイバーシティという言葉を好んでいるからだ。しかしながら、カリフォルニア州では、人種ごとに住む区域がはっきりと分かれている。

シリコンバレーでは少なくとも、サービスを提供する組織は、世界中に存在する多様な顧客に対応するために組織もまた多様である方が望ましい、と理解されている。この点は、おじさんばかりでも何も感じない大半の日本企業とは異なる。

だから、色んな背景をもった人がいることを誇る。もしかしたら、途上国で苦学して渡米してきた人かもしれない。ただそれは、マクロでみれば誤差に過ぎない。それはあくまで、自分の組織のため、あるいは自分の顧客のためなのである。つまり、城壁の中のためである。あるいは、城壁の外にいる人にも、たまには門戸を開いてやるぜ、というわけだ。

税金だって、払わない方法はいくらでもあるようで、顧客の心証が悪くなるから払うという具合だ。万事が、城壁の中を向いているである。

なのだが、城壁の外にいる人たちからも城壁の中については礼賛されていることが多い。

城壁の中の素晴らしさを訴えるという、言ってみれば職業が存在する。伝道師といえるかもしれない。自分らしさ、クリエイティビティ、夢、というような言葉がキーワードが好まれる。

伝道師にも格付けが存在する。フォローワー数であるとか、有名人のイベントに呼ばれるとか、である。いずれにしても、彼らも生活がかかっている。ソーシャルメディア全盛の時代、プライベート情報もまた、人々の関心をひくための重要な手段となる。

実際のところは、外からみた華やかさとは裏腹に、プライベートを切り売りする、かなりハードな職業だと思われる。苦労して教えを説いた伝道師、という比喩はかなり的を得ているのではないか。

城壁がますます確固たるものになっていき、すでに城壁の中にいる者が圧倒的に利する仕組みが強固なものになっていく、そういう時代なのだ。

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