見出し画像

美しすぎる本棚?東洋文庫ミュージアム

異次元空間は、世界のヘンテコを追う同人誌「異次元空間」のオンライン版で、風変わりな場所と構造物の紹介がメインです。

美しい本棚が東京にある、そんな話を知ったのは、東北は盛岡近郊にある小岩井農場だった。農場の共同設立者だった三菱グループ繋がりで東洋文庫所蔵品を紹介する特別展を行っていたのだ。

画像11

小岩井農場に展示されていた複製画。誰もが教科書で目にしたことのあるノルマントン号事件の風刺画である。こちらも東洋文庫収蔵品だ。

ちなみに、小岩井の由来は、日本鉄道会社副社長の小野氏、三菱社社長の岩崎氏、鉄道庁長官の井上氏の三名の頭文字に由来している。

画像1

東京駒込にある枝垂れ桜で有名な庭園・六義園の近くに、東洋文庫は位置している。看板では国立国会図書館支部東洋文庫と案内されているが、東洋文庫は2009年に国立国会図書館支部からは外れているので、現在はこの看板も替わっているのではないだろうか。

画像10

これがその東洋文庫(下部が東洋文庫ミュージアム)である。書庫スペースが多くを占めているためか、建物にはほとんど窓がない。

画像2

エントランスには確かに東洋文庫の文字がある。研究図書館らしい重厚感のある入口だ。

東洋文庫は東洋学の研究図書館です。三菱第三代当主岩崎久彌氏が1924年に設立した、東洋学分野での日本最古・最大の研究図書館であり、世界5大東洋学研究図書館の一つに数えられております。その蔵書数は国宝5点、重要文化財7点を含む約100万冊であり、内訳は、漢籍40%、洋書30%、和書20%、他アジア言語(韓・越・梵・イラン・トルコ・アラビア語等)10%です。
東洋文庫ウェブサイトより

画像6

高い吹き抜けを持つ館内に、カフェとミュージアムショップ、受付がそれぞれ配置されている。外観も含め、意匠に凝った建築そのものも見どころである。

大正13年に設立された東洋文庫の建替。
国宝や重文等の貴重な書籍の保存・研究機能を高めるとともに、その普及のためミュージアムやカフェを新設した。
外装は、幅の違う大判のタイルで本が並ぶ知の集積を表現し、また、本の装丁に使われる透かしをモチーフに僅かな凹部分で草模様を表現した。
書架で囲われた展示室や朱をアクセントにした内装、奥へ行けばいくほど新しい発見がある空間構成等、「本-知-東洋」をコンセプトに東洋文庫を表現した。
三菱地所設計ウェブサイトより

画像4

階段を登るとすぐに東洋文庫ミュージアムの目玉となるモリソン書庫がある。これが日本一美しいとも言われる本棚だ。

東洋文庫の数あるコレクションのなかで最も有名なのがモリソンコレクションです。1917年、東洋文庫の創設者、岩崎久彌は北京駐在のオーストラリア人G. E. モリソン博士から東アジアに関する欧文の書籍・絵画・冊子等約2万4千点をまとめて購入しました。それから一世紀の時間が流れた今ここにその貴重なコレクションがよみがえりました。
東洋文庫ウェブサイトより

画像3

見上げるほどの書籍が、見学者を取り囲むように並ぶ。

画像5

こうした独特の空間が生まれたのは譲渡時の条件によると考えられる。

コレクション譲渡の際のモリソンからの要請・条件
・ 一箇所に永く保管し、G. E. Morrison Libraryと呼ぶこと。これを大きな文庫の一部とすることは差し支えない。
・ 引き続き購入し、このコレクションを拡大すること。
・ コレクションを死蔵することなく、篤学者に閲覧の便を供すること。
東洋文庫ウェブサイトより

東洋文庫ミュージアム見学者はこのモリソン書庫について、図書館のように自由に手に取ることはできないが、貴重な資料の一部は電子化され、ウェブサイト上で閲覧することができる。

画像7

回顧の路と名付けられた空間。東洋文庫ミュージアムにはこうした見学者への興味を持たせる仕掛けもある。

画像8

2階から1階のロビーを見たところ。建物の奥は中庭「シーボルト・ガルテン」になっている。

画像9

ミュージアムに併設されたレストラン「オリエント・カフェ」までの道は知恵の小径と呼ばれる回廊があり、ここに並ぶ柱にはアジア各地の名言が日本語併記で記載されている。ミュージアムだけでなく、この回廊も併せて訪れるのもいいだろう。

ちなみに、「オリエント・カフェ」は東洋文庫ミュージアムと冒頭に出てきた小岩井農場で共同プロデュースしているレストランである。

公開されているストリートビューの全天球画像では、中国書を中心とした東洋の書籍で構成されるモリソン書庫の全体を見回すことができる。

日本にはまだ見ぬ不思議な光景があるものだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?