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アドリブ・ブルースが現代人を救うとき。3

学習は創造的な行為であり、そうでなければ、それは学習ではない。


『アインシュタインファクター』の著者ウィン・ウェンガーは、知識を高めるのは外からの新たな情報ではなく、「自分自身の知覚に対する知覚」だと語っている。

アドリブ演奏を行う際に、プレーヤーは自己の音楽アイデンティティについての知覚を、伴奏についての知覚と結合させる試みをし続けている。そこには連続的なフィードバック効果が起こっており、トライ&エラーという言葉では片づけられないほどの「リデザイン」が連続している。このフィードバック効果が新たなフレージングを生み出したときに、プレーヤーはアハ体験に至る。そのアハ体験の強さは、きわめて強烈なものだ。そのようにアハ体験が強烈なものとなるのは、自らの中に眠っていた音楽的素質が表象となり、音となってプレーヤーの耳に届いてくるからだ。

このように連続的にフィードバック効果が生まれ、アハ体験が生み出されるトレーニングは、ぼくはアドリブ演奏によるトレーニング以外にはないと考えている。

また、この時、潜在意識へのアクセスも起こっていると考えられる。

潜在意識へのアクセスとしては、フロイトの「夢」が知られている。

「夢は経験の記憶が作り出す」という知覚は、ぼくたちはイメージしやすい。しかし、「経験の記憶は夢が作り出す」という知覚はイメージしにくい。なぜなら、ぼくたちは顕在意識上で知覚をしているからだ。しかし、フロイトにとって、「夢」で出会う顕在意識と潜在意識とは相互補完的であり、どちらが卵でも鶏でもない。この顕在意識と潜在意識の相互補完性を、ぼくたちが直接知ることができるのは、通常は「夢」を見ている間しかない。

ところが、アドリブ演奏を経験した人が知っている通り、アドリブ演奏中に、プレーヤーは、自分の知らない自分の音楽アイデンティティや表現パターン(表現方法とは少し異なる)に出会うことがある。瞬発力を伴ったデザイン思考が働いているとき、プレーヤーは音楽理論の知識ではなく、潜在意識に保持された音楽アイデンティティや表現パターンにアクセスしている。

今説明したアドリブ演奏中に起こっている思考は、「ソクラテス的自己対話」に他ならない。ソクラテスがもたらした対話とは、問いに対する答えを求める過程の重要性であり、明確な答えがないものについて問いかけることの意義の重要性だ。

よく使われる「無知の知」は、2500年経った今となっては、対話のゴールではなく、前提だ。ソクラテス的自己対話によって、眠っている潜在意識にアクセスしたとき、人は本来の脳力を発揮できる。「無知の知」とは、フロイト的表現で言えば、通常の状態では潜在意識にアクセスできていないということを知ることを言っている。常に問い続けることによって眠っている潜在意識にアクセスする、連続的なフィードバック効果をソクラテスは2500年前に語っていたのだ。

驚くことには、アインシュタインもホーキングもバッハも歴史的天才たちは、表現は異なっているが、ソクラテスと同様のことを語っている。


アドリブ演奏は、ソクラテス的自己対話そのものであり、ロジカルな思考では不可能な、潜在意識にアクセスしたデザイン思考を強化する行為なのだ。

あなたが、デザイン思考を強化し、クリエイティビティを高めたいと考えているのであれば、アドリブ演奏のスキルを身に付けることは遠道にはならないはずだ。

本屋に行けば、デザイン思考を高めるためのスキル本や思考フレームが並んでいるが、スキルやフレームによってデザイン思考を高めようということ自体、逆説的であり、実は滑稽なことなのだと言える。

スキルやフレーム思考から自由になり、潜在意識にアクセスしてこそクリエイティビティが開放され、デザイン思考が可能となるからだ。

今、残念ながら書店に行ってみても、今日からアドリブ演奏ができるようになる本はどこにもない。今日からアドリブ演奏ができるようになりたいと考えている方は、ぜひみらいびらきLabo.のBlues Session Therapyにお問い合わせください。

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