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町との会話講座 〜町のカケラ編〜

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ブログ「 町のカケラ。」から町と会話するスキルを拾い出して掲載します。
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記事一覧

自転車をどこに置く?

町のカケラの中で、自転車は大きなファクターになっている。自転車には家への帰巣性があり、家を離れたとしても必ずまた戻ってくる。ウチとヨソをつなぐ役割を果たすこのカケラが作り出すレイアウトは、やはり端正だ。

町に置いてある自転車の所属先は、出掛け先と帰巣先(家)とに分けられる。そのどちらにおいても、自転車はヒトの営みによって配置されている。そこに配置されるには必然性があって、そこにあらざるを得ない根

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隣人、ネコ、鳥と何を契約したのだろう。

町が白い雪で覆われた時、そこに浮かび上がった町のカケラ、移動のトレースから、町の利用者間の契約が見えてくる。

以前、複雑系の本をあれこれと読んだ時期があった。ぼくは文系の人間なので厄介な数式の並んだ本は読めない。でも、どうしても複雑系の考え方が説明する世界の捉え方を理解したくて、文系脳で読める部分だけ切り取って読んだりした。しかし、複雑系の世界は読めば読むほど深淵に沈んでいくようであり、新しい世

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いくつの世界を同時に感じることができるか。

ヒトは暮らしを営む時、通常1つの世界の参加者となっている。そして、その世界に参加していない者については、世界の外側に追いやっている。

でも、ふと頭の上を見上げた時、シジュウカラがカラスに追われて命の攻防を繰り広げていることに気づくと、自分の頭上ではそれが日常であったのだということに気づいたりする。また、靴紐を結ぼうと屈んで、足元でアリの兵隊が何か大層な作戦を実行しているさなかだと気づいた時、

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境界

境界は、双方向性をもった垂直面だ。

人の暮らす空間の中に、ウチとヨソの境界がある。この境界をウチとして暮らすかヨソとして暮らすかは、人それぞれ。ぼくなんかにとっては、ウチとヨソとの境界である家の外周りは、完全にヨソ空間だ。家の周りにはぼくの生活の営みの足跡はほとんどない。生活感のあるモノがあったとしても、見せるように配置している。ここに如雨露があったら良いだろう、ここにほうきがあったら良いだ

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つながり=実存?

町の佇まいに偽りはない。

町は実存の世界であって、作為による虚構も含めて実存だ。町のカケラからその背景にある思いや願いを想像することはできるが、その想像はもう町の実存世界を離れている。

日本の景色のパーツの中で電線を忌む人はたくさんいるようだ。逆に、ぼくは電線のある景色が大好きだ。つながりとか絆とか、日本人が大切にしてきた価値観を表しているからだ。電線で家と家を可視的に結ぶことは、町の

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町のカケラが伝えるコト

町のカケラは、メッセージを常に発している。

内容は、「ある」ことや「する」ことであるとは限らず、「ない」ことや「しない」ことである場合もある。それはそのカケラの主の意図と合致することもあるし、合致しないこともある。町の表現するメッセージは、「意図」ではなく常に「実態」や「事実」と結びついている。

この閉ざされた店舗は、たくさんの町の人々の「ごちそうさま」を生み出してきたことを雄弁に語っていた。

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外と内

窓や戸は、1つには、外界と「うち」とを隔てる役割を果たしている。それを開けたり閉ざしたりするのには意図が働いていて、その意図が町の風景を作り出している。その窓や戸がどう開かれているのか、あるいは、閉じられているのかというのは、その建物の主の世界観や世界とのつながり方を表していると言っても良い。

もし窓辺に外側に向かって何かが置かれているとしたら、その置物には、そこを通る人々へのメッセージが託され

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