NRN 能登復興ネットワーク(いやさか)

R6年能登半島地震から、能登が能登らしく復興するために、地域内外のリソース(ひと・もの・情報)をつなぎます。

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【連載・能登の遺伝子②】未来の日本を「最先端の能登」から/二重の被災を力に変えて/CとH合同会社 CEO・伊藤紗恵さん、COO・橋本勝太さん㊦

仕事づくり進めるも、育成に課題 能登半島地震を受け、民間企業という立場から女性の仕事づくり活動を始めた。 なぜか。 能登では被災をきっかけに廃業してしまう事業者が出ている。ダメージのあった道路や水道、施設がこれから修復されたとしても、その時に働く場所がなかったら人は定着しないからだ。地域をこれからも持続していく上で、いかにして人々が収入を得る機会を確保していくかは避けて通れない課題となっている。 取り組みの一例が耐熱ガラスメーカーのHARIO株式会社(東京)と連携し、

    • 【連載・能登の遺伝子①】「ふりだし」で感じる変わらない存在意義/地方と都会つなぐACアダプターに/CとH合同会社 CEO・伊藤紗恵さん、COO・橋本勝太さん㊤

      東京から能登半島に移住・起業して半年がたった2024年1月、新たな「地元」となった珠洲市を震源とする大地震が発生した。本拠地を置く市中心部の飯田町は商店街の姿が変わり果て、せっかく築いた自身の活動拠点も全壊。ようやく街の復旧が緒に就き始めた9月、今度は記録的な豪雨に襲われた。 「また、ふりだしか…」。いわゆる「二重被災」に直面した伊藤紗恵(CとH合同会社CEO)が語る。ただ、伊藤はインタビュー中、気落ちした様子をあまり見せず、気丈に語っていた。それは取材のため訪ねてきた相手

      • インタビューを通じ、立ち上がる能登の姿を発信します

        遺伝子。それは私たちの中に確かにあるもの。一人一人の暮らしを形づくってきたもの。脈々と受け継がれてきた過去の記録であり、現在の証しであり、未来を描くための設計図でもあります。 このたび、能登復興ネットワークは「能登の遺伝子」と題したインタビュー企画を始めることにしました。 能登半島地震の発生は2024年1月1日。あれから春が過ぎ、夏が訪れ、秋の足音が大きくなってきました。自然とともに生きてきた能登の住民にとって、この期間は「8カ月」や「200日」という数字では表しきれない

        • 地震と豪雨の「二重被災」を受けて報告会/復旧作業と並行して未来づくりを

           能登復興ネットワークは2024年9月26日、地震から8カ月を経て発生した先日の豪雨被害を受けてオンライン報告会を開き、支援組織や企業、ボランティアの関係者が現状を共有して対応策を協議しました。「二重被災」による精神的な負担が住民にのしかかる中、参加者は足元の復旧作業を進めるとともに、緒に就いた未来づくりの取り組みも前進させることで復興につなげる方向性を確認しました。 被災者も支援者に  豪雨について、報告会では「被害がグラデーションになっている」との指摘がありました。能

        マガジン

        • 能登の遺伝子
          3本
        • ボランティア体験記
          1本

        記事

          能登半島地震ボランティア体験記 / 大学生Tさん

          参加日程:8月19日〜31日 ボランティア先:ねがみみらいクリニック、sien sien west、農業組合法人なたうち、能登半島支援チーム、こみんぐる 「地元石川県の力になりたい!」という想いから、8月19日〜31日までボランティア活動に参加しました。 コーディネーターさんに調整していただいたおかげで、短い期間ではありましたが、5つのボランティア団体さまの元で様々な支援活動に従事することができました。 以下私の活動内容をまとめたいと思います。 ◉ねがみみらいクリニック

          能登半島地震ボランティア体験記 / 大学生Tさん