マガジンのカバー画像

追想

8
──ただそれだけの主観的事実
運営しているクリエイター

記事一覧

追想〈#0-12〉

追想〈#0-12〉

#0 -6

 この頃のことはあまり覚えていない。微かな記憶の中では、まだ祖母が寝ているあたたかい布団に潜り込んだり、救急車のことを「ヘッコー(ピーポーというサイレンがそのように聞こえていたから)」と呼んだりする子どもだった。

 両親は共働き。だから日中は保育所に預けられていた。そこで出会った飛鳥(仮名)ちゃんのことを僕は好きになった。飛鳥ちゃんとは、毎朝どちらが先に保育所に着くか、という結果が完

もっとみる
追想〈#12-14〉

追想〈#12-14〉

#12

 中学校に入学したばかりの僕は、生徒名簿に飛鳥ちゃんの名前があることに気付く。小学校は別だったが、中学校では一緒になることができた。──なんたる幸運。別のクラスではあったものの、その幸運を噛み締めたいと思った。

 最初の学期で僕は総務委員を務めた。学級委員長みたいなものだ。誰も挙手する生徒がいなくて、それならば自分が、という思いで立候補したことを覚えている。はっきり言って、僕には向いて

もっとみる
追想〈#15.前篇〉

追想〈#15.前篇〉

#15

 部活引退直前の夏のあの日、部活の同級生と所謂恋バナになった。「実は飛鳥ちゃんのことが保育園時代を含めて9年好きだった」という話を同級生にした。迂闊だった。悔やんだって後の祭りだけど、きっと死ぬまで後悔するのだろう。

 その同級生は、僕のいないところで、「その話」を晒したのだった。飛鳥ちゃんにも伝わったし、悪意のある人たちにも伝わった。──あれは彼女たちにとっては揶揄いでも、僕はとにか

もっとみる
追想〈#15.中篇〉

追想〈#15.中篇〉

#15

 夏休み。僕は進学塾の合同合宿に参加していたが、心に深い傷を負ってしまい、受験勉強どころの精神状態ではなかった。会場のホテルで倒れてしまい、遠方から叔父が迎えに来てくれたことを覚えている。──あの日は大雨だった。

 夏休みが明けた2学期からは長期欠席。担任の先生に「人間不信になってしまった。詳しくは話せない」と事情は伏せて理由を伝えた。母は僕が急に学校に行かなくなったものだから混乱に陥

もっとみる
追想〈#15.後篇〉

追想〈#15.後篇〉

#15

 何度も学校に行こうとした。朝、制服に袖を通してボタンを閉め、通学路に足を進める。しかし、途中でザワザワする。心がきゅっと縮んで、手足が震えるような感覚に陥る。堪えきれずに自宅へと引き返す。毎日がその繰り返しだった。

 「定期試験だけでも受けたほうが良い」と先生から説得を受けていたこともあって、なんとか保健室で試験を受けるという日もあった。勿論、授業を受けていないので成績は壊滅的。僅か

もっとみる
追想〈#16-18〉

追想〈#16-18〉

#16

 高校はビルの中にあった。多くの人が想像するような高校の校舎ではない。運動場もなかったから、授業などで運動をするときは公共施設を学校が借りていた。教室はいかにもビルの一室といえるものだった。最初は戸惑った。でも慣れた。

 それよりも戸惑ったのが授業内容で、数学の授業が分数の計算から始まったことがショッキングだった。察するに、底上げ(ボトムアップ)方式の授業を展開しないと、授業内容につい

もっとみる
追想〈#18-19〉

追想〈#18-19〉

#18 -19

 実家から時間をかけて大学に通う日々が始まった。行き帰りの電車は人でごった返していて、身動きすらとれないことも珍しくはなかった。電車という密閉された閉鎖的な空間で、且つ身動きがとれないという状況に心は悲鳴を上げていた。

 講義はそれなりに楽しかったのだが、演習系の科目に大苦戦をして、遅くまでキャンパスに残った割には何の成果も得られなかった。ここまで要領が悪かったのかと自分に失望し

もっとみる
追想〈#20-◼︎〉

追想〈#20-◼︎〉

#20 -◼︎

 自宅療養を経て復学するも数ヶ月を待たずして大学を退学した。講義中にバタバタ倒れるものだからもうどうしようもない。自分の努力次第でどうにかなる次元の話ではなく、この頃の僕がこの環境で何をやってもダメだったのだろう。

 それからの出来事は胸にしまっておこうと思う。というのも、この追想シリーズは20歳までの僕の人生を、記録として残したいという動機によって生まれたものだからだ。20歳か

もっとみる