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【ほぼ朝】日常の文化資本のシェアは落ち葉のように

森高千里の「渡良瀬橋」を昨夜スマホで流していた。メロディーが美しいので、今度自分でもウクレレで歌ってみたいと秘かに思っていたりして、このところ、思い出すと聴いていた。些か歌詞が未練がまし過ぎるが、よくできた素敵な曲だと思う。

昨夜、長女が誰の曲か訊いてきたので、森高千里っていう昔のアイドルで、ハンバートもカバーしているんだよ、なんて話をしてぼくは寝たんだけど、体がかゆくて目が覚めてしまい、皮膚科でもらった薬を飲もうと起き出したら、お風呂からハンバートの「渡良瀬橋」が聴こえていた。

「文化資本のシェア」などと大袈裟なことをぼくは講演で言っているように聴こえるかもしれないけど、文化をシャワーのように浴びれる環境で子供たちが過ごせることがすごく大事で、それは社会に引っかかる文化のフックを育ててあげるようなことだと思っている。

残念ながら、貧困環境の中で文化資本にアクセスできない子供たちは、文化フックがカラダに生えてなくて、なんとなくつるんとしていたりする。厄介なのは自尊感情が育まれず、好奇心の芽も摘まれてしまっているので、新しいフックも生えずらくなっていることは、貧困の連鎖から抜けられない大きな要員になっているように思う。

そんな子供たちが、社会のどこにも引っかかれず、ついにはセーフティーネットにも引っかかることもできずに社会の底に落ちていってしまったりする。

だから、家や教室では出会うことのないほったらかしの文化をそこらへんに置いておいて、なんの気なしに手に取れたり、得体の知れないもので楽しそうに遊んでる大人がいたりするような環境を提供してあげることが大事なんだと思ってる。

提供って書いたけど、提供されてる感じがないことがポピュレーション・アプローチの大事なところなんだけど、その話は『そんなこと訊かれても』に詳しく書いてあるので、機会があったら読んでみていただきたい。

ちなみに、ぼくがかけてる曲に長女が反応することは年々減っていて(苦笑)。降り積もる落ち葉のように踏みつけられて、時々足を止めて、「あ、これキレイ」みたいに拾い上げてもらえたのが昨夜みたいな。

そういう無駄玉を打つでも吐き続けるのが文化的なんだとぼくは思う。

いつか「あ、この曲いいですよね」と、長女が職場のおじさんの文化資本に引っかかり、「なんでこんな古い曲知ってるの?」「父が好きで」みたいになることを夢想してぼくは再び布団に潜ったのでした。

すべての人をフレームイン!
代表理事 石井正宏

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第0話「カフェが始まる前は何してた?」※無料公開
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第1話「このままでは相談室にぶち込まれる」(2,900文字)
https://note.com/npopanorama/n/nbd124b1f9bf1

第2話「どうして相談室ではダメだったんだろう」
https://note.com/npopanorama/n/nb9b7420a0a1b

第3話「図書館相談がついにスタート!」
https://note.com/npopanorama/n/n687705466d39

第4話「校内居場所カフェが光を当ててしまった影」
https://note.com/npopanorama/n/nde6dad4f8985

第5話「子供が大人を選ぶ大人オーディション」
https://note.com/npopanorama/n/ne6be87946029







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