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Cape strawberry #d9305c

生気の失せたターコイズブルーの空を背景にして埃っぽいザラザラした霞んだ大気が景観を支配している。霞んでいるとか言っても。幽玄とか、奥深いとか、そういう趣とは対極。薄っぺらでマットで二次元と見間違うような縦横高(Vertical, Horizontal, Height)で構成された立体で成り立っている半熟なバックグランド。まどろみから醒めることがない泥絵のような海に鋭角に突き出した岬。それがCape strawberry。岬と言ってもスペクタルな景観にはほど遠い。こちらもとことん光沢がなく彩度が抑えられているフラットな印象。Cape strawberryじゃ「おーい!」とか声発しても誰も返事がない???。そんなもんじゃない。声を発した瞬間に音は風に吸い込まれてしまう。ぼんやりふんにゃりなドローンミュージックが時間をコントロールしている。ゆるく入り組んだ海岸線には使われているのか使われていないのかわからない港もちゃんとある。設備の表層は薄っぺらでシンピンピカピカで古びた印象は微塵も感じられない。それとはまるで異なる打ち捨てられたような朽ち落ちそうな貨物船が係留されている。他に船はないし、人の気配も感じられない。人の気配がないのはここだけじゃない。Cape strawberryの海岸線から緩やかに広がっていく丘陵地隊。ゆっくり上空を旋回してみる。無機質なキューブ状の住宅。無数。幾何学的にきちんと並んだ圧巻な壮観。でも、やっぱり、ここにもこれっぽっちの活動の蠢きは見られない。美しいほど不気味に並列するマテリアル。こんな退屈な映像見て何が楽しんだか。窓を開ければそこにこの風景があるんだし、みんなで同じアングルで切り取られた画像見なくてもいいだろう。そうこのオレの眼に映ったものが気持ち悪いほどキレイにきちんと並んだ住宅のディスプレイに映し出されているんだ。住民の世界はオレが見ている世界。だからオレは神かというとそれは全然違う。シリアルナンバーSN1572と足に標識をつけられた地味な羽色の鳥の姿をした道具。誰のための道具なのかは考えたこともない。そして何百年も壊れることなくCape strawberryの空を飛び回ったり、休んだりして(睡眠中でも目を閉じることはない)、映像を収集し続けている。自分の意思なんてこれっぽっちもないし、誰かのための使命感に突き動かされてるなんてことがあるはずもない。ただただ、死なないからそうしてるだけ。いやもう死んでるのかもしれない。だから死ぬという概念からもう解放されているのかなあ?。そういや、Cape strawberry自体がそうじゃないか。生命の気配なんてどこにも感じられない。薄っぺらな建物とイミテーションの植物で成り立っているプラスチックシティ。この街に魅力を感じる人なんて誰もいない。魅力がないことが魅力だなんてうそぶいてみても魅力があるかどうかを判断する第三者が果たしているのかと問われたら心もとないし、第三者が果たしているのかと問う人の存在もおぼつかない。オレという主体と世界の関係をかいつまんで紹介するとこんな感じなんだ。絶対的孤独。世界と隔絶されている。絶望的な。。。状況か?。そうでもない。自分が知覚した映像の情報は一方的に住民のテレビモニターに垂れ流されているわけでもない。時々、自分の視界がガクガク揺れたり、ホワイトノイズみたいなものが入ったり。一瞬、ン?と感じるけれど。長いことこうやって時間過ごしていると、これは、『送り手→受け手』『送り手←受けて』といった一種のインタラクティブなコミュニケーションのようなもの?。だと感じるようになってきた。オレが見ているある対象に住民がある規定値以上の感情を抱きオレの視覚にパルスが逆流してくるんだろう。こう思うと、絶対的孤独なんて哲学者然とした気取った物言いも薄っぺらで表層的な意味しか持っていない。故にオレは孤独ではないと簡単に結論づけるのもどうかな???。みたいなスタンスでこうやって羽ばたいたて宙を漂ったり翼を休めたりを延々延々とリピートしているんだ。

真っ暗真っ黒の宙。遥か下方にスカイブルーの球体。じぶんの身体を燃焼消滅させて手に入れた自由がクソ重いSpacesuitに拘束されたオレの魂だったのかと自覚した刹那。自由から解放された。夜。夜も目が効く自称夜行性のオレの瞳はこの岬を見下ろすように立ち上がっているはずの円錐形の巨大な山の存在を捉えている。実際はほぼ雲に覆われているこの山→mt.Meru。マットだけれどアウトラインが不自然なほどはっきりしているCape strawberryの風景とは一線を画するその異様な風景は有機物のエネルギーみたいな不確定性が感じられてちょっと恐怖みたいなものも覚える。この雲の中からはほぼ終日音声と音楽のプログラムの電波が放出されている。東洋の魔都の歌姫の時代を超越したような歌声をBGMに様々な言語の声明とか言説とか。ほぼ音としての純粋な快楽。意味とかメッセージ性とは受けることはない。『Lunatic Radio』。いつしかオレはこの放送???を心の中でそう呼ぶようになっていた。この電波は住民たちの耳にも届いているのか?。そんなことは知る由もない。か?。聴いているのか?。聴いていないか?。という問い自体も意味があるのか?。というぐらいの毒にも薬にもならないプログラム。プロブレム出動ほぼノーサンキューのノープロブレム。地面から長いことかけてちょっとずつちょとずつ立ち上った微かなノイズが臨界点を迎えるような瞬間が訪れることがある。地上に降り注ぐ祈りの声とも音とも判別がつかない不吉な重低音。この時だけは住民の意識もなんかしらの反応を示していることが感じられる。Cape strawberryの大地が徐々にwetに変化して行く。乾いた砂のような色が瑞々しく刺激的な苺色。wetがmaxをむかえる。と。大地から苺色の大気が立ち昇り始め。今度は狂ったように複数の高周波音が反響し合う。Cape strawberryに訪れるストレンジでファンタジーな非日常の数時間が幕を開ける。

視界がゆらぐ大気にゆらゆらこころもとなげに、でもそれが決まり事のようにちゃんと次々と立ち上ってくるディープフラット。いつの間にやら、いったい彼は何体になったんだろう。何体を擁してここで見世物をはじめようとしているのか?。唯一とは言わないけれど、住民たちの楽しみ。このショータイムを伝えきるのがオレの存在意義というものかもしれない。闇に落ちた上空から苺色に染まったRidda Squareに旋回しながらゆっくりと舞い降りる。広場全体が見渡せる大型ディスプレイーの上が特等席。そこに陣取って、白熱のバトルを捕まえては映像を急襲して捕獲する。ようやくオレが本来の姿っぽい能力を垣間見せる時?。大型ディスプレーにはイルカがプールで飛び跳ねる映像が死ぬほど繰り返し流されている。低いだけで奥行きのないベース音と薄っぺらなハイファットが目眩くクルクル狂ってるエレクトロニカ。ディープフラットがディープフラットをぶちのめすバトルロイヤル。バロック・ホウダウン。シャノン符号化風。ショー。血飛沫が飛び散り色が彩度を増していく。暴力は人を興奮させる。恍惚とさせる。オレの目に映っている暴力は住民に快楽を思い出させる。の是非なんてこの際どうでもいいことなんだ。そもそもこのショーはそういうものとして設定されてる訳で、ディープフラットの腹に風通し満点のデカい穴が開こうが、ポロリと迂闊に頭が捥がれようが。それはたいしたことではないし。頓死。としての意味すらないし。開始。が開始される。蒸気が満ちる。vapor bathの中にいるような感覚。浮遊するカラフルグラデーションフラクタルカオス。さあ今回の主役の登場。バックライトに浮かび上がる 暗い影。意気揚々と誇らしげな表情を見せているのか、己の運命を呪い打ちのめされた様子を見せているのか知るよしもない。スポットライト。ドラムロール。なんてのはないけれどそれなりのセレモニー感。『Lunatic Radio』も暗躍し始める。いつもは空気みたいなプログラムだけの発布に勤めているはずなのに、唐突にエモい方向性に大きく振れる。顔面tatooのラッパーがかすれた声でhell boyを歌う。この世の終わりの始まりのdry run。さあ、始まるよう。今回のディープフラットはいよいよ#800代に乗ってきた。他の799体のディープフラットを制して勝ち残ることができるのか?。そもそも勝ち残るってどういうこと?。なんだけど。勝つ?。一度も勝ったことない奴に『勝つ』の定義問われてもはてなはてな???。にしかならないので。さらにディープフラット同士の絡み合い。共喰い?みたいなことだよね。だから。勝者は敗者であるわけで。敗者だって勝者であるわけだ。

マット&ドライが売り物のCape strawberryがジメジメ湿った有機体で蠢き始める。ピンク色の石庭に胡蝶が舞い踊るプラスチックヘブン。「High blood pressure」。「統合失調症」。「雑魚」。「못쓰게 만들다」。「カス」。「ボケ老人」。アルファベットや漢字やひらがなやハングルのクールな文字列がプリントされたTシャツを思い思いだらしなく身につけたたクソガキの群群。黄色の鼻血を垂れ流してたり。爛れたまぶたの奥の瞳には何も写っていない。姿形は成長しきれていない未熟な様相の佇まいなのに、そこからこもし出されている雰囲気はあらゆる病患に冒された表象的「老人」じゃないか。そこにリアル「ボケ老人」も咆哮を上げて加わってくる。体力がことごとく壊れて引力に屈してしまうほどなのに、未だに怒りの感情は迸っているらしく土星まで届くような勢いで怒声を上げている。さらに、何ゆえに笑えるのか問うだけ無駄か?。の高笑い女が低い声で含み笑いしながらシャボン玉パパパパッパラパパラパパー。ペールピンクの壁にマーキングする野良犬風の犬とお魚咥えたドラ猫。こんな面々がわらわら繰り出す。魑魅魍魎蠢いている様相のRidda Square。ここってこんなとこだっけ?。むしろこんなとこだっけ?でいてほしいかな?。だよなあ。街の有様ってこれが正しいんじゃないの?。建物だけが存在主張してて汚れの一つもない街なんてほんとは気持ち悪い。住民もほんとは気づいてるんじゃないのかな?。この魑魅魍魎の海の中を走り抜ける800体のディープフラット。ディープフラット同士が交錯するたびに空気が切り裂かれ赤い液体が抜かりなく飛沫をあげる。さあ、このショーが終わるまで夜は続く。長い夜になるのか。夜明けは早いのか。それは800体のディープフラットの活躍次第ってこと。

夜明け。夜が終わっただけ。それ以外の感慨なんて一縷もない呆れてしまうようなあっけらかん感。夜明け直後はしっかり輪郭線をみせていたはずのmt.Meruの麓からなんの前触れもなくブルーグレーの雲がわきあがってきた。どんどん。ドンドン。どんドンどんドン縦に伸びていく。伸びていくだけじゃない。雲の面積。体積も加速度的に広がっていく。最終的な形としてはキノコ雲の意匠ということで落ち着いた。この表現方法?。なんだか物議をかもしそう。という一般論はここではどうでもいいことなのでさらりとかわして進みますはず。このキノコ雲にすっかり山は覆い隠されてしまった。威容を誇らしげに見せつけていた山の異様はいつものように姿を隠して異様な威容を取り戻したらしい。エモい音楽に振れていたルナティックラジオもすっかりドライに戻って淡々とツマラナイおさまらない。音楽と文学?。のステレオ局に成り下がって。どうにかしていない安全牌で落ち着きをとりもどしつつある。オレは再び天まで抜けているんじゃないというぐらい明るいCape strawberryの空をふわふわ舞い飛ぶ。瞳でランダムに風景を集めていく。住民にピースフルでボアダムな世界をスプリンクラーのように降り注いでやる。おや、今日は、mt.Meruの麓に展開する静謐で清潔で無味で乾燥な住宅のはずの一部から動きが見られるようだ。人を弔う行事&催し。それは箱の中にこもった住民を認める滅多にない機会の一つだ。無機質に並んだ住宅街のワンブロックから生気のない人がポロリポロリとこぼれ出してくる。みんな個性なんてものはこれっぽっちもなくて。見ててもなんの好奇心も覚えないし。小地震も起きないし。興味もわかないし。お湯も沸かないし。青梅に花も咲かないし。住民のことなんかを視界に捉えることさえno thank you!なんだ。だけどさ。こいつらがこれからやること。儀式みたいなこと。セレモニー。それは見たいわけで。大したイベントじゃないんだけど。妙にオレは惹かれるんだ。あながち忘れがちなんだけれど、住民は生物なんだ。現在の形態が時間とともに変質し続けるわけ。成長から劣化のプロセスの曲線をゆっくり描いて。ぱたりと生物の役目を終えて他のマテリアルへと変成する。その機会をこんな風に象徴的に演出しつつ近隣住民が集い生というものを再確認するならいらしい。そんなスピリチュアルサイドには興味あんまり。なんだけどけど。この時の住民の衣装や棺の意匠にはワクワク。思い思いのデザインが駆使されている棺を眺めることがなんで好きなのかっていうと。オレの日々の生活。空を悠々と羽ばたき自在に旋回。そういう行為は相当気持ちいいことだろうと思われるだろう。。。でも、それはオレの身体的機能のデフォなんで、快楽にならないんだな。それ仕事的だよ。少しも心揺れない。そういう日々の生業にちょっとしたアクセントくれるもの。こと。求めてる。それぐらい許して。許す?。許す人って誰?。とかはつっこまないでくれとか言いたいところ。だからぐちぐち何語っているのか忘れかけてきたころ。そうだ。棺のデザインに心惹かれる的な云々。を喋り語っていたのが云々。話をそこに戻そう。か?。個性とかそういうの全然ありえない住民の皆様。一人一人の区別もほぼつかない。最高にテンション上がるほど無個性が売りの皆々様。様。様。それがさ。このセレモニーのアイテムの一つ一つにはスペシャルな個性を見せてくれる。コスチュームとか、棺とか、墓標とかとかね。さあ、今回繰り出す一団はどんな様態さらけ出してどんな棺を繰り出すんだろう?。ドレスコードがあるわけじゃないけど、なんとなくルール的なものも感じさせらるわけでもない。とは言ってもね。やっぱりね。ウェストコーストっぽい軽装Tシャツに決まってんじゃん。みたいなこと言ってるとか。言ってないとか。明度や彩度が微妙にずれてるTシャツを纏った住民の列列。まるで統一感から程遠いかのようだけれど、妙に気持ちよいハーモニーも感じさせてる。その先頭にはカラフルにペイントされた墓標を抱えた砂色Tシャツのそれなりの雰囲気かもす住民のお一人。バウレ族をコピッたとしか思えない仮面をつけてる。とりあえずギリギリミステリアスムードは包含してる。そしてたいそうに抱えた墓標。メードオブ段ボール。こちらはバティックのパクリ風がペイントされている。それぞれのアイテムを非日常に持って行きたいんだろうけど、スタイルを追っているだけの風体のセットは薄っぺらチープ以外の何物でもない。彼らは相変わらずのマットな風景に馴染んでいる無機質な伽藍の如き建築物を目指しているみたいだ。市松模様を施された地にローリングストーンズの舌をメッチャ出した唇のメッチャダサいあの意匠が施されている棺。墓標の携行者のあとを数人が怠さ全開で棺にむすばれた綱を引いてずずずずずと進んで行く。進んで逝く。行列として進んではいるが、決して隊列とかいった大層なものではなくて、行き当たりばったり。成り行きまかせ。消極的。そんなとこで妥協。これ以上干渉無理無理感がこれでもかみたいにみえみえなのが見え見えなんですけど。ってなってる塩梅。伽藍の周囲にはパームツリーが数本お決まりのように風情を添えている。宗教的建造物にも関わらず宗教感を1ミリも感じさせないサングリア?シャングリア?感。遅々とした住民の歩みもどうにかここに辿り着きそうか?。な?。オレもフワッと伽藍の外のパームツリーに舞い降りる。さて、とじっくり観賞タイムとしけこみますよと待機。オレが眺めている光景はCape strawberryの住民のリビングにあるディスプレイのワンシーンとして映し出される。Lunatic Radioから流れるどこの国かもわからない辺境チックなドラムが強調されたエスニックミュージックがスピーカーから映像を援護する。住民は固唾を飲んでこれから始まるセレモニーの展開に見入る。。。なんてことはなくて、いつものようにただただ垂れ流されるノイズにしかなっていない。でもね。ノイズにだって大切な役割があるわけ。硬く固定した意味しか残されていないこの土地に時間の経過を感じさせる装置。動く映像。進む時間。光と音を住民たちに認識させるインスタレーション。そのプログラムの一端をオレも担ってるってわけ。さあ、御一行様が伽藍に到達しようとしている。伽藍の入り口になっている門の向こうは空白。がらんどうの伽藍。勿体ぶった僧侶もすました祭司の姿形もなし。アイコンも祭壇もなし。いよいよ行列が門を過ぎていく。一行は真っ黒な闇に吸い込まれていくように真っ白な光に吸い込まれていく。オレもついて行こうと試みるがそれは無理なのわかってるし、伽藍内で何が行われているか。それは一度も拝んだことないし、この場面こそは唯一見ることができない神秘みたいな曖昧さ。謎的、恐いヤバいみたいなのをちらつかせていて好奇心満満なんだけど、それは今までこれっぽっちも満たされた試しないし、これからもきっとないし、それは視聴者の皆さまも同じ。不完全燃焼。そういうのはとっくに超えてるし、それはね、もはや、あきらめっぽいみたいな気持ちでやり過ごしてんだろうかなとかとか思うのだよ。期待なんてちょっとしてたけど、今回もやっぱりそう来るわけなんだと門の向こうの虚を眺め続ける。住民たちのディスプレイには空白だけが映し出されているんだろう。厳密に言ったら空白と虚で満たされたサムシングかエニシング。雲の中のLunatic Radioが流しているのか、静かなのに異様に耳障りなドローンミュージックが次第にボリューム上げて来る。忌々しい気分も凝集数上げて来る。門の向こうの虚無の中で何が行われているのか?。オレは一度も見たことないし、住民たちだって知らない。虚無の中に入り込んでいった彼らでさえ記憶は消えていく。これまでもこれからもそれは同じだろう。しかしこの自覚は永遠に繰り返されてきた。繰り返される。どれだけ時間が過ぎたのだろうか?。音の区切りを意識させないドローンミュージックのおかげで時間の経過という感覚は完全に麻痺させられてる。やにわにパームツリーの葉が翻る。空気が動いている。動いた。気がした。気配がする。伽藍の門の中の光の向こうに人影が映る。その影は次第に濃くなる。漸次。姿が塊となって具現化してくる。光の向こうに消えていった時は住民各自は後ろ姿しか見えていなかったんだけど、今度は住民たちの表情もあからさまなんだ。仮面も外している。結構意表をつく有様なので記しておこう。毎回のことなので、今更何を!なんだけど。何度見ても、この違和感にはぎょっとさせられる。彼らの顔はデジタル表示の数字で成り立っている。「キサマー!!何を言ってる!!」「そんなはずないだろー!!」みたいな発言なんだけど。そういう風にしか表現できないんだ。オレのボキャブラリーではね。数字は常に微々動いている。顔自体がまるでディスプレイ。不気味っていうより奇妙?。違和感を価値化する20世紀のユニバースアート。『Tatsuo Miyajima』先生の作品。剽窃?。伽藍の中に用意されていたんだろうか?。数字たちは各々シャベル手にしてる。棺の一団は伽藍に入って行くときよりも心持ち列としての緊張感が緩んでいる。隊列から行列ぐらいの変化は感じられるけれど、葬列という虚無感からは離れていない。あるところまで進むとおもむろに一人の数字が地面にシャベルを突き立てる。それに続いて次々とシャベルで地面の砂を掘り始めた。ゆらりゆらりと曖昧な肉体運動しかできないのかと思っていたけど、意外に勤勉実直な動作で驚かせられる。だけど作業はなかなか捗らないな。要は各数字の動作のポテンシャルは上がったけど、一つの目的を達成するべく協調性が皆無なわけ。棺の大きさ相当の穴を掘りあげるのだろうという予想をはるかに超える大きさまで掘り続ける数字たち。徐々に動きを弱めて作業を停止。とかじゃなくて。唐突にストップモーション。穴から出て数人で棺を持ち上げる。慎重という作法とはとても言えないような無作法な奔放。そんなスタイルで棺を穴の中に引き摺り下ろした。再びシャベルを握り早送り動画のように土を棺の上に放り込んでいく。何ともあっという間に地面元通り?。ま、元通りと言うには語弊あるのかしらね???。ぐらいなところだけどさ。ミッション完了は間違いないんじゃない?。というクオリティはちゃんとクリアしてると思うよ。とかとか。言ってる間に作業は完了してるんだ。してる?。ということで。生き物の生死に関わる現場には、なんとなく宗教じみた雰囲気漂うってことあると思うんだけど、まるで感じられないんだ。土に覆われた棺さえ、そもそも亡骸なんて入っていたんだろうか?。墓標担当の数字も軽い感じで段ボール製の標を放り出した。これで一連のセレモニーは終了したのかしら?。ここに住む住民たちは確かに新陳代謝をくりかえしてるように見えるので、全ての人間が死というものから免れているとは確信できないのだけれど、順繰りに住民たちは死をむかえることは事実なんだ。ただ、こんなセレモニーは何のためにやってるんだかわからないし、棺の場所を記した墓標だってあっという間に風で飛ばされ砂に埋もれてしまう。誰が死んで誰が埋められて。。。そんなこと誰も気にしないし。死んだ人間は生物的だけじゃなく人としての存在も他人の中から消えてしまう。それ以前に生前の彼らを記憶している他者がいたのかもかなり微妙。すべてを隠している闇を駆逐して乾いた光に晒す透明爆弾。降下させられて、闇は焼失。風景は間抜けなあからさまなペラペラなフラット。死の概念。業態も消失。残されたのは結果としての死だけ。住民は死を自覚しないで死に向かうだけの機械。that's right。主体なんて言葉はもうどうでもいこと。になってる。そうだよ。それが、Cape strawberryという場所。ピンクヘブン。ヘモグロビンが希薄になったプラスチックワールド。自分を殺すこともできる強い意志。過剰な入力と過剰な出力に身体が拒否。そこを自分の意志だけでは突破できない。もどかしいけれど。どうにもならない。休むっていう選択肢だけ?。そうせざるを得ない。柔らかいもの。過疎な情報。できるだけ世界に自分を晒さないように。やり過ごす。そういうことにしてる。ってさ。住民は言ってる?。らしい?。聞いたことないけど。一仕事終えた住民たちはおもいおもいの方向に散っていく。彼らへのオレの興味もここまで。視界で追うことはもうヤメ。上空に視点を定めて舞い上がる。オレの衝動。首をあげる。天空を目指して爆速上げる。別に何かの意志持ったわけじゃないんだ。成り行き上ってのともかなりちがう。そうしたかったとしか後づけできない理由づけ。さあ、それからは大変。オレはよだかの星かよ!みたいに。どの星にも届かないのはわかっているけど。そんなこと微塵も感じさせない勢いを感じさせてぶっ飛び上昇。オレの視界に映る世界もぶっ飛んで明らかに壊れ始めている。脈絡正しい普通の時間軸突破されてる。リアルな世界の風景追うことはもはや無理無理みたい。オレの伝える映像はオレの記憶のフラッシュバックみたい。一秒間に3コマ。停止画像が加速度を巻いていく回転数再生数吐いて吸う。映像の奔流が瞳に押し寄せて来る。意識朦朧がすでに開店している。いらっしゃいませ。

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