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人材の借金的デッドロックを解く

未来を縛る「借金的なもの」

社会の流動性を阻んでいるのは、借金的な文化だ。

例えば、大きすぎる投資。
土地を買い、店舗を建て、設備を導入する。1年2年運営していけば、周辺の状況や時流が変わってくる。事業このまま続けていたら、別の機会を逃すかもしれない。けれど、かけた費用はまだ回収できていない、ローンも残っている。別の可能性が頭にちらつきながらも、事業を手放すことができない。

例えば、重すぎる恩義。
新卒社員は入社してしばらく「使いものにならない」。「使いもの」にするための人材育成が、数週間、数ヶ月施される。その間、生産活動が無くても給料は出る。1年2年と職場で就業するもOJT(トレーニング)、「未熟者」として「先輩の足を引っ張り」、「今恩を返すなんて考えなくていい、長い目で返してくれればいい」と肩を叩かれ、頑張らねばと誓ったら離れられない。

例えば、長すぎる約束。
結婚は生涯に一度が普通。子供は巣立って家族から離れていくけれど、夫婦は一度夫婦になったら生涯を支えあう「義務」が生まれる。本当に自分は義務を果たせるのだろうか、相手は義務を果たしてくれるのだろうか、どこまで考えても答えの出ないリスクに未婚者は決断できない。

借金的に抱え込む投資、恩義、約束は未来を縛る。

身動きの取れない雇用市場

雇用の流動化は、企業の視点に立てば大変な問題だ。多大な費用をかけて採用し、採用したらしたで多大な費用をかけて教育を施した人材。やすやすと辞められれば当然大きな損失になる。

企業側も、社員全員に「定年まで居てもらえますよ」と約束できる時代ではなくなってしまった。終身雇用が崩壊する最中、社員に一方的な忠誠を求めるのは筋違い。

被雇用者と雇用者、「返済の困難な借金」を背負い、背負わせて、身動きが取れなくなってしまっている。このデッドロックは解消できないものなのか。

考え直せることが2つあるんじゃないかと思う。

新人をありのままの人材として活かす

1つは、新人が「使いものにならない」という前提を取り払うこと。

新人に、先輩社員と同じやり方で同じ成果を出させようとすれば、ある程度の期間をかけて「新人のもともとのやり方や癖をデリートし」、さらに「先輩社員のやり方をコピーさせる」必要がある。

そうではなく、新人がもともとできる範囲内から成果を出させる設計ができれば、「使いものにならない」期間はない。勿論、時間をかけて得た要領や技術、知識によって効率化できることのほうが多い。しかし、完璧な効率を叩き出せるまでまったくのゼロカウントとして扱うより、何がしか成果を出している、働いているという感覚をもっていたほうが新人も上司も精神的に健全だ。

これは先日記事で読んだgoogleの人事の採用方針にも通ずると思う。新規採用者を会社の新しい戦力として、お互いのミッションをサポートし合う仲間として受け入れるそうだ。

大学生や高校生の起業家がちらほら出ているのは良い例で、彼らは「能力」や「スキル」が突然変異レベルでぶっ飛んでるわけではたぶんない。人より明確な想い、アイデア、きっかけ、そして自己肯定感。そのあたりの条件が重なれば、熟度はどうあれ、何がしかビジネスらしきもの、生産活動はできるということを表している。

とにかく自己肯定感の低い日本の若者世代。学生の自信のなさに、先輩の「新人=お荷物」観が畳み掛けるようにして、主体性を損なわせている恐れはある。

社会全体で育てる、学び合う

2つ目は、社会人の育成を、新卒として採った会社が背負いこむ構造を見直すこと。

今後否が応にも人材流動化が進めば、新卒採用中心の会社が育てあげて、中途採用中心の会社が悪く言えば横取りするという構図なわけで、前者が明らかに割を食う。

優秀な人材を育てながらそのリリース(退社、転職)にも寛容という、ノブリスオブリージュな会社も極僅かあるようだけれど、その会社も勿論人材放出が本意というわけではなかろう。また、会社規模や財力に余裕があるからできることでもあり、すべての企業にそれを担わせるのは違う。

みんな大好き人生100年時代の本「LIFE SHIFT」によると、時流や状況がひっきりなしに変わるので、新人だけでなく社員が(言ったらフリーランスも)使いものにならなくなる局面がごろごろやってくるらしい。だから人生を通じて、状況変化に対応し、自分のステージを変えていくための「学び直し」=リカレント教育が必要なのだという。学び直し、学びというキーワードをよく見かけるようになって、勉強との縁が切れたと思われていた一般社会人が意識しはじめている。

けれども「学び直し」は本当に広まっているんだろうか。

企業に勤めながら大学に通ったり、一旦退職して大学に入り直したりということは、できなくはないけれど、乗り越えるのに必要な資本(時間やお金)や意欲のレベルがかなり高い位置にある。今の社会の仕組みの中で、「学び直し」はやはりハードルが高い。

これまでは強いて言えば、企業が社員に業務内で研修機会を与えてきた。けれどそれは新人研修の「借金を負わせる」のと同じ構造だ。

誰が費用的負担を負うにしろ、「まとまった学び直し期間」を持つことは、「100%就業(生産)に充てた場合」と比べると「損失」となってしまう。その損失を負う人が「借金の貸し手」であり、貸し手・借り手で借金のデッドロックが起こる。

(本来は学び直しのない40年の就業が損失になるので、学び直し+転戦によって生産性を取り戻そうという算段のはずなのだけれど、就業時間=生産性という固定観念、教育=コストという感覚は根深い。)

一つの会社で自社員を育てるのではなく、複数の会社、ひいては社会全体で「人材」を育てていくという構造になっていくことはできないか。

「連帯責任の賭け」を小さく始める

まもなく都市も人口減少に覆われる。

個々の企業が生き残るのも大事だし、企業間の競争が日本をここまで引き上げてきたのは事実。だけれど災害レベルでやってくる人材不足の危機に、すべてこれまでのような競争原理一辺倒では対処できないんじゃないかと思う。企業・業界の個別最適ではきっといろいろなことが間に合わなくなる。枠を越えて個人が活動・生産していかなければ、これからの縮小経済をうまくやっていけない。

全体最適は、巨大な連帯責任の賭けになる。

誰か・どこかが一気に背負うのではなく、小さな徒党から少しずつ、育て合い、学び合いの組み合わせをつくっていけたらいい。

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FlowLife Laboratory(https://www.flowlifelab.com/)一人所長、流動創生(http://ryudou-sousei.jp/) の言い出しっぺ。場所や組織に縛られない「流浪の民」文化を現代日本に復活させようと画策しています
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