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生存手段としての移動

移動は手段でしかない。
しかし、移動は生存の手段だ。
物事の手段の一つとして、移動という概念の指す範囲、威力、影響範囲は大きい。

渡り鳥は移動できなかったら死滅する。渡ったものが生き残った。
蹄の動物は食べる草を求めて移動する。草にありつけなかったら死滅する。それらを追いかけて爪の動物が移動する。追いつけなかったら死滅する。
動物は、環境に合わなかったら、そこで生を終えるか、その場から離れることで生きようとする。その意味では、危機に直面したときに初めて移動するというよりは、今合っている環境にいたとしても、本能に根差す好奇心や異端的行為が個体を群れからはぐれさせ、別の生存可能性を種全体で常に模索している。群れからはぐれた個体の多くが死滅するものだとしても。
移動は、動物が動物たる所以でもある。

植物の先祖の単細胞生物、藻みたいなものは、水流を漂って生きていて、良い環境に辿り着けるかどうかは偶然に任せるしかなかった。ミジンコなんかが水を掻いて自分から移動し、エリアを広げ死滅したり数を増やしたりした。敵と出会って食ったり食われたりくっついて多細胞生物になったり、仲間と出会って遺伝子を分け合ったりして進化していった。

しかし植物も進化した先には移動をしている。数を増やしてエリアを広げるのも移動の一種である。(根が広がることを「歩く」と表現する人々もいるそうだ。)種を遠くへ飛ばすのも移動である。

私たちは38億年をかけて磨かれてきた移動という手段の最先端にいる。

観察熱心な神様が地球という水槽で、あらかた動物を作り終えてほんの一瞬目を離した隙に人間が生まれてたら驚くかもしれない。(神様だから想定内かもしれない。)ーー人間という生き物は、まるで一つの生物の身体の中の細胞みたいに、個体同士が同期して動いてるな。何で伝達しているんだろう、ああ、どうも光を使った信号で個体同士や群体同士が連絡を取り合ってるみたいだ。食べ物があっちでたくさん生産されて、個体がやたら群れているこっちへたくさん送られている。あっちが必死に生産しているのに、こいつらはじっとしている、なるほどこいつらはその連絡の仕組みや、あっちでの生産性を上げる仕組みを設計したり調整したりしているんだな、ふむふむなかなか考えてるじゃないか。他の群体を応援して生産性を高めるような、音や色を扱う個体もいるようだ。
おや、これで何度目かの感染症と闘い始めた。感染症は移動する個体に運ばれて民族を死滅させてきたから、今回は動きを抑えようとしているようだ。しかし、これまで気候変動や天変地異による死滅の危機を移動によって避けてきたのが動物たちだ。大丈夫だろうかーー

ジョン・アーリの言うように、情報通信もモビリティの一つであり、植物が根を広げることと同様に移動の一種と考えても良いのかもしれない。現に今、情報通信が移動の多くの機能を代替している。

しかし移動にはそもそも、個体が生存本能として刺激に反応する、またその先の偶然性によって可能性を広げる意味がある。個体の一部が、情報通信で完全に代替できるとして群体全ての移動をコントロールすると、個体の本能がキャッチした可能性(その個体の死滅のリスクを含む)を封じ込めてしまうことにもなる。

人間は、本能の金切り声に耐え切れずに、コンクリートの道路を外れて山に分け入るときがあると私は思う。それはその人間やまわりの人間を殺す可能性もゼロではないが、本能は基本的に生きる者のために声を上げる。私はそれを聞いて一瞬だけれど海外に逃げて、その後10年こうやって生き延びることができているから、それに感謝していて、絶やしたくないと思ってきた。そして今、その声を封じ込める時勢にあり、私の本能がまた金切り声を上げているので、これを書いている。

ここでは生きられないという金切り声が聞こえたら、逃げるべきだ。私たちは動物だから。それを聞いた人間が動ける社会を私たちは取り戻す。

移動は手段でしかない。
しかし、それは生存の手段。

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FlowLife Laboratory(https://www.flowlifelab.com/)一人所長、流動創生(http://ryudou-sousei.jp/) の言い出しっぺ。場所や組織に縛られない「流浪の民」文化を現代日本に復活させようと画策しています
コメント (1)
視点がユニークですね!
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