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論文「Wildfire Activity」雑感(前編)

モビリティ(流動性)に関する英語の論文「WildFire Activities」を翻訳機でぐるぐるぽんして読んだのですが、みんな読もうよと言ってもたぶんウミガメのスープ並みにスッキリしないやつで私にクレームが入りそうなので、ここでばっくり紹介しながら考察したいと思います。

モビリティ(流動性)には
(A)徒歩であてもなくうろうろ型 と
(B)飛行機で始点→終点ひとっ飛び型
の2種類ある。それらは相反・衝突するように見えるけれど寧ろ上手に連携・相互作用(ギブアンドテイク)すればハッピーなんだぜ

やあらかぁい言葉で言うとこういう論文です。型名は勝手につけました。異論のある方は翻訳と要約と解説お願いします。

※勇者のために解読中の翻訳テキストを共有します。共に世界を救おう。

(A)旅と(B)輸送のハイブリッド

関連書籍にティム・インゴルド 著「ラインズ 線の文化史」という本があって、(A)うろうろ型を「直線」の移動、(B)ひとっ飛び型を「曲線」の移動と表現しています。曰く、狩猟採集とか漁業とか、古来からの人間の暮らしや現代の山村の暮らしは土地をうろうろすること、徒歩での「旅」(A)によって営まれてきた。そこに占領・支配といった近代的な土地の捉え方が出てきて、直線的な道が引かれて「輸送」(B)が人間社会の基盤になっていった。

とここだけ見ると、私のまわりの愛すべき旅バカさんたちは「本来の人間の性である旅が近代の不自然作為的な新幹線の旅行に乗っ取られたんだ!ふにゃー!」ってなっちゃいがちですが、Wildfire Activityの論文のほうはその二元論で終わらせちゃだめとのことで。

古来の暮らしに近い側と思われるであろう、ある地域の狩猟の事例。狩りをするときは(A)うろうろして獲物を探索するのだけれど、獲物を獲り終えて村に戻るなり市場に出すなりするときは、(B)直線の道を一気にソリだかで駆け抜けるという、(A)と(B)のハイブリッドで成り立っているそうです。別に(B)の新幹線のようなひとっ飛びの移動が近代化の悪魔の権化というわけではないよ、まあ当たり前ですが必要なところで目的に応じて組み合わせるのが一番いんじゃねって話。

わかる人にはわかる話になっちゃいますが、(A)うろうろ型はBETTARA STANDの柴田さんが提唱しているパトロール学(今後ラボで深掘り予定。お楽しみに)や、流動創生での地域・拠点をミクロで捉えるStopOverやRoundTripでの地域活動に近いところかと思います。文化人類学のフィールドワーク的な部分。RoundTripの、拠点間を線で結んでその間は高速でぶっ飛ばすという動きは(B)ひとっ飛び型です。

「うん、わかるよ、はじめて行くサービスエリア、お散歩したくなっちゃうよね、でも到着時刻おしてるんだよね、地域の人たちおなかペコペコで待ってるからね、うん、いいからはよ乗れや」というのが(B)輸送。こっちも仕事なんでね。

Wildfire Activityの実例—災害援助と菌根

論文では、この(A)(B)のハイブリッドで成り立つ流動的な活動=Wildfire Activity(野火活動)の好例として、スケートボーダーとバードウォッチングと災害援助という独特な3事例を挙げています。(それぞれの詳細は各自頑張って読んでね…)

例えば災害援助は、ボランティアの人々が現場で救助活動をしながら現地情報を収集し、彼らから集まる情報をもとに赤十字が広範囲の状況を把握・分析、人員や物資等のリソース配分や大規模輸送を調整・指示・支援しています。(A)現場と(B)統括(?)の連携がなければ成り立たない活動です。

ここでまた「菌根」というマニアックな例えが出てきて、寄生者と被寄生者が相互に「共生」/「搾取」している関係が、スケボーと鳥観察と災害援助をよく言い表してるらしいんですがまあよくわからん。

共生と搾取という言葉、特に搾取という言葉はちょっとイメージが悪いしわかりづらいのですが、うちらが良く言う「ギブアンドテイク」の原則に言い換えられるのかなと思います。すなわち奪い合いでもギブアンドギブでもなく、お互い実利が得られる関係に限定する、あるいはそうなるよう「配線を繋ぐ」。

地方創生でのWildfire Activity的な考え方の活用

さて「実践なき理論は空虚であり、理論なき実践は無謀である」ということで、Wildfire Activityの理論がどのように実践可能かを考えてみたいと思います。

この論文を紹介・解説いただいた先生からの助言として、(流動的な活動という括りから外れるけど)例えば地方創生で氾濫してる個別事業、すなわち「地域内でカフェとかゲストハウスとか補助金使ってぽこぽこ建てちゃう事業者=行き当たりばったりな人たち=(A)うろうろ型」を、泡沫で終わらせないためには、「東京の大企業=計画とか拡張とか得意な人たち=(B)ひとっ飛び型」と組んでちゃんとビジネス化してサステナブルにすりゃいんじゃねーの、とのことでした。

地方創生の個別事業の展開においてWildfire Activityの理論が有用であるか。正直なところ、(個別の地域にもよろうが全体的に)「現在の情勢で適用するのは労力対効果が微妙」というのが私の感覚です。何故か。

一つ目、地方の業者でも民間団体でもなんでもいいんですがちょっと想像すればわかるとおり、地方創生の「地方側の」ビジネスセンスのレベルは低く、都市部の業界でさえすったもんだしてる(A)現場と(B)統括の連携・相互作用を図れるような有能なプレイヤーがほとんどいないこと。若者やよそ者であったとしてもです。アンチ都市ロジックや、都市ロジックについていけずに流れてきちゃった人とか多いから。

二つ目、上記について「だからこそ都市側と組めよ」と言われそうですが、都市部の感覚(レベル)と地方の感覚(レベル)が違い過ぎるため対等な関係構築が難しく、圧倒的な主客・主副関係になりやすいこと。個人同士のギブアンドテイクで既に手間暇かかるわけで(自分の事業での経験より)、況や組織・事業をや。

三つ目、公式な地方創生の主体(出資者)は国であり、それを執行するのは自治体であるため、そもそも公機関にビジネスセンスを求めても難しいということ。

なんというか、Wildfire Activityの理論=良い肥料があっても畑が微妙だし種が微妙なので、そこに撒くのは勿体無いという感じです。他の人がやってないからいいんだ!という気合と時間と体力と資金がある方は是非参考にしていただければ良いかと思いますが、私にはないかな。早めにタイタニック号から距離とったほうが身のためだと思う。(結局そういう意味であんまりこのトピックに触れる気が私にないってだけなんですけどね)

ついでに言うと、Wildfire Activityの理論で好例として挙げられている鳥観察もスケボーも災害援助も、ビジネスとしての成功や収益を追求するものではなく、寧ろ共助や公助的な目的を持つ協働から始まったものだと思うので(その先にビジネス化があったとしても)、持続可能性はともかくビジネスを出発点に考えると本来の良さが消えるのではないかと思います。それにビジネスビジネス連呼すると、地方で「ぼくのかんがえたさいきょうのビジネスモデル」振り回している若い子とか、都市部の「おれのかんがえたさいきょうのビジネスモデル」振り回しているおじちゃんたちとかがハイテンションで突入してきて、やばいステークホルダーばかり抱える危険性が高い。

で、フローなんとかさんはどうするよ

本筋のモビリティ(流動性)の話に戻りましょう。鳥観察、スケボー軍団、災害援助という3事例は、本論文を記した著者によって「(A)うろうろ型移動と(B)ひとっ飛び型移動のハイブリッドによって成り立つ」という共通点を見出され、Wildfire Activityと名付けられました。3事例から抽出・抽象化されて整理された理論を再度実世界に適用して、現実に社会や人を流動させるビジョンや打ち手を描けるか。

…一気に読んで書いて疲れたので後編に引き継ぎます。このnoteのタイトルから(前編)がひっそり消えていたらお察しくださいって感じですが、アイデアや意見等あればお聞かせください。そちらも踏まえてお風呂で考えます。

Wildfire Activityは、予期せぬ時期に予期しない場所でポップアップし、非常に急速に拡大します。彼らは時々消えていくが、再び現れて再び現れる。

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FlowLife Laboratory(https://www.flowlifelab.com/)一人所長、流動創生(http://ryudou-sousei.jp/) の言い出しっぺ。場所や組織に縛られない「流浪の民」文化を現代日本に復活させようと画策しています
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