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「NHK出版新書を探せ!」第10回 日本人はなぜ気候変動問題に関心を持てないのか?――斎藤幸平さん(経済思想学者)の場合〔前編〕

 突然ですが、新書と言えばどのレーベルが真っ先に思い浮かびますか? 老舗の新書レーベルにはまだ敵わなくても、もっとうちの新書を知ってほしい! というわけで、この連載では今を時めく気鋭の研究者の研究室に伺って、その本棚にある(かもしれない)当社新書の感想とともに、先生たちの研究テーマや現在考えていることなどをじっくりと伺います。コーディネーターは当社新書『試験に出る哲学』の著者・斎藤哲也さんです。
 ※第1回から読む方はこちらです。

<今回はこの人!>
斎藤幸平(さいとう・こうへい)

1987年生まれ。大阪市立大学大学院経済学研究科准教授。ベルリン・フンボルト大学哲学科博士課程修了。博士(哲学)。専門は経済思想、社会思想。Karl Marx’s Ecosocialism: Capital, Nature, and the Unfinished Critique of Political Economy(邦訳『大洪水の前に――マルクスと惑星の物質代謝』堀之内出版)によって、権威ある「ドイッチャー記念賞」を歴代最年少で受賞。『人新世の「資本論」』(集英社新書)が大きな話題に。

大学までマルクスは読んだことがなかった

――斎藤さんは2019年に、日本語では初の単著となる『大洪水の前に――マルクスと惑星の物質代謝』(堀之内出版)を出版されました。そして、今年の9月には『人新世の「資本論」』(集英社新書)を上梓し、いま大ヒットしています。来年1月には、NHK Eテレ「100分de名著」で、マルクス『資本論』の指南役も務められますね。斎藤さんの研究では、マルクスのエコロジーが大きなテーマになっていますが、どういう経緯でマルクスと出会い、マルクスを研究するに至ったんでしょうか。

斎藤 実は、僕は高校まではマルクスも読んだことがなかったし、政治運動や社会運動にもとくに興味は持っていませんでした。抽象的に、戦争や貧困はよくないというぐらいの感覚です。ただ、英語の入試問題集などには、社会科学や社会問題を扱うような文章がありますよね。そういったものを読むうちに、少しずつ思想的なものにも興味をもち、国際関係や政治思想方面のことを学びたいという気持ちが強まってきたんです。
 でも、高校時代は理系コースだったんですね。日本の大学だと、いちど理系に進んでしまうと、なかなかコースを変えるのは難しい。それで文系・理系にとらわれないですむ、アメリカのリベラルアーツカレッジに行こうと。
 ただ、アメリカの大学って学費がめちゃめちゃ高いから、奨学金を取らないといけない。そこでアメリカの大学と、東大の理科Ⅱ類を併願したんです。そうしたら東大も受かって奨学金も取れた。それで三か月だけ東大に在籍して、秋からはアメリカのウェズリアン大学というところに入学しました。それが2005年ですね。
 短い期間でしたが、東大にいる間に、社会問題を勉強するサークルに入って、哲学書や思想書を読んだんですね。日本の貧困問題や労働問題について知って、衝撃を受けました。それまで、日本は豊かだけど、海外には貧しい国がたくさんある程度の認識でしたが、日本にも、東京にも貧困はいくらでもある。それが自分には見えていなかった。2005年だからとうにバブルは弾け、小泉構造改革によって社会もますます傷んでいた。2008年末の年越し派遣村につながるような労働者の貧困問題が、当時すでに進行していたわけです。
 そこで、こうした貧困や労働の問題をもっと考えるためにも、資本主義について理解を深める必要があり、だったらマルクスを読もう、と。

――そこで初めてマルクスと出会い、思想にかぶれたわけですね。

斎藤 そうです(笑)。でも、いきなり『資本論』は読めないので、『共産党宣言』や『ドイツ・イデオロギー』、あとは廣松渉の本などを読むようになりました。ちょうどそのころ、哲学者の萱野稔人さんの『国家とはなにか』が出たばかりで、それも読んで、フーコーやドゥルーズといった現代思想にも興味を持ちました。そういったところから、思想方面に歩みを進めていった感じです。
 その後、アメリカの大学に入り、いろいろ勉強していくにつれ、マルクスを本格的にやりたいという気持ちが強くなっていきました。でも、その大学はもちろんのこと、アメリカにはマルクスを研究できる大学なんてほとんどないんですね。ただ、ちょうど4年生になるときにリーマン・ショックが起き、周りの友人も内定が取り消されたりした。さらに、日本でも派遣村の活動がおこなわれていました。そういった状況に接して、やっぱり資本主義の問題を深く考えないといけないという確信は深まっていきました。

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転機となった福島第一原発の事故、ベルリンのデモ

――ウェズリアン大学卒業後、今度はドイツに渡って研究を続けるわけですよね。そこでマルクスのエコロジーというテーマと出会ったんですか。

斎藤 そこまでも紆余曲折がありました。ドイツではまず、ベルリン自由大学に行くんですが、じつはドイツに行ってもマルクスをやっている人ってあまりいなかったんですよ。行ってから気が付くという。だから修士論文はヘーゲルで書いたんですが、ちょうどその論文を書いている間に、東日本大震災が起き、福島第一原発の事故がありました。僕にとっては、リーマン・ショックに続く第二のショックな出来事で……。東京で育った自分は、資本主義の下で技術発展の恩恵を受ける側だったけれど、あの原発事故で、破壊的なリスクを中央が地方に押し付けていることを痛感した。そこに自分は目を向けてこなかったことを反省し、こういう問題も理論的に考えなければいけないと思ったんです。
 他方で、当時ベルリンでは10万人のデモがあって、日本にいたときには考えられないような市民のエネルギーを感じたんですね。それを目の当たりにしたことも、エコロジー運動や社会運動のあり方という点で大きな影響を受けました。

――福島第一原発の事故やベルリンのデモのあたりから、エコロジーに対する関心が強まっていったんですね。本格的にそれをマルクス研究と結びつけたのは、博士課程ですか?

斎藤 ちょうど、フンボルト大学の博士課程に上がるときに、MEGA(Marx-Engels-Gesamtausgabe)という、マルクスとエンゲルスの新しい全集を編集する日本人研究者チームのメンバーに入れてもらったんです。その編集作業に携わりながら、マルクスの抜粋ノートやメモ書き、自家用本の書き込みなどを読んでいくと、マルクスがかなり熱心に、農業を中心に自然科学の問題を研究していたことがわかり、そこでまた衝撃を受けたんですね。
 それまでは、非正規労働や貧困、格差といった問題を中心にマルクスを読んでいた。たしかに資本主義は、人間から収奪するシステムなんですが、それは自然からの収奪を伴わずには不可能だという洞察をマルクスはすでに持っていたわけです。だったら、それをもっと深めていくことができるんじゃないかと。
 マルクスが研究していたのは、土壌疲弊とか森林採伐というような形での自然からの収奪でしたが、そういう問題意識の発展形として、現代のテクノロジーや原発の問題にもつながっていくのではないだろうか、と。たとえば、原子力は膨大なエネルギーを生むけれど、同時に自然に戻らないような核のゴミを作り出し、最終的には人間が管理できないまま、人間と自然の関係を撹乱してしまうわけですよね。そこで「人間と自然との物質代謝」という疑念に焦点を当てて博士論文を書こうと決め、2014年にドイツ語で書き上げました。それを下敷きにして、2019年に日本で出したのが『大洪水の前に』です。

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ベルリンで行われた反原発デモの様子(写真は2011年5月のもの)
Julia Reschke / Shutterstock.com

じつは世界一の日本のマルクス研究

――『大洪水の前に』の前に、ドイツ語で書いた博士論文を2017年に英語で出版していますよね。それが、日本人で初めて、しかも史上最年少で、マルクス研究界最高峰といわれるドイッチャー記念賞を受賞しました。これは快挙ですよね。
 この本を読んで驚いたのが、日本の研究者の議論がかなり参照されていることです。それだけ日本のマルクス研究の質が高かったということでしょうか。

斎藤 僕は世界一だと思いますね。だからある意味、アメリカやドイツでマルクス研究をしたのは回り道だったとも言えるんです。私が強い影響を受けたのは、久留間鮫造や大谷禎之介ですが、彼らに限らず、日本の理論的な蓄積はものすごく分厚くあった。けれども、アメリカに留学していたせいで、学部生の頃は全然知らなかった。やっと修士2年目で読むような感じでしたから。
 ドイッチャー記念賞をもらえたのも、日本の研究の一番いいところを掬えたおかげでもあるんです。物質代謝論についても今まで蓄積があったけど、日本語文献がほとんどなので、英米圏には知られていませんでした。
 日本では90年代以降、その手の研究は次第に下火になっていったんですが、皮肉なことに、21世紀に入ると、アメリカで社会主義的なエコロジー研究がすごく盛り上がっていくんです。でも、日本からすると既視感があるから、上の世代のマルクス研究者は「椎名重明や宮本憲一がやってた話ね」みたいにスルーしてしまった。海外ではエコ社会主義がムーブメントになっているのに、日本の左翼のおじさんたちは、「俺らは昔からやってたよ」みたいな感じになっちゃってるわけですよ(笑)。
 一方、アメリカで盛り上がったといっても、アメリカの論者はドイツ語も日本語も読めないから、それまでの蓄積に十分気がついてない。でも、彼らは直感的な嗅覚にすぐれているので、面白い議論を展開する。ただ、蓄積がないから、テキスト的な裏付けは弱かったりするんですよね。
 僕の博士論文は、日本の研究蓄積とドイツのMEGAで交換される新資料、そしてアメリカの理論的新展開、それらの一番いいところを合体するという意味もありました。それは英米圏の人たちにとって面白いだけでなく、日本の文脈だけで見ていると袋小路に入ってしまうような問題が、アメリカでの議論を入れることでダイナミックになり、21世紀に通用する解釈へとアップデートできるのではないか、と考えたわけです。

――『大洪水の前に』では、マルクスが若い頃から晩年まで、一貫してエコロジーの問題を探求していたことを緻密に論証している点が非常に刺激的でした。自然と人間との関係という主題から考えると、『ドイツ・イデオロギー』以前と以後のつながり方がはっきりとわかりますね。

斎藤 アルチュセールや廣松渉は、『経済学・哲学草稿』と『ドイツ・イデオロギー』の間に、理論的な断絶があることを強調しました。けれども、それでは一面的です。一方、西欧マルクス主義者たちは、若い頃のマルクスの疎外論を高く評価し、ヒューマニズム的なマルクス像という連続性を見いだしました。けれども彼らは、『資本論』理解が中途半端です。日本の場合、『資本論』の理解は深いが、宇野派の影響が非常に強かった。最近、柄谷行人や熊野純彦の本を読み直して強く感じたことですが、私が自由な読み方ができたのは、宇野派からまったく影響を受けない環境でマルクスを自由に研究できたことが大きかったと思います。だから博士論文でも、アメリカ、ドイツ、日本の間のどこかに完全に属するわけではなく、それぞれのいいところをうまく融合できたのかなという気はしますね。

「元気の出ない脱成長論」から「元気の出る脱成長論」へ

――グレタ・トゥーンベリさんの活動に代表されるように、気候変動のような問題に対して、欧米と日本ではだいぶ感度が違うように思います。欧米の研究動向や市民運動に直に触れている斎藤さんから見て、この違いは何に起因すると思いますか。

斎藤 それはけっこう難しい質問です。先日、中沢新一さんと対談した際も、同じような話題になりました。宗教から説明したり、緑の党の運動の蓄積として説明したり、いろんな説明の仕方があるけれど、なかなか決定打といえるような答えはないんですよね。
 ただ日本では、現在が分岐点であり、一方にはもっと悪化するような道があり、片方には、もう少しみんなが平等で、民主的で、持続可能になれるような道があるというメッセージを、思想のレベルでまったく出せてないのが、一つの原因のように感じています。現状の延長しか道がないという「想像力の貧困」に陥ってしまう。そうすると、今のシステムの中でなんとかサバイバルしようという発想しかとれないんですよ。
 一方、ヨーロッパやアメリカにいると、この10年ぐらいでポスト資本主義の議論が非常に活発化していることを実感します。それも単に資本主義にノーと言うんじゃなくて、現在の新自由主義や資本主義に代わるような社会のあり方は可能だということを、さまざまな論者が議論している。私が大きな影響を受けたナオミ・クラインも「社会主義」を掲げるようになっている。これがマルクス主義を復活させつつあるわけです。それに呼応するかたちで、若い人たちも加速主義やグリーン・ニューディール、そして僕が主張している脱成長コミュニズムなど、けっこういろんな道があるように感じているわけです。つまり、環境破壊もひどい、格差もひどい、年金ももらえないとなれば、別のシステムに行ったほうがいいんじゃないの、と。
若い世代の人は、長期的にみると直接的な影響を受けるので、気候変動の影響から目を逸らすことはできないし、恐怖も感じていることはまちがいありません。まさに「自分たちの問題」として感じざるを得なくなっている。でもおそらく日本では、マルクスも読まれなくなっており、そういうメッセージや働きかけがあまり広がっていないことが、気候変動問題に対する関心の度合いに表れている、ということではないでしょうか。

――日本でもポスト資本主義論はいくつかありますが、だいたい明るい展望はない感じがしますね。

斎藤 そうそう。上の世代のポスト資本主義や脱成長論は、たいてい日本下り坂論と合体していて、元気がでないんですよ。バブルの恩恵に与った人たちが、年をとってから反省をして、日本も資本主義ももう成長しないでいいじゃないかと言っても、若い人には老害にしか感じられませんよね。
 でも、僕ぐらいの世代で脱成長をポジティブに語れば、さすがに「老害じじい」という批判はない(笑)。だからこそ、今年出した『人新世の「資本論」』で、脱成長は下り坂じゃなくて、むしろそっちのほうが豊かになるんだ、という切り口を示したかったんです。

〔後編(第11回〕へ進む〕

*取材・構成:斎藤哲也/2020年11月11日、東京・渋谷にて取材

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プロフィール
斎藤 哲也(さいとう・てつや)

1971年生まれ。ライター・編集者。東京大学文学部哲学科卒業。ベストセラーとなった『哲学用語図鑑』など人文思想系から経済・ビジネスまで、幅広い分野の書籍の編集・構成を手がける。著書に『もっと試験に出る哲学――「入試問題」で東洋思想に入門する』『試験に出る哲学――「センター試験」で西洋思想に入門する』がある。TBSラジオ「文化系トークラジオLIFE」サブパーソナリティも務めている。
*斎藤哲也さんのTwitterはこちら
*NHK出版新書編集部のTwitterはこちら

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