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祖父母の店のなかに、自分の店を作った話 その1



大阪北浜のイタリア雑貨屋douzoを営なむ私ですが、昨年兵庫県西宮市にてdouzo夙川店を新しく作りました。   出店場所は、祖父母が築いた1969年創業のスポーツ用品店イワノスポーツ。そのお店の一角に、小さなイタリア雑貨コーナーとしてdouzo iwn(ドウゾイワン)を開くことになりました。   その時の経緯を、店主の思いをたくさん詰めて綴っています。これはInstagramにて昨年末に投稿したものの再編集で、かなり個人的な話ですが、やっぱり原点の話なので、数年後にどんな気持ちで自分が振り返るのだろう、という実験的な意味も込めてここに残すことにします。   コロナの緊急事態宣言が初めて出て一年が経った。じいじが亡くなって一年が経った。この一年は長かった。 

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 2020  ricordarmi ... 

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 2020.12.31 

開店からはや一ヶ月。開店までの道のりは、人知れず長く、長く、長かった。   2020年4月、コロナの緊急事態宣言が発表された直後、昨年末から体調を崩していたおじいちゃんが亡くなった。老衰ということだった。
まだコロナのことがよく皆わかっておらず、不安な状況だったので、会いに行きたくても、人の行き来が激しい環境に日々いることもあり、知らずに移すのじゃないかと心配で、結局、最後の思い出作りが出来ずだった。
かなり悔しかった。 あんなにみんなに慕われた人なのに、葬式も人数制限があり、ほんとにごく僅かな人しか呼べず、悔しかった。 

 ぽっかりあいた穴にはまり、時を同じくして緊急事態で世の中が止まったこともあり、どうしたらいいのか分からず、人に会って悩みを打ち明けることも出来ず、数ヶ月悶絶した。

けれど、やはり私にはその血が流れている。 ゼロからの自営業で孫の代まで何不自由なく育ててくれたこの祖父母の血を濃く引いていることを、会社員を辞める選択をした時から、より強く自負するようになった。 

田舎から無一文で出てきて、割といいとこの娘だったばあばんをじいじは駆け落ち同然で射止め、4畳半に何もない状態から2人でスポーツ店を1969年に立ち上げ、めちゃくちゃな働き方をしながら店で娘と息子を育て、その息子である叔父が近年は一緒になって紡ぎ上げてきた。     

私からしたら、2人はこれ以上ない仕事人の師だ。 
じいじにはもっと、自営業の師として色々聞きたかった。というか、あまり仕事に関して直接的なことは聞けなかった気はするけど、幼い頃は私も店で育ち、ずっと背中を見てきた。 

大人になった気分で一丁前に言葉を交わすようになってからは、人生の色々を折々で指し示してくれた。 

大黒柱が急にいなくなり、店の存続を家族で考えるようになった。  

私は色んなものが詰まったこのスポーツ店を無くすのは嫌だった。
ばあばんの居場所を、今度は私も一緒になって維持したかった。 

なので、大阪で2年間やってきた北浜のイタリア雑貨屋douzoの分店をこのイワノスポーツ内へ作ることにした。 結局、ばあばんはお店にいるのが一番だよね、という意見で家族が一致した訳だが、色々家庭の事情もあっただろうに、快く受け入れてくれた叔父一家には感謝しかない。

金銭的なことから、北浜店を閉める覚悟で夙川douzoを決めた。

 夏前だった。 

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 つづく 

 Topの写真は4年前のイワノスポーツ   じいじもいるよ
じいじが大事に持っていた店内写真。 この頃はまだじいじもばあばんも超モリモリ元気だった。西宮から、豊中まで走ってきてたくらい。 

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改めて店にじっくり向き合おうと、じいじがいなくなってから撮った写真。

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年をとったこともあり、整理整頓が苦手になったようです。一緒にやっている叔父(まだ若い)も然り。笑

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じいじとばあばんとふくちゃん 
この時は、この光景がもう見られなくなるなんて考えていなかったなぁ

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douzo iwn 〒662-0034 兵庫県西宮市西田町6−15 イワノスポーツ内 google map
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