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記憶の刻む音

カタラカタラカタラカタラカタラカタラカタラカタラカタラカタラカタラカタラ........

記憶の中で、いつまでも軽快に刻む音がある。祖父母が営むスポーツ用品店に鳴り響く、足踏みミシンの音。幼い頃、私はこの店で育ち、いつも祖父母の働く姿を間近で見ていた。

イワノスポーツは、地元民のためのスポーツ店ということで、野球やサッカーチームのユニホームをかつては頻繁に受注していた。幼い私はユニホームにマークやラインを付ける祖父母の仕事姿を真似したくて「私も手伝わせて」とよく言っていたものだ。
チーム名や背番号を形どったマークには祖母お手製の厚紙の型紙があり、それに合わせて少し厚地でカラフルで表面が起毛したマーク生地(子供の頃、その感触が阪急電車の椅子のようだと思っていた)を器用に切り取り、2色ほど重ね、コテで仮止めし、プレス機でユニホームに熱圧着する。だいたいマークの作業は祖父がやっていたように思う。後で聞いたら、型紙は祖母が作っていたらしい。「これと同じのを」と、持ってこられたものをにビニールをあて、器用になぞり、それを厚紙に写していたらしい。叔父もその様子をよく覚えていて、感心していた。今だったらスキャナーなど、便利な道具でどうとでもなりそうだけど、そんなもののない時代、祖母の工夫でそんな技が光っていたようだ。「自分でもようやっとったわ」と、祖母。

匂いの記憶というのは克明なもので、あの熱せられたマーク生地とユニホームの匂いには、今思い出しても手に取るようにあったかくてうっとりするし、器用にマーク生地を切り抜いていくそのハサミの切っ先を目で追っていく感覚は今でも新鮮だ。
その横で、祖母はご飯の用意をしたり、帳面を書いたり、ちょこまかちょこまかよく動く。そしてご自慢のミシンで軽快に、どんどん布を縫い進めていく。祖母はおしゃべりで、口から言葉を発していない時は、いつでも鼻歌を歌っている。けれどもミシンをしている時はそんな祖母の甲高い声よりも、あのカタラカタラがずっと聞こえていたような気がする。ミシンの時だけは、無口になっていたかもしれない。祖母にはそういうモードのスイッチがあったと思う。そんな背中をずっと見ていた。
子供ながらに、この二人はの手からはいろんな物が生まれ、すごいおじいちゃんとおばあちゃんだと思っていた。

時は過ぎ、幼かった私はとうに30歳を越え、今はイタリア雑貨店をやりながらグラフィックデザイナーもしつつ、PC画面を飛び出して、なんでも頼まれたら作っているし、他にも色々と仕事をしている。
今の私には、この幼い時の祖父母の姿というのが間違いなく大きく反映されている。自営業になると決めた時も、この二人と同じ道を選んだのだと誇りに思えた。これからずっと一緒だと決めている彼も同じく自営業なので、自分たちをいつもこの二人に重ねていた。だから、これから、同じ道で成長した孫の姿をもっと見せたかったけど、祖父は逝ってしまった。彼も会わせると約束していたのに。

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なんとか周回を取り戻そうと、今、私はこのイワノスポーツに間借りして自分のイタリア雑貨店を開こうとしている。
店を開く理由はそれだけじゃないけど、やっぱり一番の理由はじいじとばあばだと思う。じいじはもういないけど、ばあばはいる。
じいじの仕事をしっかり引き継いだ叔父もいるし、その家族もいる。母も叔父家族も、もちろんばあばも、私が来ることを大きく歓迎してくれている。
今できることを最大限やることで、大きくなってからは祖父にあまり会うことが出来なかったし約束も果たせなかったという、自責の念を慰めたいのかもしれない。
自分の店のことをやりつつ、幼かった頃のようにイワノスポーツのことも手伝いたい。せっかく自分の手が動かせるわけだから、マークもまた復活させたいし、その生地と技術を使って新しいこともしたい。じいじなんて言うかな。ばあばは喜んでくれている気がするよ。

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かくして、月に何日間かこの店に滞在し、イタリア雑貨店の開店準備を進めている訳だが、現実は、いかんせん物が多くてまずはその整理だ。年寄りというものは、ものを大事にし過ぎてなんでも置いておく。それが悪いことではないし、理解も出来るが、結局誰かが片付ける羽目になるわけだ。
どうにか綺麗にしないと、雑貨店の出店スペースがないし、イメージの問題もある。
祖父母に敬意を込めてる以上、現状のスポーツ店は壊さずに、いかに共存するかが自分に掲げた大きなテーマだが、どこから手をつけたものかと途方にくれる。さらにデザインで抱えている仕事なども多く、そちらにも時間をかけないといけないので、思ったようには全然進まない。仕事があるのはいいことだが、もどかしい気持ちが募る。

けれどもそれなら、場所と物を活用しようとある時思い立った。
デザインの仕事でBarのイメージパースを作成したら、ついでにそのイメージに合わせた室内装飾も頼まれた案件があり、そのパースの中に描いた暖簾が必須だとなり、予算や実現したいイメージとのバランスで自作することになった。そのイメージにあった色の布を購入し、文字を染め抜きし、それを暖簾型に縫う。言葉にすると端的だが、全て初の試みだったので手探りで進めている。そして今、縫う段階にきたところでミシン作業をイワノスポーツでやってみようと思い立った。
そう、あのばあばが軽快に踏んで回していたミシンで。


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久々にじっくりと見たミシンは、店の片隅で少し寂しそうに佇んでいた。

近年、ばあばは年なこともありあまりミシンを使うことがなく、また、ペダルが重くなったと訴えたため、いつもメンテナンスをしてくれるミシン屋さんが気を利かして楽なようにと電動モーターを外付けしていた。

しかしそれは、足踏みに憧れていた私からしたら、ギブスをはめているような、痛々しい姿に見えた。

年季の入った艶やかな木の台と、味のある青味がかったシルバーグリーン色塗装のボディの、かれこれ60年以上ばあばが共にする、そのブラザー社製の足踏みミシンに、漂白された白いプラスチックのペダルとモーターはあまりにも唐突すぎた。

試しに電動モーターに連動したペダルを踏んでみたが、記憶のなかのミシンとは程遠く、これは違うと思ってしまった。この技術とばあばのための優しさは素敵だけど、、、と戸惑っていたら、気持ちを汲んでくれた叔父がすかさずミシン屋さんを呼んでくれた。
せっかく取り付けてくれたのに、なんだか申し訳ない気もするので電動と手動どうにかして両立するようにしたらどうかと私は揺れ動いていたが、白髪で職人の目をしたおじいさんに、自分のじいじが重なり、その作業姿をまじまじと見つめている間に、あれよあれよとモーターは取り外され、元のあるべき姿に戻ったミシン。

その取り戻された姿はやっぱり美しかった。

帰り際、お代も受け取らず去ろうとしたミシン屋さんは「こんな古いミシンは、阪神大震災の時にみんな捨ててしまって。もったいないのになあ。今の電子基盤のものと違って、悪くなることがないのになあ。みんな、いいミシンやったのになあ。きっと、このミシン、喜んでますよ。」と、嬉しそうだった。少し、涙が出そうになった。

その後、下糸を巻き取ることが上手く出来ず、再びミシン屋さんを呼んだら、今出先だからと今度は弟さんが代わりにすぐ来てくれた。どうやら、ミシンの不備ではなくボビンがすり減っていたようだ。弟さんも、古いミシンを使いたいと言っている若者がいることが嬉しそうだった。「使ってあげてね。」と。

明くる朝、約束通りボビンは届けられた。従来の年季がかったシルバーのボビンを想像していたが、カラフルな可愛らしいプラスチック製のボビンだったのは、若者に対する職人のおじいさんのちょっとした心使いかもしれない。

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ペダルの動きが革のベルトに連動し、ぐるぐる回転するはずみ車という動力部に伝わり、それによって繊細に配置された糸が上下し、針先に伝わり布の上下を点が糸を吸いながら進んでいく。
足踏みミシンのその構造は、シンプルだからこそ本当によく作られていて、それが目に見えてわかるのでついつい見入ってしまう。


足踏みミシンは愚か、電動ミシンさえ、3年に一度くらいしか使わない私は糸を試行錯誤してセットし、心の中で一息いれ、はずみ車を手で回し、ペダルを踏む。が、このペダルがなかなか硬く、全く進まない。おかしいなと思い、弾み車を手で回して見るが、硬くて動かない。何度かやり直し、進み始めたと思うと、今度は糸が切れる、糸が抜ける、下糸と上糸がこんがらがる。原因は何かと一点一点辿っていく。こうか?これか?と何度も何度もやり直す。根負けしてばあばに正解を聞く。最初からばあばに聞いたら簡単かもしれないが、そうはさせない事情がいろいろある。けど最終的にばあばに聞くと、教えてもらうことがなんだか嬉しいし、ばあばも優しく教えてくれる。やっとスタート地点に立ったと思っても、またこんがらがる。原因を探る。改善して、やっとカタンカタン....と進み始めるが、こちらが上手く縫えてるか不安になってくると、それを察知したかのようにまたペダルが重くなる、糸が絡まる。まるで騎手を品定めする馬のようだ。
「お前はまだまだだ、全然わかっていない。」「お前はそれがだめだ、全然違う。」
「お前、だから違うって、そんなの嫌だ。」
と何度も振り落とされる。
が、私も黙っちゃいない。
ここで諦めたら、自分のルーツや、いろんな思いをつなげることが出来なくなるという戦いを勝手に自身に設定しているので、振り落とされたままでは終われない。
「じゃあこれはどうだ?」
「こうしてみたけど?」
「これは?」
「こっちが正解でしょ?」
「このペースでどう?」
「お前、ちょっとわかってきたな?」
「いや、まだまだだ。」
「違うって。」
「そう、そうだよ、そうなんだよ...だから調子のるなって。」
「じゃあこうか?」
「こうしたらいいの?」


.....こんな問答が1時間以上あり、ちょっとずつ呼吸を合わし始めたミシンと私。布を上下して絡み合う上糸と下糸のように、ミシンと私が一体になることで糸が布地を進んでいく。なんて面白いんだろう。まるで魔法だという表現は月並みだが、そんな気分だ。

けれどもあのカタラカタラカタラカタラという音はほど遠い。


ばあばがどれだけ早く、縫っていたのかが今日やっとわかった。


ばあばがとっても若い時分から使っているミシン。

今日、この文章をばあばに見せたら、昔話をしてくれた。
いろんな人にいろんな物頼まれて作ってたわ、ユニホームとかライン縫いとかで忙しかったんよ、おじいさんと結婚して、しばらくして双葉パンションに越してからずっと使ってたんよ、と、色々話してくれた。


帰り際、不格好ながらの私の足踏みミシンデビュー作も、お披露目したら褒めてくれた。あんたも器用にようやるね、さすが私の孫やわ、それにしても本当ミシンは命みたいなもんやったわ、「よーーうこれで稼いだわ」と。

「使って」とゆっくり別れ際に言われて、涙が止まらなくなった。そんな風に言われたら、帰り辛くなるやんか。

これから、私も世話になるからね。






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