見出し画像

他者を憎まず自集団を愛せるか──『ブループリント』#2

ビル・ゲイツが「これほどの希望を感じて読み終えるとは、予想もしなかった」と絶賛し、全米ベストセラーを記録した本があります。イェール大の大物教授、ニコラス・クリスタキスの新著『ブループリント』です。その日本語版が刊行されました。人種差別からコロナまで、世界が「分断」に揺れるいま、進化論の立場から「どうすれば理想の社会を築けるか」を検証する人類史。エリック・シュミット(Google元CEO)、マーク・アンドリーセン(Netscape創業者)、伊藤穰一(投資家)といった経済界のビッグネームたちがこぞって賛辞を贈る、本書の冒頭部分を特別公開します(全3回)。

画像1


はじめに――私たちに共通する人間性 #2

他者を憎まず自集団を愛せるか

私がこの文章を書いている現在、アメリカは両極端に引き裂かれているように思える。右と左、都会と田舎、宗教と非宗教、部内者と部外者、持てる者と持たざる者、といった具合だ。政治的分極化と経済的不平等はともに1世紀にわたってピークにあることが、分析により明らかになっている。

アメリカ国民は、以下のようなテーマをめぐる声高な議論に首を突っ込んでいる。自分たちの相違について。誰が誰を代弁できるか、また代弁すべきかについて。個人のアイデンティティの意味と範囲について。部族的忠誠心の厳然たる影響力について。アメリカにおける人種のるつぼ──またアメリカ人としての共通のアイデンティティ──に対するイデオロギー的な肩入れは可能か、あるいは望ましいとすら言えるかについて、などなど。

境界線ははっきり引かれているように見える。したがって、私たちを分断するものより団結させるもののほうが多いとか、社会は基本的に善いものであるなどという見解を私が示すのは、奇妙なことに思えるかもしれない。それでも、私にとってこれは永遠の真理なのだ。

私が実験室での研究で出くわす最も気のめいる問いの1つは次のようなものだ。人びとが自分の属す集団に抱く親しみは、集団を定義するのが何らかの属性(国籍、民族、宗教)であれ社会的つながり(友人やチームメイト)であれ、他者への警戒や拒絶と必然的に結びつくしかないのだろうか?あなたは他人を嫌うことなく自分の属す集団を愛せるだろうか?

私は、集団と一体化しすぎるとどうなるかをこの目で見てきたし、集団妄想を間近で目撃してきた。研究室では数千人という人びとを対象とした実験を通じて、また数百万人の行動を記述する自然発生データを分析することによって、それらについて研究してもきた。

悪いニュースばかりではない。人間の本性には称賛すべき点がたくさんある。たとえば、愛する、友情を育む、協力する、学習するといった能力だ。それらはすべて、私たちが善き社会を形づくるのに役立つし、あらゆる場所で人間どうしの理解を深めてくれる。

25年近く前、ホスピスの医師として働いていたころ、私はまずこの問題──人間は基本的にどのくらい似ているか──について考えはじめた。死や悲しみは何にもまして人びとを結びつける。死とそれに対する反応の普遍性を目にすれば、誰もが人間とはよく似ているものだという印象を抱かずにはいられない。私は、あらゆる種類の背景を持つ瀕死の人びとの手を握ってきたが、人生の最後にまったく同じ願いを1つも共有していない人に出会ったことはないと思う。その願いとは、過ちをつぐなうこと、愛する者のそばにいること、耳を傾けてくれる人に自分の物語を語ること、痛みを感じずに死ぬことなどだ。社会的つながりや対人理解を求める気持ちはとても強いため、最後まで私たち1人ひとりのなかに存在するのである。

私たちに共通の人間性

私たち人間にかんする私のビジョン──すなわち本書の核心をなすもの──を述べれば、人びとは共通の人間性によって結びついているし、結びつくべきだ、となる。こうした共通性の起源は、人間が共有する進化にある。それは、私たちの遺伝子に書き込まれているのだ。人間は仲間どうしで相互理解を実現できると私が信じている理由は、まさにここにある。

この点を強調するに際してはっきりさせておきたいのだが、私は社会集団のあいだに違いはないと言っているわけではない。ある集団が、ほかの集団にとっては想像するしかない社会的、経済的、あるいは生態学的苦難と格闘しているのは明らかだ。タンザニアの地溝帯(リフトバレー)で暮らす現代の狩猟採集民が、カリフォルニアのシリコンバレーで活躍するソフトウェア・エンジニアと何を共有しているのかは、ただちに明らかとは言いがたい。

だが、人間集団のあいだの違い(それらは興味深いうえに現実のものであるが)に焦点を合わせると、もう1つの基本的現実を見落としてしまう。私たちが違いに夢中になるのは、ボストンとシアトルの天気の違いに注目するのに似ている。そう、人はこの2つの都市で気温、降雨量や日照量、風況が違うことを見いだすはずだし、それらの違いは重要かもしれない(おそらく大いに!)。

それにもかかわらず、その両都市では同一の大気過程と基本的な物理法則が働いている。加えて、世界中の天気は密接不可分の関係にある。地球の多様な微気候を研究することの核心は、地方の気象条件の理解を深めることではなく、天気一般をいっそう完全に理解することだとさえ言えるかもしれない。

したがって、私は人間どうしで異なる点よりも、同一の点に興味がある。人びとが多様な人生経験を持ち、別々の場所で生活し、もしかすると表面的には違って見えたとしても、他人の経験のかなりの部分は誰もが人間として理解できるものだ。これを否定すれば、共感への希望を捨て去り、最悪の形の疎外感に身をゆだねることになってしまうだろう。

私たちに共通する人間性をめぐるこの基本的主張には、経験的基盤はもちろん深遠な哲学的根拠がある。ノーベル賞作家のマリオ・バルガス=リョサは「自由の文化」という評論で、同じ場所で暮らし、同じ言葉を話し、同じ宗教を信じている人びとに共通する部分が多いのは明らかだと述べている。だが、こうした集団特性は1人ひとりの個人を完全に定義するわけではないとも指摘する。人びとを集団のメンバーとしてのみ見ることは、バルガス=リョサによれば「そもそも還元主義的で非人間的である。集産主義的であり、人間における独特かつ創造的なあらゆるもの、すなわち遺伝、地理、社会的圧力によって押しつけられたわけではないあらゆるものを無視することである」という。現実の個人的アイデンティティは「みずから創造する自由な行為によって、これらの影響に抵抗し、反撃する人間の能力から湧(わ)き出してくる」と彼は主張する。

たしかにそのとおりだ。しかし、個人の自由を発揮したり人間の個性を重視したりすることは、同族意識を払拭する1つの方法にすぎない。私たちは、視野を普遍的遺産のレベルまで広げることもできる。私たちは人間として、互いに一緒に暮らす方法について、自然選択によって形成された遺産を共有している。こうした遺産が、違いを特権化する非人間的な見方を捨て去るメカニズムを与えてくれる。

外国文化に触れることが、いかに人を元気づけ、安心を与える経験になるかを考えてみよう。当初は、服装、におい、外見、習慣、慣例、規範、法律などの違いがかなり気になるが、やがて、私たちは多くの基本的な点で仲間の人間に似ているという認識がまさってくる。誰もが世界に意味を見いだし、家族を愛し、交友を楽しみ、価値あるものを互いに教え合い、集団でともに働く。私見によれば、こうした共通の人間性を認識することによって、誰もがより崇高で高潔な生活を送れるようになるのだ。

皮肉にも、多くの人がこうした認識を得るのは、集団間の敵意がいつにも増してむき出しになる戦時のことだ。2001年製作の『バンド・オブ・ブラザース』というテレビドラマに、それを実証する胸を打つエピソードが出てくる。このドラマは、第2次世界大戦中にアメリカ陸軍のとある大隊に起きたできごとをもとにしている。実在の兵士の1人であるダレル・パワーズは晩年、その番組とともに放送されたドキュメンタリーフィルムのなかで、あるドイツ兵についてこんな見解を述べている。

「私たちには多くの共通点があったかもしれない。彼は魚釣りが好きだったかもしれないし、そう、狩猟が好きだったかもしれない。もちろん、彼らは彼らがすべきことをしていたし、私は私がすべきことをしていた。しかし、状況が違えば、私たちはよい友人だったかもしれないんだ」

ただの友人ではなく、よい友人である。別の戦争を扱った2017年の連続ドキュメンタリー『ベトナム戦争の記録』で、リ・コン・フアンという1人のベトナム兵が同じような認識にいたっている。若き兵士だったフアンは、血まみれの戦闘のあとで、木立の陰からアメリカ人を見ていた。すると突然、私たちが共有する人間性を感じ取ったという。

「私はアメリカ人が死にかけているのを目にした。言葉はわからなくても、彼らが涙を流し、抱き合っているのが見えた。1人が亡くなると、ほかの兵士たちは身を寄せ合った。遺体を運び去る彼らは泣いていた。私はその場面を目にして『アメリカ人もベトナム人と同じように深い人間性を持っている』と思った。彼らはお互いにいたわり合っていたんだ。それを見ていろいろと考えさせられたよ」

(翻訳:鬼澤忍・塩原通緒)

善き社会への青写真ーー『ブループリント』#3へ続く)

画像4

【目次】
はじめに――私たちに共通する人間性
第1章 社会は私たちの「内」にある
第2章 意図せざるコミュニティ 
第3章 意図されたコミュニティ
第4章 人工的なコミュニティ
第5章 始まりは愛
第6章 動物の惹き合う力
第7章 動物の友情
第8章 友か、敵か
第9章 社会性への一本道
第10章 遺伝子のリモートコントロール
第11章 遺伝子と文化
第12章 自然の法則と社会の法則
訳者あとがき